473消えた敵将の行方
「え、サイ騎士長がいない?」
朝、次期トラピア子爵候補であるハンノはそう報告を受けてポカンと口を開けた。
「まだ起きてこない、とかではなく、いないの?」
思わず素が出るくらいにハンノは頭が真っ白になり、そしてそう訊き返した。
その報告持ってきたのはトラピア軍においてはサイに次ぐ指揮権を持つ副騎士長だ。
この男は前回サイがプッツンして倒れた時もハンノを立てるような行動をした、ハンノから見れば常識人らしい男である。
その副騎士長が慌てた様子もなく、むしろ呆れた顔でそんな報告を持ってきたものだから、ハンノも慌てずに済んだと言えるだろう。
これは何かの作戦行動に違いない、という思い込みが、どこかに生まれたのだ。
そんなハンノの思惑など知ってか知らずか、副騎士長の男は報告を続ける。
「いなくなったのはサイ騎士長だけではありません。
彼の側近や派閥の兵、一〇〇名も陣中におりません」
「どこに行ったのさ」
「……さぁ」
この期に及んで、ハンノはやっと困惑という感情に飲み込まれた。
作戦行動にしても誰にも何も言わずに消えるというのはさすがに困るじゃないか。
せめて次席指揮官である副騎士長には何か言っていくべきだろう。
「……一〇〇の兵で砦を攻めてる、というワケではないよね?」
「セルテ側の砦はいたって静かですな」
「そう言えばこの国境地帯はセルテ側の砦はあるのに、うちの国の砦は無いんだね。
なぜだい?」
と、急に疑問が浮かんでハンノは訊ねた。
今訊くべきことでもないが、トラピア側の砦があればこちらも野営する必要はなかったのではないかと、急に思ったのだ。
いろんな想定外が発生したので疲れがドッと出たせいかもしれない。
副騎士長はどこか遠くを眺める問うな、古い記憶を掘り起こすようなそんな顔してしばらく「えーと……」などと呟いてから答える。
「確か戦国時代末期に破却されたまま、と歴史の抗議で習いましたな。
終戦条約が結ばれ、その中で砦の再建築は認められない、というような文言があったかと」
「そんなセルテ国優位の条約だったのかい?」
「そりゃ、あちらの立場の方が強かったですからね。
立場ば弱い者がババを引く、終戦条約なんてそんなものです。
確か国境砦の再建不可を結ばされたのはウチだけではなく、今回四国同盟に参加している国はみな同じだったかと」
「セルテ国の一人勝ちじゃないか」
「ゆえに大国ですね。というか殿下は家庭教師から習わなかったのですか?」
「僕は四男だからね。そもそも子爵を継ぐ目なんかなかったんだよ」
「なるほど……」
そんなちょっとした世間話で現実への逃避を試みたハンノだったが、現実と言うヤツはそう甘くなくすぐに追って来た。
追っ手を掛けたのは目の前にいる副騎士長だ。
「さて、ハンノ殿下。
サイ騎士長がいないからには、本日の……ひいてはこれからの行動指針を決めていただきたいのですが」
「え、僕がかい? 副騎士長が次席指揮官だろう?」
「ええ。ですが国の浮沈がかかる戦なれば、大方針はやはり我らの主君である子爵閣下に決めていただかねば」
「僕はまだ子爵じゃないよ」
「ですが子爵になられるお方です」
「ええ……これ、どうしたらいいんだよ」
ハンノはとても弱り切った顔でそうつぶやいた。
「え、サイ騎士長が陣にいないらしい?」
朝、セルテ領主城の執務室に来て朝食会を開始したところで、エルシィはその報告を受け手に持っていたパンを危うく取り落とすところだった。
「なんでですか?」
「なんででしょうね?」
さしあたり、その報告をしてきた虚空モニター向こうのデニス正将に訊くが、彼もまた澄まし顔のままに首を傾げた。
