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078ホーテン卿の野望

 騎士府訓練場ではエルシィが残していった虚空モニターで、船上の兵たちに臣従を説く様子やその後にイルカと戯れる姫様の姿が流れていた。

 キャリナはこれを眺めるしかできなかった。

 出来ればすぐにでもエルシィの元に向かい、その側に仕えたいところではある。

 が、いかんせん、港沖に停泊する船団へと辿り着く術がない。

 いやその気になれば港へ行って船を手配し、そして赴くことはできるだろう。

 だがそうやって時間と手間をかけて辿り着いても、エルシィたちがその気になればまた彼女らは一瞬でここに戻ってくるのだ。

 そしてキャリナはハイラス兵だらけの船団に残されることになる。

 ならばここに残るのが次善だろう。

 という判断から、忸怩たる思いを噛みしめながら、モニターを見つめた。

「家臣……ですか」

 キャリナはふと、呟く。

 あの虚空モニターを越えて向こうへ跳べるのは、エルシィの家臣になった者だけ。

 そう言っていたのを思い出す。

 あの双子の姉弟、バレッタとアベルに関してはこの際なにも言うまい。

 だがヘイナルやフレヤはそもそも大公家の家臣だった。

 それがこうもたやすく主人を変えるという倫理観に、キャリナは幾らか抵抗を感じていた。

 彼女もまた大公家の家臣である。

 もちろん、エルシィに愛着もあるし、忠誠心もある。

 だからと言って簡単に鞍替えするのは、キャリナの実直な性格からすると耐え難い苦痛であった。

 そもそもエルシィ様の家臣となるにしても、大公家の長であるヨルディス陛下へお話しするのが順序だろう。

 などと考えて苛立ち始めていた。

 この苛立ちがすでに、彼女がエルシィの家臣になろうと思っている証左であるのだが、彼女自身がまだ気づいてはいなかった。

 ちなみに騎士府訓練場にはキャリナ以外にも、先ほどエルシィに家臣となったクーネルや、現在進行形でクーネルが取りまとめている捕虜のハイラス兵。

 それに見張りや警備のために控えている警士や騎士の姿がある。

 彼らは彼らで各々の仕事を進めつつも、遠くから他人事のようにモニターとキャリナの行く末を眺めていた。

 特に仕事のない捕虜たちにとって、これはいい暇つぶしの娯楽だった。



 さて、エルシィと家臣たちがモニターを越えて船上へ行った後。

 キャリナと共にしばらくモニターを睨みつけていたホーテン卿だが、すでにそこにはいなかった。

 ではどこに行ったのか。

 執務室へ戻ったのか?

 いや、ホーテン卿は天守へと赴いていた。

「カスペル殿下はおいでか!」

 ホーテン卿が天守四層の大公執務室のドアを勢いよく押し開ける。

 本来これはたいそう不敬な行いで咎められる行為である。

 だが、なにせ勝負はついたとはいえ戦時の特別な時期であり、またホーテン卿自体がえらい剣幕だった。

 そのため、途中にいた警士も、カスペル殿下の近衛士も、彼を押しとどめることはできなかった。

 まぁ、もちろん長くジズ公国に忠誠を捧げて来たホーテン卿への信頼あってのことでもある。

 よもや彼がこの期に及んでジズ公国の後継者たるカスペル殿下を害するなど、誰も思ってはいないのだ。

 もちろん、ホーテン卿本人も、カスペル殿下を弑逆しようなどとは露とも思っていない。

 では何をしに来たのか。

 大公執務室の机に着いて様々な頭の痛い報告を受けていたカスペル殿下は、驚きに目を丸くしながら、そう首を傾げた。

 そして、よもやまた軍事的に頭の痛い事態が発生したのか?

 と身構える。

 ところが、である。

 やって来たホーテン卿は、最初こそ激しい剣幕で周りを寄せ付けぬ雰囲気を発していたが、カスペル殿下を見つけるや否やニンマリと口元を緩めた。

 これは、訓練場にカスペル殿下が行った時にたまに見る、何か企んだ時の顔だ。

「本日はヨルディス陛下の代理人であるカスペル殿下にお願いがあってやってまいりました」

 ホーテン卿はまずそのような口上から始めた。

 わざわざそのように言い出すということは、これは彼のお役目に関することに違いない。

 すなわち騎士府長として、である。

 騎士の増員や装備の強化だろうか。

 どちらにしても予算を考えれば頭の痛い問題である。

 ところが彼はどちらでもない。だがもっと頭の痛いことを言い出した。

「実はお役目の引退を考えておりましてな。今日はそのご許可を頂きに参ったのです」

「……は?」

 カスペル殿下だけではなく、大公執務室にいたすべての者の声が重なった。

 まるでこの時だけ、すべての色と音を失ったかのように時が止まった。

「ま、待て待て待て。こんな時に急に何を言い出すのだ」

 まず真っ先に我に返ったのは国内のあれこれを報告し相談するためにやってきていた内司府長だった。

 彼はホーテン卿よりいささか年下ではあるが、彼と同じくらい長きにわたって大公家を支えて来た重鎮である。

 組織的に見ればいわば同僚の様な意識だったホーテン卿の、突然の引退宣言に、この場で最も動揺したのは彼だったと言えよう。

「ふん、確かにこんな時ではあるが、こんな時だからこそ、ともいえるのだ」

 そんな内司府長の問いかけに、不敵に鼻息を鳴らしたホーテン卿が答える。

「ふむ、とりあえずホーテン卿の言い分を聞きましょう」

 誰かが自分より慌てていると逆に冷静になれる。

 という話があるが、この時のカスペル殿下はまさにその様な感じだった。

 つまり、内司府長のおかげで落ち着きを取り戻してホーテン卿に問いかけることが出来たのだ。

 ホーテン卿は向き直って背筋を伸ばし答える。

「はっ。

 確かに戦闘は終わったとはいえ今は有事であります。

 が、だからこそ、私の様な老兵は若い者に席を譲り、機会を与えるべきではないかと愚考した次第であります。

 なにせ私もとうに齢六〇を越えた老人ですからな」

 なるほど、一理ある。

 カスペル殿下は椅子の背もたれに深く身を預けて考える。

 確かに今は有事だが、国内ではホーテン卿が活躍すべき戦闘行為は終了し、あとは戦後処理をしていく段である。

 ならば後進を育てる意味でも、若手に席を譲ろうというのは理にかなっているように思えた。

 もちろん、彼が齢の上では老人と言っていいのは常識である。

 だが。である。

 カスペル殿下は彼の真意を誰よりも汲み取っていた。

 なぜなら、出来ることなら彼自身がそうしたいくらいだったからだ。

「……エルシィについていく気ですね?」

 ホーテン卿はその問いに、ただニヤリと笑うだけだった。

「引退の件はヨルディス殿下がお戻りになるまで保留とします。さすがに私では判断できませんよこんなの」

 カスペル殿下は深くため息を吐き、首を横に振ってそう呟くように答えた。

次回は来週の金曜に更新します

ちょっと来週は仕事が忙しいので、火曜は一回休みです

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― 新着の感想 ―
[一言] 元帥杖は便利ですけど家臣の扱いがネックですねもっと気軽になれるものならいいのですけど
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