007カスペル殿下、妹に会う
エルシィと昼食を取った日のお兄さま。
その日もいつも通り、侍女に朝の支度をされながら、侍従から一日の予定を聞いていた。
私の予定管理も侍従の仕事だ。
今、滔々と予定の書かれた紙片を読み上げるのは、半年前に奥方を迎えたというまだ新婚の侍従である。
新婚だというのに全く浮かれた感じがないのが、少しつまらない。
とはいえ、本当にこれはいつものことだ。
予定などと言っても変わり映えしない日々の繰り返しである。
朝食を食べたら午前は割り振られた執務や司府の会議に出席する。
そして午後は視察があれば城外へ出かけるし、なければ騎士府へ赴き訓練に混ざる。
一五歳で成人の儀を執り行ったのがちょうど一年前で、それから毎日こんな感じ。
特産らしい物もない辺境の島国ゆえ、他国からの客も滅多にない。
それでも人が暮らしている以上は統治に関する仕事をおろそかにするわけにはいかないのだ。
わかっているが、少々退屈だと思うのを、誰が責められようか。
側仕えたちに気づかれぬよう小さく溜息を吐く。
ちょっとした気鬱だが、こんなことでも大っぴらにやれば「誰かが粗相をしたのか」と騒ぐ者がいるのだ。
まったく息苦しい生活である。
「カスペル殿下、申次からの言伝があります」
部屋の扉がノックされ、外に控えていた近衛士の男が声を掛ける。
「良い、入れ」
「はっ」
実はこのやり取りもいつものことだ。
入って来た近衛士は、二〇台半ばの落ち着いた雰囲気の男。
近衛府のナンバー2、イェルハルドである。
「エルシィ殿下は体調が優れないため、食事は部屋で摂るそうです」
「そうか」
妹であるエルシィは生まれた時から身体が弱い。
何かあれば熱を出すし、流行り病にもすぐかかる。
八歳まで生きられたことが不思議なくらいだ。
ゆえに、顔を合わせないのもいつものことなのだ。
ちなみに大公陛下である母上は常に忙しく、食事を共にするのも稀のこと。
つまり食事が一人なのもいつものことである。
「まったく、痛ましいことだな」
妹の心配をしているように言ってみるが、実際には自分の代わり映えしない境遇を嘆いているだけだ。
「さようでございますな」
だが、周りの者はそこまで察してはいない様で、同意とばかりに頷いた。
それから朝食を摂り、朝の課業に当たる。
今日は築司の報告会議に出席だ。
築司とは城や国内の道などの普請を司る役所である。
国内、と言っても、現在、我がジズ公国の国土はジズリオ島のみなので、すなわち島内と言うことになる。
それほど広くはない国土だが、それでも城郭の老朽化問題もあれば、港、道路は常に整備しないといけない。
そんな計画や進捗を聞くのが、今日の仕事と言う訳だ。
聞いて、時に意見を出し、後にまとめ、母上へ提出する。
そんなことをしているうちに、昼になる。
「カスペル殿下、申次からの言伝があります」
おや、またか。
今朝とまったく同じ文言で、近衛士イェルハルドが言う。
何か厄介ごとじゃあるまいな?
「聞こう」
「はっ」
朝とは違い少し驚いた様子を見せるイェルハルドを促すと、彼は畏まって私の前へと進み出た。
「本日の昼食にはエルシィ殿下がご同席されるそうです」
おや、珍しい。
その言葉を聞いた私の顔も、おそらく申次から言伝を聞いたイェルハルドと同じ顔をしていることだろう。
先にも言ったが、体の弱い妹が食事の場に現れるのは稀だ。
特に朝、辞退したその日はもう現れることが無いと言っていいだろう。
なのに今日は昼からのお目見えである。
「解った。急で悪いが料理長には食べやすいものを準備するよう伝えてくれ」
「承知しました」
私がそういうとイェルハルドはすぐに申次を呼んで言伝する。
その隙に、私はまた溜息をそっと吐いた。
愛すべき妹。
そう、愛すべきなのだろう。
だが、誰にも言ったことが無いが、私はあの妹が苦手なのだ。
常に白粉でも塗ったかのような顔色で、見ているといつ倒れるか気が気でない。
私は生まれた時から健康そのものなので、そんな妹をどう扱っていいか未だに判らないのだ。
これが市井の兄妹であればまた違っただろう。
共に育ち、自ら世話を焼けば、苦手だなどと感じている余裕などなかろう。
しかし我らは大公家の者であり、それぞれには立場と側仕えがある。
仕方ないと、そう思わないか?
誰ともなくそう心の中で愚痴てみるが、当然だが誰からの返事もない。
ともかく、それでも、身体の弱い妹が気鬱にならぬよう、私がしっかりしなければならないな。
健康な私とて、病で寝込んだ時などは憂鬱で仕方なく、余計なことばかり考える。
ずっと寝てばかりの妹なら、私のちょっとした嫌気を感じただけで、また余計に心を病んでしまいかねない。
苦手意識など私の問題であり、妹が悪いわけではないのだ。
切り替えよう。
出来るだけにこやかに、愛すべき妹が気に病まぬよう。
昼食の準備が済んだと言伝を受け食堂の席へ赴くと、しばらくしてから妹が側仕えたちとともにやって来た。
「おや?」
その姿を遠目に見て、つい小さく驚きの声を上げてしまった。
ただその声は食堂にいた側仕えたちからも同様に上がっていて、偶々重なった。
おかげで目立たすに済んだ。
まぁ、この際、驚きの声がどうであったかはどうでも良く、何に驚いたのか、と言う話が重要だ。
何に驚いたのか。
それは食堂にやって来た妹、エルシィの立ち居振る舞いに驚いたのだ。
いつもよりずっと元気そうに見えるのだ。
それでも知らぬ者が見たらまだまだ足元が覚束ない様子だが、それでもふら付きもせず、誰からの助けもなく歩いている。
また、頬に僅かながら赤みがさし、年相応の好奇心らしい視線をチラチラと周りに向けている。
今までなら補助を受けながら歩くことが精いっぱいで、とてもじゃないが周りに目を向ける余裕などなかったはずだ。
どうしたのだろう。急に身体が丈夫になったか?
