060立ちふさがる童
突然のスプレンド卿参戦。
この登場に驚愕したのは何もジズ公国側だけではない。
ハイラス伯国の兵たちも大いに驚いた。
が、一部の首脳陣以外はこのサプライズに、おおよそ「うちの指揮官もやるな」と感心するに至った。
自分のあずかり知らぬところで評価が上がった青年指揮官もまた、目が飛び出しそうな勢いで指揮官用の楼から身を乗り出し当のスプレンド卿を凝視する。
「な、なんであのお方が……」
つぶやき、軍属からつけられている従僕の視線に気づいて「コホン」と取り繕った。
おっとイカンイカン、指揮官が取り乱しては下の者も狼狽える。
そう考えながら呼吸を整え、さっきの狼狽とは打って変わって胸を張った。
「はっはっは、すべて計算どーり!」
細かい様子など解らない楼の下の兵たちは頼もしい青年指揮官の言葉に「おお!」と感心し、従僕はすっかり白けた視線を彼に向けるのだった。
まぁ、それが計算通りだろうと降って湧いたハプニングだろうが、現場の人間にとっては現象上関係ない。
とりあえずこれで遊撃隊が自由になった分、ハイラス伯国の優勢が保たれたことこそが重要だった。
特に鬼騎士ホーテンに襲われかけた遊撃隊の面々はこの幸運に感謝し、その勢いで士気も上がった。
「よし、これで憂いは消えた。スプレンド卿を応援しつつ、我らが任務を果たそう!」
隊長がそう叫び、隊員は「おう!」と返し、意気揚々と大通りから続く路地へと駆け込んだ。
彼らの任務は、大通りを迂回してジズ公国防衛陣の背後を突くことなのだ。
その、推定未来で背後を突かれることになるジズ公国の歩兵群は、フリーで路地へと入って行く遊撃隊を忸怩たる思いで見送った。
「……ではここは私が」
そんな中、歩兵部隊に混ざってハイラス重装歩兵と押し合っていた一人がそんなことを呟き戦線から離脱しようとする。
主人たる公女エルシィを逃がすため戦場に残った、近衛士フレヤである。
親が獄へと繋がれ孤児として幼少期の幾らかを路地で過ごした彼女にとって、最も得意なのは集団戦ではなく個人戦。
しかも路地裏や暗がりで背後を突く奇襲戦こそが真骨頂であった。
ただ、ジズ公国にそれを知る者がどれだけいるかは定かではないのだが。
ともあれ、そうして戦線から離れようとしたフレヤだったが、彼女が抜けようとした場所が、早くも崩れかける。
「この馬鹿者! 今ここで抜ける奴があるか!」
いち早く気づいたイェルハルドが青筋を立てて怒鳴りつけた。
矢弾が切れた中距離支援部隊は、歩兵戦へと参加していたのだ。
「……ですよねぇ」
フレヤは至極残念そうに呟き応え、スゴスゴと戦線に戻るしかなかった。
背後を襲う遊撃兵が来る前に歩兵の防衛ラインが崩れたら、その遊撃兵を襲う意味がなくなってしまうのだ。
路地へと入った三〇名からなる侵攻軍遊撃隊は、特に邪魔されることもなく進む。
戦場の熱気に当てられているとシトシト降る雨など気にもならなかったが、ひとたびそこから離れるといかにも鬱陶しかった。
「うへぇ、綿入れが濡れて気持ち悪いぜ」
「気持ちは解るが我慢しろよ。重装備抱えた歩兵連中よりはましだろう?」
「そりゃそうだが……はぁ、マジはぁだぜ」
着こんでいる軽装鎧の隙間から流れ込んだ雨が、鎧の下に着こんでいるアンダーウェアにズシリと浸みる。
さっきまで意気揚々であった彼らも、建物の陰で暗い路地と雨ですっかり意気消沈しつつあった。
それでも昨晩と違い市民はあらかた避難した後なので、彼らの進行は順調だ。
進み、いかほどの時間もかからず、迂回出口が見えて来る。
ここまで来れば、守備群の背後はもう目と鼻の先だ。
