064遊撃兵の降伏
路地裏と呼ぶには少し広い場所で、八振りの長剣を自在に操る少年アベルと、彼を突破してジズ公国防衛群の背後を突きたい遊撃隊は向き合って動きを止めた。
とは言え、客観的に見れば勝負は決している。
アベルは肩で息するでもなく、威嚇するように長剣たちを宙でクルクル回しているし、対する三〇人からなる遊撃隊の面々は、手にしていた槍をすべて叩っ斬られほぼ戦意を喪失しているように見える。
まだ腰には予備武器として短剣が残されてはいるが、これを抜いたからと言ってアベルに敵うとは思えない。
ゆえに、彼らは自分の命の行く末を気にして、アベルの動向へ注視していた。
アベルもまた、彼らの動きに注目している。
こっちとしては、これ以上戦いを続けるならもう彼らを斬り刻むしかないので、できればやりたく無いなぁ、という気持ちで幾らか気まずそうでもある。
と、そこへまた彼の主君より言葉が降りて来た。
「アベル、聞こえますか?」
大公執務室から虚空モニターを通して呼びかけるエルシィだ。
「はい、大丈夫です。
言われた通り、敵の槍はすべて排除した……しました。
短剣もすべて取り上げるか?」
「そこまではしなくてオッケーです。
では彼らに降伏勧告をお願いします」
「降伏勧告……?」
何か策があるのかと思っていたが、あまりにも普通な言葉が出て来たのでアベルは首をかしげた。
まぁ命令は命令だ。
ほぼ決しているとはいえ戦闘はまだ終了していない。
戦闘中に上からの命令に疑問を持つのは、すなわち死を意味する。
武神にして軍神であるティタノヴィアから、アベルはそう教育を受けていた。
なので彼は首を小さく振って疑問を消すと、すぐに言われた通りハイラス伯国の遊撃兵へと声を投げかけた。
「勝負は決した。これ以上やるというなら相応の覚悟をしてもらおう。
だがここに機会は与えるよう主君よりお言葉をいただいた。
降伏せよ。しからば貴官らの生命は保障されるだろう」
硬い文言を慣れないながらに一生懸命読み上げる。
現状を知らない人がこの時の彼だけを見たなら、国語の教科書の朗読を課された児童を見るような、微笑ましい眼差しを送ったかもしれない。
だがハイラス伯国兵にとっては死活問題であり、誰もが真剣な目で聞き届け、そして顔を見合わせてから腰の短剣を路地へと放り投げた。
もう抵抗しない、という証に残された武器を捨てて見せたのだ。
この時、わずか数人ではあったが、まだ反抗のチャンスを窺っている者もいた。
彼らは短剣は捨てたが、鞘から小柄を抜き取って手に忍ばせていたのだ。
その反抗者たちは頭を下げつつも、その表情では歯を食いしばり、アベルが油断して近づいてくるのをただただ待つ。
しかし、彼らにチャンスは訪れなかった。
なぜなら、彼ら遊撃隊の面々が短剣を捨てて頭を垂れ、そうして恭順の意を示した直後にそれが起こったからだ。
途端、遊撃兵全員の足が、硬直したようにピクリとも動かなくなった。
「な、なんだこれは!」
いち早く気付いた者が悲鳴を上げる。
そう、ただ硬直しただけではないのだ。
彼らの脚はつま先から徐々に、石へと化していったのだった。
これにはアベルも目を見開いた。
驚きつつ空を振り返る。
思わずという行為だったが、当然そこにエルシィはいない。
が、エルシィもすぐアベルの仕草に気づいて答えた。
「これも元帥杖における権能の一つですね。
『勧告』といって、降伏を受け入れた者は、戦闘が終結するまで動けなくなるそうです。
まさか石になるとは思いませんでしたけど」
どうやらそういうことらしい。
アベルは「なんだこのままってわけじゃないのか」とホッと息を吐いた。
だがそんな事情を知らない遊撃兵たちはたまったものではない。
どんどん石化していく自分の身体に恐怖した。
「た、助けてくれ! 命は取らないって言ったじゃないか」
誰かが泣き叫びぶ。
答えて、アベルは姫様から承った言葉をそのまま伝えた。
「これは我が国を侵した罰です。しばらくそうして悔い改めてください」
これで三〇人のハイラス兵は、完全に心を叩き折られた。
ハイラス伯国将軍スプレンド卿は、強敵を前に楽しいひと時を送っていた。
なにせ彼としては、自分は戦にはすでに負けているという意識で、だからこそいつもの親善試合の様な余裕があった。
対してジズ公国騎士府長ホーテン卿の方はそれほど心に余裕はなく、だからこそ鬼気迫る勢いでスプレンド卿を打ち据えていた。
傍から見れば敵を仕留めんと追い回すホーテン卿と逃げ回るスプレンド卿という構図に見えたかもしれない。
まぁ、スプレンド卿自身は戦という枠組みにおいて負けてはいるが、まだハイラス伯国が負けたわけではない。
それゆえ、こうして時間稼ぎのようにホーテン卿をこの場につなぎ留めているのだ。
しかし、だ。
と、スプレンド卿は強烈なホーテン卿の斬撃を受け止め、そこから変化して襲い来る連続攻撃を必死にかわしながら口を開いた。
「ホーテン卿! そなた、この歳になってまた腕を上げたのではないか?」
初めこそ互角に打ち合っていたが、時が経つほどにその差が見えて来た。
スプレンド卿の切先は次第に鈍り、逆にホーテン卿はむしろ技が冴えてきたようにも見える。
互いに六〇歳を超え、これから先は衰えしか見えてこないような老境である。
どちらも国では頭を張るような超人であれば、余人にはその衰えも見えぬものだ。
それでも、達人の域にいる者だけが判るレベルで、彼らは衰えつつあったはずだ。
以前あった時の仕合でも、そう感じていた。
ところがどうだ。
今日のホーテン卿と来たら、下手すればその時よりも技が鋭く、そして流れるような美しささえあるのだ。
そんなスプレンド卿の戸惑いを受け、ホーテン卿は鬼の形相からチラリと笑みを覗かせる。
「そうか、ふむ。やはりこういうのは外の者と仕合わねば判らぬものよの!」
答えになっていない言葉を返し、ホーテン卿はまた一撃を放つ。
実はこの上達にはエルシィから学んだ太極拳が作用しているのだが、スプレンド卿にはそんなことを知る由もない。
スプレンド卿はたまらず後退して距離をとる。
これは、ホーテン卿との仕合でも負けるか。
悔しさはあまりなかった。
すでにできる限り現状を維持することばかりに必死の自分と、この期に及んで技量を上げているホーテン卿とでは、もう比べるべくもない。
半ば負けを認め、大剣の先をわずかに下げたその時だった。
これまで降っていた雨はいつの間にか完全に止み、雲の合間から眩い陽の光が降り注いだ。
いや、まぶしすぎる。
その光は太陽のものばかりではない。
訝しんで空を見上げれば、差し込んだ光芒に何かがいた。
天使の梯子などとも言われる光の橋に乗る様に、後光を放ちながら天から舞い降りて来たその者は、まだ幼い少女であった。
それはティタノヴィア神より権能を授かりし姫君、エルシィである。
「ああ、この国に攻め入ったのは、間違いであったのだな」
この光景に目を奪われつつ、スプレンド卿はそう呟いた。
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