052迫る船団
ティタノヴィアを祭る社殿の扉を開けて外に出ると、すでに西の空がうっすらと明るくなり始めていた。
「もう間もなく夜明けですね。明るくなれば沖にいた船団が上陸を始めるはずです。
そうすると戦力差でヤバいです」
エルシィはもう昨日のこととなった風景を思い出す。
上陸してきたのが約二五〇名のハイラス伯国兵。
そして沖にもおおよそ同数の兵を積んだと思われる船団がいた。
あの船団が朝一番で上陸するのは間違いないだろう。
対してエルシィの祖国である防衛側ジズ公国は、騎士府と近衛府を中心としたメンバーで防衛線を敷いている。
こちらにどれだけ警士府の歩兵が合流できているか。
出来ていたとして、おそらく最初のハイラス兵二五〇を越えることはないだろうと思われた。
警士府戦力が総勢四〇〇いるとは言え、全員がこの城下に詰めているわけではないのだ。
「船ね。接岸前に沈めちゃう?」
と、頭を悩ませるエルシィに、バレッタが気楽なそぶりで言い出した。
「は?」
一瞬頭が真っ白になり、そしてエルシィは漁船で彼女を見た時のことを思い出す。
おそらくあの巨大イカを仕留めたのも、そして証拠隠滅の為に吹き飛ばしたのもこのバレッタだ。
そうするとあながち彼女のフカしでもないのだろう。
「……出来るのですね?」
「たぶん。でも二隻までね」
意を決して訊ねれば、立て板に水とばかりに返事が戻る。
続けてバレッタはその理由を述べた。
「私の『トルペード』、今のところ一日二発しか撃てないのよね。もう少し大人になったらもっと出せるわ」
トルペードとやらがおそらく巨大イカを吹き飛ばしたタネなのだろう。
この幼い少女があの威力を二発も出せるというのなら、それはすでに脅威である。
エルシィは幾らかの勝ち目を見出してニヤリと笑った。
「そう、なら……」
と、バレッタへと指令を伝えた。
「わかったわ。それだけでいいの? もっと頼ってもいいのよ」
「もっとって、トルペード無かったら姉ちゃん他に何が出来るんだよ」
自信ありげに言うバレッタだったが、すかさず弟が止めに入った。
「あら失礼ね。ホワイティだっているもの。まだ何かできるわ」
「なにかって……」
反論してそんなことを言うものだから、アベルは眩暈を覚えたかのように、手で顔を覆う。
「ホワイティって?」
エルシィはふと気になって訊ねる。
他に出来ることがあるなら知っておかなければ、と言うこともあるが、どちらかと言うと好奇心が先に立った。
「白いイルカよ。あたしの友達なの。お姫ちゃんも見たでしょ?」
「見たって言うか、見てないって言うか」
一応、今回が初対面であるという建前を重んじ、回答をあやふやにするエルシィであった。
気を取り直し、また思案する。
未上陸の戦力が抑えられれば、後はすでに上陸している戦力のことだ。
それだって現状、味方戦力を上回っており、お城を制圧できる可能性を秘めていると言えるだろう。
だが、どうしたものか。
「アベルは剣が得意、と言いましたか?」
迷いうようにエルシィが問う。
バレッタは魔法のような特殊な手段を持っているから戦力として考えられるが、いくら剣が達者とは言え八歳児を前線に送り込んでいい物だろうか。
そのような迷いだ。
だが、バレッタのような尋常ではない手段を、彼も持っているかもしれない、という期待もあった。
アベルはどこまでエルシィの意を汲んだかわからないが、それでも自信ありげに大きく頷いた。
「オレは姉ちゃんみたいにデカいことは言わない。でも、そこらの雑兵に負けるほど弱くもない、です。
これでも、神孫だぜ」
その言葉を聞き、エルシィの決心も着いた。
あとは……。
「ヘイナルは……」
「姫様のもとに残りますよ。私が離れたら、いざと言う時に誰がエルシィ様を守るというのですか」
「ですよねー」
本当は一人でも多く前線へと送り、勝率を上げていきたいところだった。
が、彼の職務を考えればこれは当然の返答だ。
もう一人の近衛士であるフレヤが前線にいるので、もしかしたらと言う思いがあったのだが、当然の帰結である。
これで方針は決まった。
後はやるだけやり、勝利へ向けて各々が努める時間である。
「では、元帥杖を起動しますよ」
エルシィの言葉に、一同は期待に満ちた視線を注ぐ。
左手で元帥杖を地に立てるよう構え、杖の頭頂部にある炎の印を右手で撫で、そして権能を発現させるための言葉を述べる。
「『イニティウム』」
そして、元帥丈からあふれたまばゆい光が、まだ薄暗い山肌と空を照らした。
「警士はいかほど集まった?」
「はっ、一六八名です」
短髪の半分は白髪となっている巨漢の老騎士が訊ねれば、銀の長髪をオールバックにした壮年の騎士がキビキビと答える。
巨漢の老人がジズ公国騎士府の長、ホーテン卿である。
老人と言ったが、その立ち居振る舞いからは老境の片りんは少しも見えない。
ともすれば若い文官の誰よりもギラギラとしたエネルギーに満ち溢れている。
そしてホーテン卿の問いに答えた男は、騎士府副長のヴァーゲイトだ。
ホーテン卿のせいもあり影が薄い男だが、府長をサポートする頭脳に長けた律義者で、武術の腕もホーテン卿に次ぐ実力者である。
「一六八……騎士と近衛士を含めても二〇〇行かぬか。
今、陸にいる連中だけなら押し返すなど訳ないが……。
さて、あの船が来たらいくらワシでもマズいな」
ホーテン卿は港の向こうに広がる海原を眺めて眉をしかめる。
そこには夜が明ければ順に接岸し始めるだろう、五隻もの輸送船団が迫っていた。
「兵数も然ることながら、ハイラス伯国のあの御仁も乗っているでしょうからね」
相槌を打ちつつ、ヴァーゲイトがそんなことを言う。
その言葉に、ホーテン卿はさらに渋面を深めて舌打ちをもらした。
「スプレンド卿か……厄介、いや面倒な」
思い浮かべたのは、ハイラス伯国の将軍職にある男だ。
ジズ公国には現状、将軍と言う官職はない。
いざと言う時は騎士府長であるホーテン卿がその任を務めることになるだろう。
レビア王国の薫陶を受けた国において将軍とは、戦時における臨時の官職であった。
だが、大陸に根を張るハイラス伯国では慣例的にほぼ常設で、騎士府とは別に将軍府が置かれている。
その将軍府の長が、先に述べたスプレンド卿だ。
スプレンド卿は、ホーテン卿の武術におけるライバルだった。
「こんな状況でなければ歓迎の後に勝負、といきたいところだがな」
彼らの嘆きも空しく、船団は刻一刻と港へ近づくのだった。
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