056上陸しないって、本当ですか?
港では上陸将とその配下の士官が忙しそうに働いていた。
本隊のうち一隻が入港したところだが、この船に乗るハイラス兵たちを迅速に降ろし、そして船に最低限の補給を済ませ、湾外へと送り出さなければならないからだ。
そうしないと他の船がいつまでも入港できない。
いっそ湾内にいる自分たちが乗って来た船を一時的に出してしまえば、他の本隊も入港できるのだが……。
などと考えつつも、とりあえずは手と頭を動かすことを優先する。
後から考えれば「こうした方が良かった」などと良案が出てくるものだが、なにせ彼らの世代にとってはこれが初めての外征なのだ。
ともかく、今は上陸する五〇の兵の受け入れ、後から来る二〇〇のことも考えつつ配置することこそ先決である。
と、時間に追われつつ頭を掻きむしりながら仕事をこなす上陸将の元に、一人の見張り兵がやって来る。
「陸将閣下、その、報告があります」
妙に歯切れの悪い具合の見張り兵に、ちょび髭上陸将は胡乱な目を向ける。
「なんだね。今忙しいのだが、急ぎかね?」
「は、その……旗艦が」
「旗艦? スプレンド卿の御座す船が、まさかもう入港して来たのか?
あの方もせっかちだなぁ」
さらなる激しさで頭を掻く上陸将に、見張りの兵士はオズオズと報告を続けた。
「いえ、スプレンド将軍の旗艦が、沈みました」
「なん……だと?」
上陸将は愕然とし、そして手に持っていた書類を放り投げて駆け出した。
そして船と船の間から沖が見える場所まで移動して、湾外の船を数えてみれば、確かに一隻足りないではないか。
「ど、どういうことだ?」
「判りません」
上陸将の言葉に、追いついてきた見張り兵が答える。
「まさか座礁か? あんなところで?」
「いえ、分かりかねます」
「では何があったのだ!」
「小官にも解からないのです!」
そしてまた上陸将は愕然とした。
しかし、である。
一隻が消失した。いや、報告によれば沈んだらしいが、まだ他は健在である。
沈んだとはいえその船の兵が全滅したわけでもない限り、多少減ったとしてもまだ敵に倍以上の差がある。
落ち着け。落ち着くのだ。
上陸将はふーっと長く息を吐いて心を静める。
そうだ、まだ勝てる戦争なのだ。
スプレンド将軍の安否は気遣われるが、自分は自分で預かる兵がある。
それに将軍不在でこの遠征を成功に導けば、少なく見積もっても年金階級が上がるのは間違いない。
そう、自分に言い聞かせて上陸将は立ち直り、ふと気になった。
「なぜ沈み始めてすぐに報告しなかった?」
「は、まことに言い辛いことですが、皆、誰かが報告しているものかと……」
なるほど。
こんなところも初の遠征で浮足立っているということか。
と上陸将は深くため息を吐いた。
ともかく、確かに戦力は目減りするだろうが、まだ優勢はゆるぎない。
ならば現状の受け入れ作業を粛々と続けるのが吉と見た。
「想定外の事件ではあるが、だからと言って今更退けんだろう。
お前は見張りを続けろ。
俺は向こうの仕事を続ける」
言って、元の場所へと戻ろうとしたところで、上陸将はまた引き戻された。
「は! と、ちょっとお待ちを!」
「今度は何だ!」
「いえ、小舟が近づいてきます」
「む?」
瞬間イラつきはしたが、報告に沿って海を見れば確かに連絡用に使われる小舟が港に入ってきていた。
おそらく沈没事故の顛末でも聞けるのでは?
そう期待して上陸将はその場に残った。
とは言え、小舟が見えてからここまでやって来るのにしばしかかった。
イライラしながら「一度戻って仕事してればよかった」などとため息をつき、近づいてきた小舟に乗っている者を見る。
大柄だが猫背のハイラス兵だ。
妙に鎧がずれていたり毛布をかぶっているが、おそらく沈没した船に乗っていたせいもあるだろう。
と港の者たちは同情じみた視線でかの者を眺めた。
上陸将は小舟が声が届く場所まで来るのを待ってから、大声で問いただす。
「おい、いったい何があったんだ!?」
この会話には集まった兵士たちも皆、ざわつきながら耳を傾ける。
はたして、小舟の者は漕ぐ手を止め、両手をメガホンのように口に添えて答えた。
「スプレンド将軍閣下のお言葉を伝えます。
『当輸送船団は訳あって入港できなくなった。あとは上陸将がなんとかせよ』
であります!」
「え、えぇ……」
何とかせよって言ったって……。
あまりにも投げやりな将軍の伝言に、上陸将並びに上陸兵たちは、あんぐりと口を開けるのだった。
「こうなれば我々でやるだけです。吶喊しましょう!」
頭を抱えた上陸将にそう進言するのは、昨日、鍋の直撃をくらって目を回していた青年副官だ。
彼は「今度こそは」と鼻息を荒くして上陸将へと迫った。
上陸将は「こいつふん縛って海に投げ込みたいな」とため息を吐く。
とは言え、この若さでこの地位にいるのは相当なエリートの証であり、実は家柄も上陸将なんかよりよっぽど良いのだ。
そんなことをすれば後々面倒になるのは必至である。
若い副官がギャーギャーと進言するのを聞き流しながら、上陸将は思案する。
元の二五〇と先ほど上陸した五〇。併せて兵力三〇〇だ。
対して防衛側のジズ公国兵は約二〇〇。
数の上では勝っているが、何かあればひっくり返ってもおかしくない戦力差である。
特に相手にはあの鬼騎士ホーテン卿がいて、こちらに飛将スプレンド卿がいない。
これで防衛線を破り攻めあがるのはかなり厳しい。
「うん、無理だな。俺は英雄の器じゃない」
考え、上陸将は小さくそう呟いた。
だが、しかし。である。
対面してにらみ合っているのだ。
こちらがケツをまくれば、向こうさんは途端に襲い掛かって来るだろう。
ただでさえこちらは背水なのだ。
「とすると……」
「上陸将! やっとやる気になりましたか!
なーに、まだこちらの方が数は多いのです。平和ボケした島国の兵など、私が一蹴してやります!」
そうまくしたてる青年副官の肩を叩いて妙にさわやかな笑いを浮かべる。
昨日、兵士でもない市民が投げた鍋で気を失った男が、まぁ威勢のいいことで。
などとは口に出さず、上陸将は彼に命じた。
「よし、今ある兵力でひと当てする。
急ぎ準備させ、お前が指揮をとれ」
「わ、私がですか!?」
その言葉を受け、早速回って来た大きな名誉挽回の機会に青年副官は震えた。
それは喜びの震えであり、武者震いであり、そして不安の震えでもあった。
だが彼もよく解っている。
ここまで来たら、やるしかないのだ。
眼前に敷かれたジズ公国の防衛線を叩き潰し城へと攻め上がり、そしてこの島をハイラス伯国の新たな領土とする。
そのために彼らは海を渡って来たのだ。
「はっ。前線指揮の任、確かに拝命いたしました!」
青年副官は背筋を伸ばして敬礼を挙げ、早足で上陸将の前から去っていった。
「やれやれ、彼の戦術的才能が花開き、わが軍に勝利をもたらすことを祈るばかりだ」
上陸将は肩を竦め、こっそりと撤退の準備を始めることにした。
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