「一緒に食事できるなんて、久しぶりだねエルシィ。今日は随分顔色が良いようだ」
席に着いたところを見計らって声を掛けてみる。
すると妹も笑顔を返してきた。
「ごきげんよう、お兄様。いつ振りかしら」
あれ、うちの妹、こんなに可愛かったか?
ああ、いや、いつもは笑顔を浮かべる余裕もなく、聞こえるか聞こえないかくらいのか細い一言がある程度だ。
それが今日はしっかりと聞こえる声で言葉が返ってくる。
こんな妹、初めて見たな。
その後、互いの側仕えが皿を運び、食事が始まる。
「これは何だろう」
妹は、早速スープに入った小さな団子をフォークに刺し、しげしげと眺めて小さく言った。
そして恐る恐ると口に運ぶと、気に入ったようでニコニコしながら頬を抑えた。
「それは蕎麦の団子だよ」
「蕎麦、でしたか」
私が言うと、納得の回答を得たかのようにパァと笑顔を広げた。
我らが国土であるジズリオ島はまるで砂浜のように水はけが良すぎる場所が多く、農作物が育てにくい。
その為、荒れ地でも育つという蕎麦を多く植えている。
だから蕎麦は我らにとって馴染みの深い食材だ。
エルシィもそれが判って嬉しいのかもしれない。
それからも、スープを飲んでは「ふむふむ」と頷き、子山羊肉のステーキにナイフを入れては、柔らかさに「おお」と驚いたりしている。
何かチマチマとした動きが小動物のようで面白い。
いつもなら育った山羊の肉でもう少し歯ごたえがあるものが出るが、今日は料理長も言いつけ通り気を使ってくれたらしい。
柔らかさで言えば魚もありだと思うが、小骨の事を考えると比べて食べやすいのはやはり肉だろう。
「この香りはコリアンダーかな?」
ニコニコしながら何かつぶやいてるな。エルシィも気に入ったようだ。
島国で魚介類は豊富だが、子供はやはり肉が好きだしな。
もちろん私も肉の方が好きだ。
それにしてもこの子山羊、噛むまでもなくまるでとろける様な舌触りだ。
元々子山羊の肉は柔らかいが、さらに何か工夫があるのだろう。
古の神ティタノヴィア様のおわす焔の山を中心としたジズリオ島で飼われる家畜は、山羊が多い。
これも馴染み深い食材だけあり、よく研究されている。
さすが大公家の料理長だ。
一通りメニューの確認に満足したのか、妹がこちらに目を向ける。
「お兄様は普段何をしているのですか?」
唐突な質問に少し面食らったが、そういえばこんな話をしたこともなかったな。
「毎日変わり映えのないお仕事だよ」
そう前置いて、とりあえず今日の話などをしてみる。
妹は感心気に「ほうほう」と相槌を打って聞き、たまに疑問を投げかけてくる。
今までこんなことに興味なかったのは、身体のことで精いっぱいだったのだろう。
すると、やはり妹は八歳になって少しは丈夫になって来たということだろうか。
丈夫になって、周りのことにも興味を持つようになって来たということだろうか。
「お兄様はお忙しいのですね」
「エルシィがもう少し大きくなって丈夫になったら、いろいろ手伝ってもらうことにするよ」
そう言うと、キョトンとした表情で少し考え、妹はコクンと頷いた。
「お任せくださいませ。これでも商売のことなど、ちょっと得意なのです。何せ商社マンですから」
その顔と来たらやけに得意げで、思わず笑いが漏れた。
八歳で、身体が弱くいくらも外に出たことない妹が、なぜ得意ごとがあるなどと堂々と言えるのか。
なにやら微笑ましくて、しばし笑い続けてしまった。
しかし、なぜ妹は急に元気になり、そしてこんなに快活になったのだろう。
そんな疑問を抱きながら、答えを求めるでもなく口にする。
「それにしても、今日は本当に顔色が良い。エルシィも八歳になって少しは丈夫になってきたのかな」
妹は少し考える風にしてから、ニコリと笑った。
「ええ、女神さまのご加護なのです」
女神?
この島におわす古の神は確か男神だと伝えられるし、帝国が祀る新教の神も「父なる大神」と呼ばれるくらいだから男神だろう。
女神とは、どこの神だろうか。
訝しく思ったが、この世界にはたくさんの神々がいらっしゃるのだから、エルシィにはエルシィが思い祈る女神がいるのだろう。
そう納得することにした。
そうだ、妹が健康になるというなら、どんな神にでも祈りを捧げてもいい。
「これからは体調の良い時に少しずつ出歩いてみようと思います」
そう考えを巡らせている間に妹はフンスと息を荒くしてキリリと眉を上げた。
ははは。可愛いな、私の妹は。
「そうか。それは良いね。でも程々にね」
元気になった、と見えても今朝まで体調も悪かったのだ。
これも一時のことかもしれない、と心配しつつ、私も名を知らぬ女神に妹の健康を祈ることにした。
その日の夕食時、妹はやはりまた体調を崩したそうで、独りで摂った。
まぁ、あの妹が、そう簡単に健康にならないか。