077船上にて
「という訳なので、君もエルシィ様の家臣となって、ハイラス伯国へ攻め込もう」
「え、普通に嫌ですけど?」
軽い調子で言葉を投げかけるスプレンド卿に、船団仮旗艦にいた士官は、本当に嫌そうな表情で答えた。
最初は突然光の粒子と共に現れたスプレンド将軍に驚き、そして「助けに戻ったか!」と期待したのに期待外れもいいとこである。
ちなみに彼の位は輔佐と言い、将軍や将補に次ぐ地位であり、この船団を取りまとめる役を担っていた。
ちなみに陸に残っている上陸将クーネルは将補にあたる。
さて、一言目で真っ向から断られたので、スプレンド卿は少し狼狽えた。
彼は自ら進んでエルシィに売り込んで家臣となったので、多少なりとも戦略戦術眼がある地位の者が断るとは思っていなかったのだ。
そんな彼の能天気さを後ろから眺めていたエルシィは、苦笑いを浮かべて前に出る。
もちろんヘイナルやフレヤが両脇で睨みを利かせながらだ。
「無理にとは言いません。ですが理由位は聞いてもよろしいですか?」
突然前に出て来た乗馬服姿のちんまい少女に、輔佐殿は怪訝そうな表情を向ける。
「君は何だい? ここは子供が来るところじゃないぞ」
「その子供に船を沈められたの忘れた?」
輔佐殿の言葉を聞いて面白そうにキシシと笑ったのは、一行の最後尾で様子を眺めていたバレッタだ。
「お、おまえ……!?」
初めは何だこいつ、という風に首を傾げた輔佐殿だったが、すぐにバレッタがあのイルカに乗った少女であることに気づき、さっと顔を蒼くする。
バレッタは興に乗って、さも「また撃つよ?」と言わんばかりに両手をワキワキと動かして見せた。
怯み、バツの悪くなった輔佐殿は、バレッタたちから目をそらしてエルシィとスプレンド卿を交互に見る。
そして観念したように口を割った。
その様子はふてくされているようにも見える。
「上陸隊は勝手に戦端を開き、勝手に降伏したようですが、そもそも私たち船団の兵はまだ負けておりません。
なのに祖国を攻める先兵になれとは、将軍閣下こそいったいどういうおつもりか?」
「ふん、威勢がいいが、つまりは往生際が悪いってことだろ」
そんな輔佐殿の言い分に、アベルは呆れたようにため息を吐く。
まだ戦っていない、というが、そもそもバレッタに一隻沈められて船団を停止し上陸を止めた時点で降伏したようなものなのだ。
だが、直接戦っていないから従えない。
そう駄々をこねているようにしか見えなかった。
まぁ、これは意識の面で仕方がないともいえる。
そもそも戦争とは陸での戦闘であるという思いがあるのだ。
一方的に一隻沈められ、脅迫をもって上陸阻止された体験は、彼らにとって戦闘とは思えなかったのだ。
「いいよ。お姫さま、オレがやりましょうか?」
アベルはスッと視線を鋭くし、右手を軽く挙げ「シュヴェルト」と呟いた。
すると彼の周りに八本の長剣が顕現し、宙でフラフラと踊り出す。
彼のこの業をまだ見たことなかったスプレンド卿やフレヤ、そして対峙していた輔佐殿や甲板にいたハイラスの者たちはギョッとした身構えた。
なら、ここで敗北を認めさせてやる。
アベルのそんな意気を感じ、甲板に緊張が走った。
だが、エルシィが元帥杖をスッと横に凪いでアベルの身を止める。
「まぁまぁアベル。それはお話が決裂してからですよ。
そうでなくてもこちらのお話を断っただけなら、彼らはただの捕虜になるだけです。
捕虜には優しくしてあげないと」
あの得体のしれない剣が襲ってこないと判り、ハイラス兵側はホッとしつつ、「捕虜に優しく?」とまた小さくどよめく。
この反応でエルシィは「おや?」と小首をかしげた。
そして、どうやらこの世界では捕虜を保護するような条約条例は無いようだ、と肩をすくめた。
「とりあえずあなたのご意見は理解しました。
詳しい話は後程伺いたいとおもいますが、今はあまり時間を掛けたくないので隅っこに行っててくださいね?」
エルシィがそうニッコリ笑顔で言うものだから、輔佐殿とその取り巻きたちはまた気圧されて数歩下がった。
「だ、だから君は一体何なんださっきから……」
精一杯の強がりか、ともかく相手が子供だからまだ甘く見ているのか、輔佐殿が再びそう訊ねる。
エルシィは首をかしげてから「おお」と気づいて手をポンと叩いた。
「これは失礼しました。まだご挨拶していませんでしたね。
わたくし、ジズ公国を治める大公家の娘、エルシィと申します」
これを聞いて、輔佐殿含む船上の兵たちは驚きに口をパクパクさせる。
「私と一緒にここに来た子供が、ただの子供なわけないだろう。
それくらい察せなくてどうするんだ……」
スプレンド卿は頭痛でも感じたかのようなそぶりで頭を押さえ、そう呟いた。
その後、輔佐殿を含むいささか反抗的な態度だった者を隅っこに行かせ、スプレンド卿は船員や兵の主だったものを集める。
他の船へも伝令をやって主だった者へ招集をかけた。
全員を一か所に集めて語れば話は早いが、何艘かに分乗している者たちを一堂に集めるのは手間だし、そもそも集まれるだけのスペースも無いからだ。
輔佐殿が上陸将の様に取りまとめてくれれば楽だったが、本人に拒否されたので是非もないのである。
そうして上陸兵側と比べると幾らか時間はかかったが、船団の者たちにも話を通し、後は返事を待つだけとなった。
「さすがに即答は無理でしょうから、三時間ほどしたら戻ってきますのでそれまでにヨロシクです」
エルシィはそう言ってからまた元帥杖の権能で戻ろうとした。
が、バレッタが無言でクイクイと袖を引く。
「なんです?」
振り向いて訊ねると、とても楽しそうな笑顔でバレッタは海原を指さした。
そこには、船団を囲むようにして海を自在に泳ぐイルカの群れが。
「おお!」
エルシィの瞳も途端にキラキラと輝きだすのだった。
それから返事を待つ三時間はバレッタと一緒にイルカと振れ合うので忙しく、あっという間に過ぎて行った。
キャリナがここにいれば叱られそうなものだが、残念ながら彼女は残された騎士府訓練場で虚空モニターを眺めるだけである。
モニターの向こうでイルカに乗って楽し気にするエルシィを見て、キャリナははじめこそため息をついていた。
が、じきに諦観へとたどり着いたようで、「イルカのエサになりそうな魚を用意するよう」と申次を呼んで賄い方へと走らせた。
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