074兵を集める
ハイラス伯国への派兵。
皆の顔を見回しながら「まずこの目的は何であるか」と、エルシィは考える。
別に伯国を征服して領土拡張しようなどとは露とも思っていない。
一国を支配し差配するというのは、とても面倒で手間と人手と時間がかかる行為である。
ここしばらく行政の一端にかかわって来たエルシィにはそれが良くわかる。
ジズ公国は人口も都市も少ないのでギリギリ回っているが、そもそもお役人の数が足りていない。
今回の様な戦争やはたまた自然災害などがあれば途端に破綻しかねない経営状態だったと言えるだろう。
それでも此度は短期間で勝ったから被害も少なく助かっているが、数百という捕虜を抱え、その食料や収容でもはやパンク寸前であった。
そこに他国を侵略して支配基盤を整えて運営するなどとてもとても、という状態である。
で、あるならば、いったい何を目的としてハイラス伯国へ攻め入るかと言えば、「ヨルディス陛下の救出」なのだ。
なので「侵攻」というよりは「特殊作戦任務」と言った方がより正しいだろう。
「先にも言いました通り、私に一〇〇ほどの兵をお任せいただければ姫様のご期待に応えて見せましょう」
まず先陣を切って口を開いたのはスプレンド卿だった。
家臣になったばかりで張り切っているとも見れるが、ハイラス伯国の将軍でもある彼なら確かにやってくれそうではある。
なにせハイラス伯国の中枢をよく知っていて、顔パスも効く人物なのだ。
「ホーテン卿、実際のところ我が国の兵力を一五〇、いや一〇〇でも動かすことは可能ですか?」
一五〇とは初めにホーテン卿が言った数だ。
それだけあれば今のハイラス伯国から陛下をお救いすることが出来るだろう、と。
そして一〇〇とはスプレンド卿の求める数である。
これからすれば一五〇ないし一〇〇あれば事足りるということだ。
まぁ予備兵力も考えれば二〇〇は欲しいと思うエルシィだが。
「ふむ……」
ホーテン卿はしばし考える顔で計算する。
さっきは威勢のいいことを言ったが、実際に今、外に兵を出すほど余裕があるかと言えばハッキリ言ってない。
なにせ上陸兵二五〇と海上の二五〇、計五〇〇というハイラス伯国の侵略軍を丸々捕虜として管理しなければならないので、現状領都にいる二〇〇余名のジズ公国兵では全く足りていないのだ。
ハイラス兵たちが大人しくしているのからギリギリ何とかなっているので、都外に出ている警士たちが戻ればそれを当てることもできるだろう。
「少し待っていただければ五〇は出せますな」
「全然足りませんね!」
計算を終えたホーテン卿の回答に、エルシィは両目をバッテンにして答えた。
五〇ではスプレンド卿の要求すら満たせない。
「はっ、五〇の選りすぐり忍者部隊ならあるいは……」
ついつい現実逃避の妄想を展開するエルシィであった。
「お姫様、提案があります」
そこで真面目くさった声色でそう述べるのは、つい今しがた率先して使い走りしてくれたアベル少年だ。
朝食以降、何か決意したような雰囲気でやる気に満ちた顔をしている。
まるで主人から貰った任務に燃えるドーベルマンの様でもある。
「なんでしょう?」
くりっと振り向いて首をかしげるエルシィに、アベルは頷いて自分の案を話す。
「家臣登録で敵兵を使えば、王子さまとかおっさんの負担は減るんじゃないですか」
「おっさんて俺のことか……」
すでに爺さんでもおかしくないくせにおっさん呼ばわりでショックを受けるホーテン卿をよそに、エルシィと、そしてスプレンド卿は感心して手を叩いた。
「それは良い。
確かに五〇〇の兵を養うのも大変ですからね。
これで攻め入る兵力に何の問題もありません」
スプレンド卿がパッと明るい声で絶賛すると、アベルは少し照れた顔でそっぽを向いた。
「ハイラスのものはハイラスに……確かに悪くない案ですが」
と、エルシィは人差し指でこめかみをクリクリ突きながら懸念を表す。
皆が注目する中で彼女はその心配ごとを口に出した。
「さすがに『これから母国を裏切って攻めろ』とは酷ではないですか?」
皆、これを聞いて「ああ」と息を吐いた。
少し想像すればこういう心の問題は解ることだが、国力や兵力を数字で見ているとどうしても見落としそうになる件だ。
特に現状、攻め入って来たハイラス人すら戦争に慣れていない状況なので、そうした教訓は頭からすぐ飛んでしまうのだ。
ゆえにエルシィの言葉で様々な意識が初歩に戻って、少し憂鬱な雰囲気が執務室に流れた。
この空気にスプレンド卿は「ふむ」と一考し、そして明るい声で言う。
「全軍を使おうと思えば確かに問題が多いと思います。
しかし私にしたように意思確認をした上で家臣化すれば問題ないのでは?」
当のハイラス国人がそう言うのだから悲壮感などどこにもない。
少し暗くなった執務室の風は途端にポカンとリセットされる。
「何もハイラス人すべてが伯爵陛下や国家に忠誠心を持っているわけではありません。
特に今回の出兵に思うことがある者も多いでしょう。
案外、一〇〇くらいならすぐ頷くと思いますね」
などと続けるスプレンド卿にジズ公国人たちは皆、呆気にとられた顔をした。
「野蛮な農夫どもがそうして協力するというなら、我が公国の者も黙ってはおらんでしょうなぁ」
頭が痛い、という素振りもしつつ、自分も少しワクワクした顔を見せるホーテン卿であった。
「ではでは、早速ですけどハイラスさんちの兵隊さんたちに尋ねに行きましょう!」
エルシィが小さなコブシをブンと挙げて言うと、退屈そうにしていたバレッタが続いて「おー」と手を上げる。
肩をすくめる者、粛々と従う者、何やら楽しそうに算段し始める者と様々だったが、特に否がある者はいなかった。
したがって一同は揃って執務室からぞろぞろと退出し、部屋の前に控えていた申次をびっくりさせた。
さて、まず向かうのは上陸した合計三〇〇の兵の元である。
これらは騎士府訓練スタジアムに、緊急的に天幕などを張って収容されている。
おかげで騎士たちは訓練できないが、まぁそれどころではないので仕方がない。
残っている騎士、そして当番警士の数を増やして、これらの見張りに当たっている状況だ。
まだ一夜明けただけなので、騎士、警士たちの顔には疲れが見えるが、それでもジズ公国側はどれも比較的晴れやかな顔をしている。
何に比較して、と言えば、当然敗戦側のハイラス伯国の人々だ。
こちらは特に暴れるでもなく、どれもこれもしょぼくれた顔だった。
訓練場の入り口でそんな状況を一通り確認したところで、スプレンド卿が一行の前に出る。
「まずはアイツを呼びますので少々お待ちください」
「アイツ、とは、どなた?」
エルシィの問いに、卿はにっこりと爽やかな笑みで答えた。
「クーネルと言います。この部隊の指揮をしていた上陸将ですよ」
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