大通りの比較的明るい光が再び見えてきたことで少しテンションを上げ、彼らはその足をさらに速める。
もうあと数メートルで大通りへ復帰だ。
と、その時だった。
ちょうど狭い路地を通行止めする柵のように、数振りの剣が降り注いで石畳に突き刺さった。
「なっ!?」
路地を進んでいる時に鍋やヤカンが投げられることは想定していたが、さすがにこれは想像の外の出来事だ。
またよく見れば飛んで来た長剣のどれもが骨董品かと思われるほどに古びていて、それでいて良く手入れされているのかピカピカだった。
そして絶句と共に足を止めた遊撃隊にの前に人影が現れた。
「警告する。そこから先はオレの間合いだ。死にたい人から順にどうぞ」
いかにも勇ましい登場だが、その背恰好は明らかに子供だ。
日に焼けた黒い肌、サラサラの黒いカムロ髪。
神孫にしてエルシィ家臣の片割れ。
双子の弟、少年アベルであった。
「ここで彼か!」
大公執務室で戦場を凝視するカスペル殿下が膝を打って感嘆する。
妹姫であるエルシィがアベルを戦場に送ったのは判っていたことだが、これまで一向に登場しないので意識の外へと行っていたのだ。
それゆえ、驚きも大きい。
「ぐっどですよアベル!」
エルシィも彼の登場にご満悦だったようで、円満の笑みを浮かべながら虚空モニターに向けて親指を立てた。
「姫様、一つお伺いしたいのですが」
武官メリクスが試すような瞳で訊ねて来る。
エルシィは彼の思惑など気にもせず、無邪気な様子で首を傾げた。
「なんでしょう?」
「あの少年……」
「アベルね」
「ええ、アベル……殿をホーテン卿の元に送らなかったのはなぜでしょう?」
言われてみれば、と居合わせた諸官の者たちがこの会話に耳を傾ける。
現状その任を離れてスプレンド卿と一騎打ちをしているが、そもそも前線指揮を担っているのは騎士府長ホーテン卿である。
戦場へ送るならまず彼の元へ送って指示を仰ぐのがもっとも一般的な見解だろう。
エルシィは少しばかり肩をすくめながらこれに答える。
「見ての通りアベルは子供ですもの。ホーテン卿がすぐに納得して、アベルを使うと思います?」
言われてみれば至極もっともな話だった。
聞いていた諸官納得して頷くも。
メリクスもまた、彼が想像していた回答だったようで、満足そうに畏まった。
「それにね」
だがそれぞれの納得とは別にエルシィは言葉を続ける。
「今回、アベルは遊軍にしておいた方が良いと思ったのですよね。
まだアベルの力は見てないけど、モノによっては周りに味方がいない方がやりやすいかもだし」
「しかし姫様も言った通り、彼は子供ですよ?
三〇名を相手に大丈夫でしょうか」
そう訊ねるのは内司府長だ。
あの双子が普通ではない、とは、もうなんとなく解ってはいるが、それでも常識的に考えて子供である。
武装した大人三〇名に対し戦いを挑むのか問われれば、目を覆うのが良識ある大人というものだろう。
これについてはエルシィも具体的な彼の力をまだ知らないので何とも言えない。
だがそれでもエルシィは自信ありげに答えた。
「大丈夫、『オレは負けない』って言ってましたし!」
その言葉に、執務室の皆は「おお」と小さく感心し、再び彼の戦いを見ようと虚空のモニターへと視線を向けた。
そんな中、ここに残った家臣登録者の一人、近衛士ヘイナルがこそっと耳打ちする。
「姫様、今のもしかしてアベル君のモノマネでしたか?」
エルシィはごまかす様に視線をそらして、鳴りもしない口笛を吹いた。
やっと登場のアベル君でした
(登場しただけ)
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