049エルシィの決断
「なんとまぁ、嘆かわしいのう。
ワシの名など知らぬと申すか」
大蛇は、それはもう残念そうにため息をついた。
そのしぐさがどうにも人間臭くて、エルシィは思わず小さく噴き出した。
その間にもヘイナルは記憶を辿り、そして一つの回答を得る。
「ティタノヴィアと申されましたか。
このお山の名がティタノ山。
それは確か山に住まう焔の神の名にちなんだと聞いたことがあります。
もしやあなたは焔神に所縁のある御方であられますか?」
その言葉を聞き、当の大蛇ティタノヴィアは可笑しそうに全身を揺らした。
「所縁ではない、ワシがその焔神じゃよ」
そう、答えるものだからヘイナルは腰砕けに膝を折ってしまった。
疲労もあったが、とにかくヘナヘナと力が抜けてしまったのだ。
「神様! でしたか!」
自分の護衛とは裏腹に、エルシィは目を輝かせて声を上げる。
この邂逅に喜びを感じている。そういう声だ。
そんな様子に大蛇はついに笑い出した。
「ほっほっほ、知らずに来たか。ではワシに何か用があって来たのとは違うのか」
「いえ、まさか神様にお会いできるなんて、思ってもみなかったです」
エルシィは素直に首を振りながら答える。
そもそも、中身が元日本人であるエルシィにとって、神様とは「いるかも知れないけど見たことないし、自分の人生に何の関わりもない存在」というものだ。
そりゃ、社殿に行けば手を合わせて拝んだり、場合によって寄進くらいすることはある。
あるが、それがイコールとして「神を信心している」とはならないのが日本人なのだ。
だが、どうやらこの世界では神様とは実際に存在するものらしい。
物珍しさから疲労がすっ飛び、エルシィは興味津々に目の前の大蛇を眺めた。
「エルシィ様、さすがに不敬ではありませんか……」
そんな様子に、腰を抜かしたように膝をついてしまったヘイナルが嗜めの言葉を投げかける。
とは言え、彼自身も信仰心が篤いとは言い難い若者だったので、こうした場合の作法など一切知らないのだが。
「むふー」
ヘイナルの言葉で少し控えたエルシィに、件の大蛇はまるで肩をすくめるかのように身体をよじった。
「なに、余程の無礼でなければ気にせん。
……では、そなたらは何をしにこんなところまでやって来たのじゃ?」
ティタノヴィアは首を傾げて訊ねる。
この小さな娘こそ女神アルディスタの言っていた「小さな姫君」であることは間違いない。
それは彼女が背負っている箱の中にある杖が物語っている。
その杖は彼が大昔に人間へと下賜した契約の証である。
アルディスタはその杖を持って来る「小さな姫君」に力を貸してやって欲しい、と言っていた。
なので彼はてっきりその姫君も自分を頼りに来たものとばかり思っていたのだ。
だがどうやらそれは勘違いだったようだ。
では彼女は何をしに来たのか。
そして自分はいかにして手助けしてやればいいのか。
まずはそれを知らねばならない。
神、などと言っても、彼らは人間より優れた存在なのは確かだが、全知全能ではないのだ。
「えっとえっと」
エルシィは問われた答えをいかに語ろうかと、あごを指先で叩きながら頭の中でまとめた。
そして口を開く。
「この島の向こうから侵略者が来たのです。ですから私たち逃げて来たのです」
とりあえず端的に語ってみた。
嘘や隠し事をするつもりはない。
が、何も知らない相手に事情を説明する場合、時系列でツラツラ話すより、まず結論を述べた方が理解しやすいだろう。
そこから足りない分を補っていけばよい。
そう思ったのだ。
実際、ティタノヴィア神はエルシィの言葉で納得したように大きく頷いた。
納得したかと思うと、かの神はすぐにこんなことを言い出した。
「なるほどのう、人の争いというわけか。
ならワシが少し手助けしてやるのも簡単じゃな」
「え?」
エルシィは思わず疑問符を頭上に打ち上げた。
確かに解かり易いように途端的に述べたが、その後に詳しい事情などを聞かれたりするだろうと身構えていたからだ。
ところが件の蛇神様は、それ以上の事情を求めてはこなかった。
それどころか、なぜか助けてくれるというのだ。
疑問に思うのも仕方がないだろう。
まぁ実際の話、神であるティタノヴィアにとって、人間同士の争いの事情などどうでも良かった。
ただ彼にあるのは、「契約にある人の子を導き助ける」。
ただそれだけだった。
「なら話は早いの」
困惑するエルシィを置いてけぼりに、ティタノヴィアはそう呟き、面倒そうに下げていた頭をもたげた。
そして小さなエルシィたちを見下ろしながら、仰々しく言葉をつづけた。
「汝、神託の杖を持つ者よ。
ワシに何を望むか言うてみよ」
「え、神託の杖? 望み?」
エルシィは神の言葉を聞き、さらに困惑を深め混乱する。
ここへはただ避難で来たのに、何ともまぁ都合の良い話だ。とも思った。
とは言え、件の『神託の杖』とは?
