061剣の舞
歩兵戦、騎兵戦、それぞれの戦場のちょうど中間あたりになるぽっかりできた空白地帯で、二人の偉丈夫が剣戟の音を響かせる。
どちらも馬上にあり、巧みに手綱をさばいては良い位置を得ようと狭い範囲で駆けずり回る。
片やジズ公国において並ぶもの無し、騎士府長ホーテン。
片や音に聞こえしハイラス伯国は金の美髪卿、将軍スプレンド。
この戦いは余人が付け入る隙など、感じさせるようなものではなかった。
ホーテン卿が通常の三倍は重い特製のグレイブを振るえば、スプレンド卿は手にしていた突撃槍にて捨て身で受け流す。
そして落とした突撃槍に代えて鞍に提げていた両手持ちの大剣を引き抜く。
突撃槍とはその名の通り、騎馬突撃の為に特化された槍である
そのため、ひと所に留まって戟を交わすには向いていないのだ。
ゆえに、スプレンド卿はそれとは別の武器を用意していた。
その武器こそ、柄も入れた長さが人の背ほどもある長大な剣だった。
これほどの大剣、そこらの者であれば一振りだって臂力が持たないだろう。
その大剣を振るうだけの臂力と技量を、スプレンド卿は充分に備えているのだ。
「くはは、貴様はそうでなくてはのう!」
スプレンド卿が抜いた大剣を目にして、ホーテン卿は嬉しそうに笑い声をあげる。
それは見る者を怯えさせるような獰猛な笑みだったが、これを受けたスプレンド卿も嬉しそうに口角を上げた。
「さぁホーテン、決着と行こうか!」
「望むところよ!」
叫び、二人は互いの武器をカチ合わせ、そして競り合うのだ。
これを一合、二合と繰り返し、合わせては間を取り、寄せては打ち合いもう何十と繰り返したころには、二人ともすっかり肩で息をし始める。
それでも、まだまだ決着の行く先など誰にも見えなかった。
そろそろ何か変化が欲しいな。
ホーテン卿は相手の動きを見逃さぬよう目を見張りつつ、そんなことを考えた。
互いに消耗が激しいことを見とり、このままでは平凡以下の戦いまで落ちてしまうことは見えている。
どんな優れた戦士でも、疲労で体が動かなくなれば凡夫以下となるのは自明の理だ。
ならばこそ、この辺りで相手の隙を作りたい。
そんな思いからもあり、少しばかり囀ることにした。
「のうスプレンド卿。
貴様がこうして俺を足止めしているというのに、頼みの遊撃隊どもは一向に姿を見せんな。
ひょっとして道に迷っておるのではないか?」
「む、確かに遅いな?」
言われ、スプレンド卿もいぶかし気に小首をかしげた。
遊撃隊が出動したのは彼らが激突するより前だ。
戦場を迂回しているとはいえ、たかだか合計五〇〇がぶつかる場を避けるのには、いささか時間がかかり過ぎているようにも思えた。
いくらなんでもそろそろジズ公国歩兵の背後に現れてもおかしくないだろう。
だが、彼の視線で素早くざっと探しても、それらしい影は見えもしなかった。
「ふむ」
スプレンド卿はここで様々な想定と対策に考えを巡らせようとして、ふと小さく相貌を崩した。
「いや、ご心配痛み入る。
だが今の私はいち兵卒として、お前と戦うためにこの場にいるのだ。
戦場のことを考えるのは楼の指揮官殿に任せるさ」
そんな言葉に、ホーテン卿の方が逆に動揺した。
スプレンド卿を揺さぶるつもりで声をかけたのに、逆襲を受けた形になった。
「将軍であるおぬしが、職務放棄か?」
「お前にも見えていただろう? 船が沈むのを。
私が率いてきた船の一隻がそちらの姫君に沈められ、残りは入港できずに降伏だ。
いわば私は敗軍の将なのさ」
「姫君……エルシィ様が? それはいったいどういう……」
ホーテン卿の頭は混乱しつつあった。
確かに船が沈むのも、残りが入港してこないのもここから見ていたので知っている。
だがそれを成したのがエルシィ姫だというのがどうにも解せなかった。
意味がまったく解らない。
だが対峙するスプレンド卿は、彼に考える余裕など与えてはくれなかった。
「さぁ、話は終わりだ。
私たちが今こうしているのは茶会の為ではないのだ。
行くぞホーテン!」
こうなれば一廉の武人であるホーテン卿もすぐ切り替えてグレイブを構え、やってくるだろう斬撃を待ち構える。
「そうであったな。
茶会などは引退すれば飽きるほど出来る。
それまでは存分に打ち合おうぞ!」
彼らの果し合いが、再び始まった。
思わず足を止めたハイラス軍の遊撃隊だが、隊長は「これはマズいことになった」と奥歯をかみしめた。
彼らの歩を止めたのは、どう見ても子供だ。
そしてどうやったかは判らないが、彼らの前に突き立った数本の長剣。
まず剣が石畳を割って突き立てられるということが尋常ではない。
が、それ以上に気になるのは、大人でも扱いに苦慮する長剣が数本、そこに飛来したということだ。
または彼以外の戦士が周辺に潜んでいることも考えられる。
もしやこの子供は囮か?
