069公国の将軍
いつまでも据え膳で話しているのも……というカスペル殿下の一声で朝食は始められた。
食べながら、カスペル殿下は真剣な顔で妹姫に申し出る。
「エルシィ。私に元帥杖を預けてくれないか?」
「なぜです?」
すでに元帥杖の権能と家臣の力を以ってハイラス伯国へ攻め込もうとやる気満々だったエルシィは、思いもしなかった申し出にきょとんとして首を傾げた。
ともにテーブルへ着いたバレッタやアベルは、運ばれてきた朝食の皿をやっつけるのに夢中になっている。
そんな二人を尻目に、カスペル殿下は言葉をつづけた。
「今回はとても助かった。本当だよ? だけどいつまでもエルシィが血生臭いことをすることはない。
そういうのは兄である私にやらせて欲しいんだ」
手柄が欲しい。
兄より優れた妹に嫉妬している。
そんな様子は露ほどもない。
彼の顔には、ただひたすらに妹姫への優しい気遣いだけが見て取れた。
だから、という訳ではないが、エルシィは首を横に振る。
「お母さま……いえ、国主不在の今、後継者のお兄さままでが危険に飛び込んでどうしますか?」
これにはカスペル殿下の近衛士たちも静かに首肯した。
オマケにフレヤから「エルシィ様なら危険にさらしてもいいと?」と難癖をつけられて困っていた。
別にエルシィはいらん子という訳ではない。
感情を排除して理性的に国の行く末を考えるなら、確かに次期国主が国に残ってくれる方がいいのだ。
側仕えの一部がにわかに睨み合いを始める中、エルシィはにぱっと笑顔になって話を続ける。
「それに元帥杖の権能はわたくしが授かったのですし、ここは責任があります。
そのための家臣も神様からお譲りいただきましたしね」
この時はさすがに、話が自分らに振られたと気づき、姉弟は食べのをやめた。
ちなみに口には出さなかったが、カスペル殿下には他の思惑もあった。
戦闘状況にあった時の、エルシィのおかしなテンションについてだ。
キャリナが来てからまるで正気に戻ったかのように雰囲気が変わったところを見れば、やはり自分の心配は杞憂ではなかろう。
出来ればエルシィがのっぴきならない危険に晒される前に、あの杖を取り上げたかったのだが。
またエルシィにも同様に、口に出さない思惑があった。
やはり心配はあの高揚に関することである。
元帥杖はたしかに便利な機能満載の神アイテムだが、なにやらリスクもありそうだ。
だとするなら、やはり時期国主である兄殿下に持たせるわけにはいかない。
エルシィという少女は本来ならすでにいないわけだし、その身体を操っている自分は所詮異世界の人間なのだ。
毒を食わば皿までとはよく言ったもので、リスクは自分一人が引き受けて、すべてが終わった後に奇麗になくなるのが良い。
そうした決意じみたことを考えていた。
二人はしばし無言で視線を合わせていたが、フッと笑って肩を竦めた。
「……そうか。エルシィはなかなか頑固だね」
エルシィの意思が固そうだ、ということを読み取り、カスペル殿下も根負けした。
どうせなら負けついでにエルシィがやりやすいようにしてやろう。
と彼は少々引き締めた顔で口を開いた。
「では公女エルシィに臨時の公国将軍位を与える。
将軍府を開き、ハイラス伯国征伐の軍を整えよ。
……騎士、警士を好きに使って良いから、お母さまと無事に帰ってきておくれ」
この言葉で侍従の一人が急ぎ食堂の外へ出て行く。
申次に伝令するなどして、今の命令を正式なものとする為の根回しをするのだ。
エルシィはこれを畏まって拝命し、そしてとても楽しそうに笑みを漏らした。
「うふふ、お母さまを救い出すついでに、賠償金もがっぽり頂いてきますから!」
そして、少し商人のような顔になったエルシィに、別の心配がムクムクと湧いてくるカスペル兄殿下であった。
食事を終えて部屋に戻ったエルシィは、キャリナから訊ねられる。
「エルシィ様、この後はどうなさいますか?」
いつもならどこかしらの司府の会合などに参加したり、視察という名の散歩に出かけるところだが、壊された施設の調査や修理費用、その他の補償金額の算出などなど、戦後処理でどの部署も大わらわだ。
下手にエルシィが参加するより、プロの役人たちに任せるのが吉だろう。
そのプロたちにしてみたって、今回の出来事は初めてのことなのだから。
という訳でエルシィはやることがない。
ふむ、と考えて少し考えてからすぐに「閃いた」という顔でポンと手を叩く。
いや、やることならあるではないか。それも大忙しだ。
「わたくし、将軍職を拝命しましたから!
これより騎士府に赴いて、現状の把握にお勤めしたいと思います!」
昨日の最後辺りは疲れでふにゃふにゃだったが、翻って今朝は元気いっぱいだ。
一晩ぐっすり寝て、朝ごはんもお上品にガツガツ食べたらもう体力回復。
これが若さか、とキャリナは少しだけ羨ましさに潤んだ目をそらした。
「ではお召し物はどうしましょう。
いつも運動用に着ている乗馬服になさいますか?」
そう言葉をはさむのはもう一人の侍女グーニーだ。
「いえ、ここはこちらのワンピースが良いかと存じます」
対してほんわかした声ながらに力強く語りながら白系統にまとめられた清楚でフワフワなスカートを掲げて来るのは、たぬき顔美人の近衛士フレヤさんである。
彼女の唐突な推し行為に、侍女とエルシィは怪訝そうに首をかしげて視線を寄せた。
「フレヤ。あなたいつもならドアの向こうで任に当たってるでしょう。なぜ今日はここに?」
示し合わせたわけではないが、皆の心を代表してキャリナが訊ねる。
「私、昨日から姫様の直臣になりましたので」
フレヤは晴れやかなドヤ顔でのたまった。
え、それだけ?
とエルシィは目を点にした。
確かに元帥杖の権能に乗せる為、フレヤも登録家臣の一員となった。
ただエルシィにとってこれは、いわば会社社屋に入るためにIDを発行した程度の認識だった。
だがどうやらフレヤにとってはそれ以上に誉高い何かだったようだ。
「そ、そうですか」
苦笑いを浮かべながらエルシィは小さく頷き、彼女に強く言うことを諦めた。
まぁ、護衛はここでもできますし、それにドアの向こうにはヘイナルもいることですし。
部屋の外で、一人真面目に歩哨の任に当たるヘイナルは、なぜかこの時鼻の奥がむずがゆくなり、小さなくしゃみをした。
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