053悩める首脳陣
ジズ公国城天守四層。
そこにはカスペル殿下と彼の側仕えたち、そして城へ攻め入られた場合の指揮を執る騎士府の武官や各司府の上位職の者たちが詰めている。
そのすべてが、沈痛な面持ちで祈る様に押し黙っていた。
と、そこへ申次の小者がやって来る。
これは戦場と城を行き来して、状況を伝えるための伝令役だ。
「申し上げます。沖合に停泊していた敵船団が上陸を始めました。
すでに湾内がいっぱいなため、一隻ずつ上陸をするようです」
「そうなるだろうな。
よし、報告御苦労、その方は他の者と交代して休め」
カスペル殿下に代わって近衛士クリストフェルがそう言うと、申次は「はっ」と頭を垂れて下がっていく。
大公執務室はいよいよもって見えぬ重圧に潰されるかと言う雰囲気だ。
戦争が始まる。
いやもう始まっているのだ。
その事実が、彼らの身体を、気持ちを硬くした。
ここにいる誰もが、騎士府の兵ですら、未だ戦争と言うものを体験したことがない世代だ。
ゆえに誰もが緊張から来る震えや喉の渇きに苛まれていた。
「すでに上陸しているハイラス伯国兵が二五〇、これから上陸する兵数が推定二五〇と言ったな?」
「は、その数で間違いないかと」
カスペル殿下が問い、側近として侍る近衛士クリストフェルが答える。
このやり取りはすでに何度も行われているので、ここにいる誰もが承知している内容だったが、何度聞いてもため息しか出ない。
「対する我がジズ公国軍は二〇〇弱か。せめて城で防衛できればな」
大きなため息交じりでカスペル殿下が言えば、同意とばかりに執務室にいるすべての者が頭を垂れた。
城は政務を執り行うための施設でもあるが、そもそもの根本は防衛施設である。
城に立てこもって防衛戦を行うなら、敵より少数でもやりようはあるのだ。
だが、今回は港街の大道上で半分会戦のような状況になるだろう。
これでは数の不利がまともに現れて来る。
約五〇〇対二〇〇以下。
これは会戦においては絶望的な戦力差となるだろう。
「一応、馬車を使ったバリケードは敷いていますが……」
「大きな効果は望めんでしょうな」
と、これはクリストフェルと騎士府士官メリクスのやり取りだ。
メリクスは騎士府所属だがどちらかと言うと文官肌で、今回はいざと言う時、城防衛の指揮を執るために残された留守居役だった。
さて、バリケードのについてだ。
敵の接近まではバリケードを使って弓や投石と言った攻撃が効果を発揮するだろうが、接近されればこちらの歩兵も前に出て戦わないわけにはいかなくなる。
バリケード越しに槍で突く、と言う方法もあるだろうが、それは相手も同じだし、そもそも両軍とも馬車越しに突き合うほど長い槍を持ち合わせていない。
つまりそうなれば、結局はタイミングを計って前に出る方が良いということになる。
乱戦になれば弓は使えず、となれば後はバリケードなど通行を邪魔するゴミ同然となるのだ。
「まだ始まっていないなら、今のうちに退かせるわけにはいかんのか?」
頭を悩ませる軍部にこう切り込んだのは、文官長の一人、内司府長だ。
これにはメリクスは鼻で笑う。
「多少の距離があるとはいえ、すでに上陸した兵とにらみ合っているのですぞ?
引く姿勢など見せれば背後を叩かれるでしょうが」
「ふむ、そういうものか」
「そういうものです」
内司府長はメリクスの態度にカチンときたが、どうやら非常識な発言をしたのは自分のようだと弁え、素直に首肯した。
ともかく、退くも悪手。
待てば状況はさらに悪くなる。
そんな頭の痛い状況で、誰もが重い沈黙に項垂れた。
その時だった。
カスペル殿下が着く執務机のちょうど向かい辺りに、唐突にチリチリとした光の燐粉が舞った。
「……なんだ?」
誰かがそう呟き、そして皆がその怪奇現象に注目する。
初めはそれこそ蝶が舞った後のようにわずかな燐光だったが、すぐに大きくなり、それは大小合わせて三つの人型になった。
近衛士が警戒して腰の差料に手をかけ、武官がいつでも動けるようにと身構えた時、最初に気づいたのはカスペル殿下だった。
「エルシィ!」
その人型の一つは、まぎれもなく彼が愛すべき妹であった。
「エルシィ様?」
一瞬その殿下の声に怪訝そうな声を上げた各々だったが、その言葉が誠だったことを直後に思い知らされる。
光を集めた人型は、すぐにその光量を落ち着かせてその正体を現したからだ。
一人はカスペル殿下の言う通り、ジズ公国大公家の娘、エルシィ姫殿下そのひとであった。
もう一人は三つの中で唯一飛びぬけた背の近衛士ヘイナル。
さらにもう一人は先ほどエルシィの家臣となった少年アベルだ。
誰もが唐突に現れた姫君に驚き、そして武官たちは曲者でなかったことに安堵した。
「エルシィ、いったいこれは?」
カスペル殿下が「もう何から聞いていいのやら」という顔で訊ねる。
燐光と共に突然現れたこともそうだが、そもそも危険から遠ざける為に山へと行かせたのに、前線では戦闘が始まろうというこのタイミングで戻って来るなんて。
ただエルシィは答えず、無言でにっこりと笑って懐に抱えていた元帥杖を宙に差し出した。
「『ピクトゥーラ!』」
エルシィがそう唱えると、元帥杖の先からキラキラとした光が飛び出して虚空に大きな横長の長方形を作った。
液晶モニターに例えるなら一〇八インチ程度の大きさだ。
その虚空モニターが現れたのは、ちょうどエルシィからもカスペル殿下からも見える位置だったが、その表が見えないところにいた者は好奇心に駆られてその長方形の元へとゾロゾロ集まった。
モニター、と表現するからにはそこに画が表示される。
何が表示されているかと言えば、それは大海原の景色だった。
「おお!」
皆が今の状況を忘れてどよめく。
それはそうだ。
この世界、この時代にテレビなどと言うもの存在しないので、このようなものを見るのは誰もが当然初めてなのだ。
そしてその虚空モニターにある人物が映り込んできた。
白いイルカにまたがって大海原を行くバレッタ嬢である。
バレッタはどうしてか見られていることに気づいたようで手を振って来る。
「やっほー、お姫ちゃん。これから作戦開始するわ!」
元気そうなその少女は、キリリと眉を上げて笑いながらそう言った。
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