とさえ疑った。
だが、と隊長は考え直す。
かの子供から感じるのは、まるでベテラン古兵の様な強者の気迫だ。
油断のまま前へ出れば、たちまち斬り伏せられても不思議はない。
そういう圧を感じられた。
とは言え、それでも行かねばならないのが彼らの任務である。
ここで躊躇していれば、場合によっては戦場の様相は一変していてもおかしくない。
どうする?
ここまで数秒の時間経過ではあったが、彼は迷い、無意識に半歩だけ下がった。
これを見咎めたか、それとも焦燥に駆られたか、隊員の一人が前に出た。
担いでいた槍を真っすぐに構え、一直線に少年へ向かって駆けだしたのだ。
「たかが子供一人にビビってんじゃねぇ!」
それは躊躇していた隊長以下へ向けたのか、それとも自分を鼓舞したのか。
ともかく中堅ほどの歳のその隊員は、突き立った長剣のラインを蹴散らしながら駆け寄った。
少年がちょっとだけ目を伏せ、そして呟く。
「それがお前の選択か……なら覚悟はいいな?
かわして見せろ、剣の舞!」
叫び、少年・アベルはオーケストラを導く指揮者のように両手を振り上げた。
すると警戒線を形成していた数本の長剣が舞い上がり、突進してきた男の身体を斬り裂き、そして突き刺した。
一人の遊撃兵に対して数本の長剣。
彼の手足はたちまち飛び、そして臓物が路地へと滴り落ちる。
突如現れた、予想もしなかった陰惨な光景に、他の遊撃隊メンバーはさらに半歩、後へと下がった。
この惨劇は大公執務室にも当然映し出されており、多くが目を伏せ、反らし、何人かは吐き気を催して部屋の隅へと下がった。
憎き敵兵の最期とは言え、つい先日まで平和を謳歌していたこの国で、死刑すら長らく実施されていない平和な国で、このようなグロ画像を急に見せられれば是非もない。
当然、国主代理であるカスペル王子もまた口元を覆って顔をしかめた。
ところがこの大公執務室で一人だけ平然としている者がいる。
武官であるメリクスですら渋い顔なのに、である。
誰あろう、元帥杖をその手に握るエルシィ姫その人だ。
「うーわー。アベルの技、すごいけどエグいですね……」
エルシィは虚空モニターを眺めながらつぶやく。
彼女からすれば、まだ丈二だった時代にもっとひどい惨劇を中央アジアのとある国で目にしているので慣れたものであった。
あの時は銃撃戦に遭遇し、弾丸で蜂の巣になった人間を何人も見たのだ。
蜂の巣、というよりミンチだった者もいた。
そうした修羅場を過去に垣間見ていたからこそ、エルシィは取り乱すことなく、この場面を受け止めた。
だが、そうしたエルシィの姿を、皆は異常なモノを見るような目で恐れた。
兄殿下カスペルはこの現象を、彼の仮説を裏付けるものと考えて、より深刻そうに妹姫を見つめた。
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