472トラピア国一の
「え、サイさんって『トラピア国一の武人』って言ってませんでしたっけ?」
虚空モニター越しに映されたセルテ勢代表ホーテン卿対トラピア国代表サイ騎士長の一騎打ちを見ていたエルシィは、思わずと言う風に口に手を当ててそう言った。
モニターの向こうでは憮然とした騎乗の人、ホーテンと、自らの騎馬から叩き落されて痛みに腹部を抱えているサイがいる。
あれで国一番というのはさすがにどうなのか。
エルシィの率直な感想だった。
とは言え、その評価を気の毒に思ったのか、執務室内で警備に当たっているヘイナルが苦笑い気味に首を振った。
「ホーテン卿と比べるのは酷というモノですよ。
あのお方の武に並べる者など、そうそういるわけがありません」
「そうだな、あのジジィ《ホーテン》と互角にやれるなんて……うちではスプレンド将軍くらいじゃないか?」
そう言い添えるのはもう一人の近衛、アベルである。
だがそれに対してもヘイナルは首を振った。
「いえ、将軍も最近では『ホーテンに差をつけられた』とおっしゃってました」
「そ、そうか。まだまだ先は長いな……」
その言葉を聞いて、アベルはすっかり腕を組んで考え込んでしまった。
彼の頭の中では自分がホーテンを倒すことばかり考えていた故の発言である。
それを解かって、エルシィは微笑ましいやらなんやら、という顔で二人の言に頷いて見せた。
「それにしても、ええとデーン男爵国の……ブリッセン卿でしたっけ? 先日、やっぱりホーテン卿と一騎打ちした方。
あの方はもう少しいい勝負してましたよね」
「まぁその辺は、デーン国は近隣に仮想敵国がありますから、トラピア国より尚武を重んじる風潮が強かった、ということでしょう」
と、自らの考えを挟んだのは、宰相ライネリオだった。
「なるほど」
言われてみれば、トラピア子爵国の周囲はほぼ同文化圏に囲まれているが、デーン男爵国は海を挟んですぐ東に侵略国家で名高いバルフート帝国がある。
警戒して軍事を磨く気風があってもおかしくない。
と、このような会話はもう一つのモニターを挟んだ対トラピア国境砦でもなされていた。
「いやお恥ずかしい。私もまさかこれほどの差があるとは思ってもいませんでしたね」
そう嘯くのはつい先日までトラピア国の国政を担っていた故トラピア子爵の長男フォテオスだ。
自国のことであればもっと危機感があってしかるべきだろうが、今の彼にとってトラピア国の事情はどこか他人事のようだった。
さて、こんな会話がなされているなんて夢にも思わない現場のトラピア国騎士長サイは、何とか動ける程度の収まった腹部の痛みを押さえて馬上にヨジ登り復帰した。
「……いやこれは何かの間違いだ。
そう、足が、いや腰が滑ったのだ」
何やらブツブツ言っているが、呆れた顔のホーテンは聞かぬ振りでワザと小指で耳をほじって見せた。
「準備は良いのか? もう少し待とうか?」
「まっ……いや、待たせたな、行くぞ!」
まるで今までの事が無かったかのように、サイは元気よく、そして誇り高げに自らのグレイブを掲げて言い放った。
「その意気や良し!」
一応、サイの言を信じて見せたホーテンもまた自らのグレイブを握りなおす。
できればもう少しやる武人であってくれ、という、これは彼の期待でもある。
再び両武具が激しくかち合い金属音をけたたましく上げる。
今度はさすがにサイも身構えていたので、重いホーテンの一撃にはじき返されることはなかった。
だが、それでも一撃の重さをいなしきれているわけではなく、徐々に押されているのが傍から見ても判った。
「どうした、そんなものか! トラピア国一なのであろう? 本気を見せろ!」
「おのれ戦いの最中に減らず口を!」
激昂し、サイはより強く、より早くグレイブを振るう。
怒りは時に己の力を最大限に、はたまたそれ以上に発揮させる原動力になる。
だがそれは同時に隙を生むし、場合によっては筋肉を硬化させ、あるべきしなやかさを失わせる。
そこを上手くコントロールできない者は二流である。
ホーテンは常々そのように配下の者たちに指導している。
ゆえに、サイの実力の限界をここで見てしまった。
「ふん、こんなものか」
そして失望の言葉がつい漏れた。
これはサイにも聞こえた。
サイはこれを聞き、半ば奮起しつつも、届かない壁に絶望しかけた。
この心の揺れを、ホーテンは見逃さなかった。
「それ以上が無いなら、もう終わりで良かろう!」
さっきの腹部殴打とは違い、今度は明らかに首を狙った一撃だ。
これをかわせなければ、サイの頭部は永遠に胴体とお別れすることになるだろう。
「!」
サイは言葉通り必死になって己のグレイブでこれを受けた。
ひときわ大きな金属音が響いた。
見事、首は守ったが、代わりに再び彼は馬上からずり落ちた。
「今の一撃を受けたのは見事。
……だが、騎士が一騎打ちの最中に二度も落馬とは。
情けないのぅ」
ホーテンの呆れ返った言葉が地に這いつくばるサイの耳に届いた。
これまでにないほど頭に血が上り、そしてどこかで小さくプツンという音が聞こえた気がした。
サイはそのまま立ち上がれなくなり、白目をむいて力なく大地に身を晒した。
トラピア陣営の兵たちが大いに落胆したのは言うまでもない。
そしてその深夜、仮陣地の救護天幕で目を覚ましたサイは、側近や派閥の兵をおよそ一〇〇引き連れ姿を消した。
続きは来週の火曜日に




