050蛇神様との対話
エルシィが恭しく大公家に伝わる元帥杖を両手で掲げる。
すると杖のてっぺんに据え付けられた炎の紋章が輝き出し、そして次第に大きくなった光はやがてエルシィの全身を包んで消えた。
「継承の儀はつつがなく執り行われた。
これより神託の杖は其方の魂と繋がり、其方のみが扱うことの出来る神器となった」
元帥丈が掲げられた先。
すなわちエルシィの前におわす蛇の姿をした戦の神が、厳かにそう告げた。
「ありがとう存じます、ティタノヴィア様。以後、感謝を忘れず、大公家ある限り奉りますことを誓います」
エルシィは元帥丈を大事そうにかき抱きながら、腰をかがめて礼を述べる。
いわゆる神に対する正しい形式や儀礼などは知らないが、丁寧に心を込めるのが大事だと、精一杯の謝意を示すよう心掛けた。
が、当の蛇神はくすぐったそうに少しだけ身をよじる。
「ふむ、心がけまことに結構。
だがまだ全霊の感謝を述べるの早いのではないか?」
言われ、エルシィは改めて眉をキリリと上げた。
そうだ、神から力を借り受けたからと言って、まだ侵略者どもを押し返したわけではないのだ。
もう今にも夜が明けそうな城下街はどうなっているだろうか。
まだ騎士や近衛たち、そして兄殿下のおわす城は健在だろうか。
すこしだけ意識の端に追いやっていた不安が、また押し寄せて来た。
「エルシィ様、大丈夫です。
ホーテン卿が防衛線を敷いている以上、そう簡単にハイラス兵を通しはしませんよ」
そんな不安を読み取り、ヘイナルはできる限り優しい声で希望を語る。
エルシィもそれは気休めであると解っているが、それでもいくらか気が楽になった。
そうだ、エルシィを抱えてもビクともしない、あの丸太のような頼もしい腕を憶えているだろう。
きっとあの腕が振るう槍で、幾十もの敵兵は打ち払われるに違いない。
そう思えば、心の底から希望が湧いてくるような気がした。
「ではヘイナル、早速この力で皆を手伝いに行きましょう!」
「はい、エルシィ様」
湧いてきた気力で疲労が吹き飛んだ気がしたので、その勢いのままに小さなコブシを挙げる。
するとヘイナルも従って気勢を上げた。
「待て待て、まだ早いというに」
そうして今にも飛び出していこうとする主従に、ティタノヴィアは呆れたように息を吐いて、巨大な蛇のアゴでエルシィの頭にのしかかった。
「ちょ、重い重い重い、つぶれちゃいますから!」
ティタノヴィアにとっては軽い戯れのつもりの行為だったが、なにせ巨大な蛇の感覚は人間としても小さい部類のエルシィには通じない。
重さを支えきれず徐々に沈んでいくように潰されていくエルシィの姿に、ヘイナルは焦って駆け寄った。
駆け寄り、彼女の支える重い蛇頭を共に持ち上げる。
「神様! うちの姫様ひ弱なんですから、ちょっと加減してください」
「おーこりゃスマンかったな」
ヘイナルのそんな言葉にティタノヴィアはペロリと長い舌を出して、肩をすくめるように身をよじった。
圧壊の危機に晒され、息も絶え絶えと言った態でなんとか助かったエルシィは、少々恨みがましい目を蛇神に向け、すぐに思い直して目を瞑った。
この際、多少のお茶目はスルーしていかないと。
なにせ授かった杖の権能の源は、この蛇神に端を発するのだ。
何かの拍子にへそ曲げられ、取り上げられては敵わない。
ここは多少あからさまなおべんちゃらを使ってでも、機嫌よく送り出してもらわないと。
などとエルシィは幾らかズルそうな目つきに変わって考えた。
身内を助けるのに、手段など選んでいられないのだ。
だが結果として、あからさまなおべんちゃらなどは使う必要がなかった。
ティタノヴィアはティタノヴィアで、人間の些細な感情や動向など、気にも留めていなかったからだ。