これは「いてもいなくてもどうでもいいでしょう」と思ってる顔だ。
「サイとか言う男だけではなく、かなりの数の兵が消えたらしい。
姫様、奴らがどこへ行ったか、忍衆なら判るのではないですかな?」
と、こう言ってきたのはデニス正将と共に虚空モニターに映っているホーテン卿だ。
彼もまたサイ騎士長があまりに期待外れだったせいで興味を失っている顔である。
「なんで二人ともそんなに興味なさげなんですか……とりあえず領内にはいなさそうですね」
エルシィは現地でトラピア軍と相対している二人のテンションの低さに苦笑いをこぼしつつ、元帥杖で手元に出した領内地図で確認する。
ピンポイントで敵軍の位置を知れるわけではないが、一〇〇もの集団であればある程度上空からでも確認できる。
まぁこれが深い森などに潜まれていたらその限りではないが。
ともかくザッと見た感じではいないようだったので、続いてエルシィは忍衆にコンタクトをとることにした。
もちろん、トラピア軍付近に潜んでいるねこ耳忍者たちだ。
「ニガナさんニガナさん、現地はどうなっておりますか?」
「ハイにゃ。一〇〇の兵が欠けたトラピア軍はまだ何も行動を始めてないデスにゃ。
まだ方針が決まっていない感じにゃ」
「ということはトラピア軍の作戦の一環、というワケではないのですかねぇ」
「その辺はまだわからないにゃ」
「サイ騎士長が何か単独でたくらみをもって離れた、というのが有力な見方でしょう」
そう横から口を挟んだのは上品に口を拭いている宰相ライネリオだ。
続けて彼はねこ耳忍者に問う。
「それで、サイ騎士長たちを追ってはいるのでしょうね?」
「それはもう、にゃ。取り急ぎ、二名が後を追ってるにゃ」
「ではエルシィ様、その者たちに繋ぎを付けましょう」
「そうですね。どの方が追ってるのですか?」
「ヒメハギとヤブマオですにゃ」
「分かりました」
エルシィは答えを聞いて頷き、新たな虚空モニターを開いた。
領外であっても家臣との繋ぎならば虚空モニターを開くことができるのだ。
「ヒメハギさん、ヤブマオさん。今、会話可能ですか?」
「ハイにゃ」
「ダイジョブにゃ」
はたして、二人のねこ耳はすぐに返事をした。
「今どこにいるのか、サイ騎士長は何を目的としているのか、判る範囲で報告をお願いします」
ねこ耳たちは顔を見合わせて、それからヒメハギの方が答えた。
「サイ騎士長と一〇〇の兵は街道を使ってトラピア子爵国領都方面に向かっていて、今はその途中で小休憩しているところにゃ。
だけど目的は不明にゃ」
「接近して探ることは可能ですか?」
「相手が少なすぎてにゃーでは紛れるのが難しいにゃ」
「そうですよねぇ」
なにも忍びだからと無条件で紛れられるわけではない。
一〇〇程度の人数が相手だと、それぞれがそれぞれの顔を知っている可能性が高いため、そこに入り込むのは難しい。
変装などの技能がある者ならできるだろうが、残念ながらヒメハギとヤブマオは追跡に特化した者たちだった。
「ですが、にゃ」
と、ヤブマオがモニター越しにエルシィの後ろに視線を向けて口を挟んだ。
その視線に気づいてエルシィは後ろを振り向いた。
そこにいるのは忍衆から派遣されエルシィの護衛兼侍女見習いをしているカエデがいた。
「カエデの術なら簡単にゃ」
ヤブマオの言葉にカエデはため息をついて手にしていた給仕用の銀盆を手近にいた文官の一人に手渡した。
「仕方ないにゃ。エルシィ様、ちょっと行ってきますにゃ」
「ええ、行ってらっしゃい?」
エルシィが話の流れをまだ飲み込めていないうちに、カエデはヤブマオたちが映っている虚空モニターから、向こうの景色へと飛び込んで移動した。
続きは金曜日に