エルシィは少しずつ頭を整理して考えてみる。
そこへやはり立ち直りつつあったヘイナルが小さな声で囁いた。
「姫様、元帥杖のことではありませんか?」
「これ?」
言われ、背負っていた細長い箱を出してみる。
確かにこれは杖だ。
と、考えてみておぼろげに思い出した。
そういえば、この元帥杖はレビア王国から与えられた統帥権の証ではあったが、その元々の由来はレビア王国の古い王が神から与えられたものだと聞いた気がする。
「これ、です?」
エルシィは半信半疑ながら箱から元帥杖を取り出し、掲げて見せた。
大蛇はただ鷹揚にうなずき、杖の所有者たる小さな姫君の言葉を気長に待った。
「私の、望み……」
エルシィは呟き、じっと自分の手を見る。
元々はよくわからない内にこの世界へ来てしまい、とにかく帰らなくてはならないと思っていたはずだ。
この神に望めば、もしかすると帰ることが出来るかもしれない。
だが、今の彼女の脳裏にそんな思いはひとかけらもなかった。
あるのは、城に残して来た兄と、無事の判らない他国にいる母を救いたい。
侵略者に蹂躙されるかもしれない側仕えや街の人たちを守りたい。
そんな気持だった。
そう思い至り、エルシィは自分でも少し驚いた。
丈二がエルシィとなって約二か月。
たった二か月である。
その間、エルシィの家族であった大公家の者と、彼女を姫と呼んだ側仕えや公国の人たちは、丈二にとってもとっくに「身内」となってしまっていたのだ。
つまり、見捨てて帰るなどもはや出来ようはずもなかった。
丈二は商社マンとして海外へ単身赴き、現地の人と仲良くなって情報を集め、それを商売につなげる。
そういう仕事をしていた。
「繋がりを金に換える卑しい商売だ」と思う人もいるかも知れない。
が、丈二は常に誠心誠意で現地の人と接し、そして「身内」になった後は、全力で彼らの為に尽くし、その対価として様々なモノを得て来たのだ。
そういう彼だったからこそ、たった二か月の付き合いである公国の人々を、見捨てるなど考えたくもなかった。
ゆえに、エルシィはティタノヴィアの問いにこう答えた。
「神様。私は皆を救う力を望みます」
「ほう」
蛇神はたいそう面白そうに目を細める。
「幼いながらに大した決意だ。よかろう。武威こそが我が権能の真骨頂よ」
そしてエルシィは、戦神でもあるティタノヴィアのご加護を得ることとなった。
ヘイナルが自国の神を知らないのはおかしい
とご意見があったので簡単に補足します
ここまで出て来たティタノヴィアやアルディスタは古き時代に人々を助けた神と呼ばれる存在ではありますが、人々が文明を築いた後は一歩引いて見守ってきたました
ゆえに近年では社殿を整えてお祀りはするけど信仰するというほどではない人がほとんどになりました
日本における神社仏閣と同じような存在ですね
その為、ヘイナルも「お山の神様」という認識はあっても、実際に姿があってティタノヴィアという名前であるというのは知らないのです
次回更新は金曜日に予定しております