ともかく、当初の目的として「早速出ていこうとする姫君たちを呼び止める」というクエストに成功した蛇神は、姿勢をまた元に戻して言葉を待つ者たちを見下ろした。
「杖の権能を授けたのは、あくまでも古の契約に基づいてじゃ。
他にもワシから手助けをしてやらにゃいかんことになっておる」
幾分面倒そうにも聞こえるそんな言葉が出たものだから、エルシィはきょとんとした顔で首を傾げた。
「それはなぜです?」
神と人間が契約により加護と信仰を交換するという話は、元の世界でも聞くことのある話だ。
例えば有名な聖書の話になるが、「新約」「旧約」とは「新しい契約」「旧い契約」という意味なのだ。
つまり今、エルシィは大公家が子々孫々、ティタノヴィアを奉るという信仰と、元帥杖の権能を開放する術を交換したと言える。
だがこの蛇神様は、さらに何か助けをくれるというのだ。
エルシィにはそれが少しだけ不思議だった。
そんな疑問を汲んでか、ティタノヴィアは言葉少なに面倒そうに説明を加える。
「アルディスタに頼まれたからの。お前さんに助力してやってくれとな」
また出た。
先ほどからかの御柱様の口から何度か登場する名前「アルディスタ」。
とりあえず話が進まないからスルーしていたが、そろそろ確認しておくべきじゃないか、とエルシィは身構えた。
さて「アルディスタ」とやらが敵か味方か、聖か邪か。
「その、アルディスタとはどなたです?」
と、恐る恐ると身構えて訊ねるが、訊かれたティタノヴィアは「なに言っとんじゃ今更」という顔で首をかしげながら答えた。
「おぬしをこの世界へと連れて来た女神じゃよ。なんで当のおぬしが知らんのじゃ」
これにはエルシィもヘイナルも目が点だ。
まずエルシィの中身がこの世界の者ではないと知っていることに驚き、知ってなお、特に言及しないことに驚き、そして女神を名乗る妖しの正体が本当に女神であったことに驚いた。
いや最後の驚きは疑っていたエルシィだけだが。
まぁ、ぶっちゃけてしまえば、超常の存在であるティタノヴィアにとって、その程度のことは気にもならない些末な事情だったわけだ。
コホン、と蛇神が一つ咳払いをする。
何やら話が逸れていきそうな雰囲気を察し、とっとと元に戻したい、という意思の表れである。
それを察し、エルシィたちも姿勢を正す。
そうそう、杖の権能以外に何か手助けしてくれるという話だった。
「『手助けをする』と言うてもワシら神なる身で直接人の争いに出て行く訳にはいかん。
神々の間でそう取り決めておるからの。
じゃから、ワシが助けてやる代わりにワシの曾々々々々……なんじゃったかの。とにかく孫をおぬしの家臣として与えよう」
「家臣……ですか」
エルシィは怪訝そうに眉をひそめる。
神様の孫と言えばその御方も神様なんじゃないのだろうか。
その神様が人間ごときの家臣になっていいのだろうか。
そもそも、そのお孫さんの意見も聞かずに勝手に決めていいのだろうか。
などという疑問が浮かんだ。
とは言え、人の自由意志が尊重されるのは、そういう意識の発達した社会があってこそである。
まだまだ王権王政の横行するこの世界では、家長の取り決めこそが進退のすべてと言っても良い。
ゆえに、ヘイナルなどは特に疑問も持たずに神妙にうなずき、幾らかの感動に打ち震えた。
なぜか。
自分が仕える姫君が神孫を臣として従えるなど、それこそ伝説に聞くほどの大きな栄誉なのだから。
と、主従がそれぞれの思惑で押し黙るが、蛇神はやはり気にもせず話を進めた。
「では孫を呼ぶとしよう。
アベル、バレッタ。これへ来い」
そうしてティタノヴィアの呼びかけに応じて暗がりからおずおずと出てきたのは、いつか海で会った、幼い姉弟だった。
更新遅れました
理由は自転車のパンクです
……次回更新は来週火曜日を予定しております