470士気回生の一手
朝。トラピア子爵国軍は陰鬱な雰囲気の中で朝の支度を終え、セルテ軍が駐留する国境砦前へと布陣した。
これから砦を攻める形である。
とは言え、先日の野戦、そして昨晩の奇襲とセルテ軍から良いようにやられたこともあり、トラピア軍のやる気ゲージは最低値と言ってもいい。
さらに言えば「どこへ去ったのか」まったくわからない昨晩の奇襲兵に対する嫌な噂が蔓延し、特に信心深い一部の者の心を怯えさせた。
曰く、セルテの悪姫が操る人ならざる兵なのでは。
などと。
そもそもジズ公国が公女エルシィの姿を見たことある者などここには一人もおらず、ただ隣国大国を電撃的に制圧したという悪魔的な噂ばかりが先行しているので、新たな噂を否定できるものなど誰もいないのだ。
今回の出兵だってその悪姫退治の為に結成された四国同盟と言っていいだろう。
一部の兵たちはそんな悪姫の脅威の一端を見せられた、と及び腰になり、そうでなくとも神出鬼没の伏兵がいつ現れるかわからない状態でほとんどの兵が前方に集中できていなかった。
「サイ騎士長。これはマズいのではないか?」
軍事に疎いハンノ殿下ですらその空気を察して言うが、訊かれたサイ騎士長の方はもうすでにこの状況にイライラを募らせているのでキッと鋭い睨み目を返してくるばかりだ。
いくら添え物みたいなモノだとしてもハンノ殿下は唯一残った故トラピア子爵の継嗣だろうに、その態度はさすがにどうなんだ。
サイの側近ですらそう思わずにいられなかったが、余計なことを言って自分に罰が飛んでくることを恐れ誰も何も言わなかった。
当のハンノ殿下ですら「処置無だな」という風で肩をすくめてサイ騎士長から離れた。
さて、そのサイ騎士長だが、自分でも「八つ当たりしても仕方ない」と解っている。
解かっていてもこの現状が彼を苛立たせた。
国境を越えた時、布陣しているセルテ兵二〇〇を見て「勝った」と思った。
彼が元々想定していたのはだいたい二択で、一つは運悪くセルテ軍の本体と遭遇することだった。
そうなればおそらく倍以上の兵差をつけられてすり潰されることになるだろう。
そしてもう一つが国境を守る少数との遭遇である。
実際行き当たったのは後者であり、思ったよりは多かったがそれでもトラピア軍の方が多いので負ける要因はない。
はずだった。
なのに気付けばやられていた。
あのまま更なる攻勢を掛けられていれば、トラピア軍は立て直し不可能な打撃を受けていた可能性もある。
だが、見逃された。
ここに彼のプライドは大いに刺激された。
そして昨晩の襲撃。
これも敵は物資に火をつけて去っていくばかりで、人的被害はさほどなかった。
おちょくられてる。
そう思った。
こうなるとサイ騎士長のボルテージはマックス、怒り心頭てなもんだが、比して配下の兵たちのテンションの低さはどうだろう。
ここに苛立ちが生まれないわけがない。
こんな状態で砦攻めを始めてもロクなことにならない。
さすがのサイ騎士長もそれは解った。
ではどうしたらいい?
いい案が浮かばず、側近たちの言葉に耳を傾ける。
「兵を奮い立たせ士気向上をはかる必要がありますな」
その方法を聞きたいのだ。
「ひと当てしてわが軍の優位を見せつければいいのでは?」
すでにやられてるから士気が落ちとるのだが。
「慌てず砦を包囲して兵糧攻めをすれば……」
こいつ四国同盟の基本戦略理解してないな?
ロクな案が出てこなかった。
そんな様子をしばし続けたところで、ふと、一人が良いこと言った。
いや、サイにとって非常に魅了の高い提案だった。
「ここは騎士長自ら武勇を兵たちに示し、それをもって鼓舞してはどうでしょう」
「と言いますと?」
「例えば、敵将に一騎打ちを申し込み首をはねてやるのです」
「おお……?」
多くの側近たちは首をかしげたが、当のサイは膝を打った。
「それだ」
「これ、でしたか」
やけに嬉しそうなサイ騎士長の様子に、側近たちは少し引き気味だった。
「お、やっと始まるようだぞ?」
セルテ両国境砦のテラスから侵略者たるトラピア軍を眺めていたホーテン卿が呆れ息交じりにそう言った。
布陣してからずいぶんマゴマゴしている様子だったので、ホーテンもそろそろ飽きてきたころだった。
もう少し動きが無かったら部屋に戻って二度寝してやろうかと思ったくらいだ。
そんなホーテンの言葉に動き出した敵軍の様子を見てみれば、そのトラピア軍の中から一騎だけ駆歩で出てきたのが見える。
「また何か口上があるのかな?」
ここの防衛責任者であるデニス正将は、面白そうな顔で少しだけ身を乗り出した。
さて、その一騎が砦の近くまで来て、手にしていたグレイブを高々と掲げた。
「悪辣なセルテの兵たちに告ぐ!」
「……なんて?」
最初の言葉を聞いて、ホーテンはきょとんとした。
「まぁ最後まで聞きましょう」
「……そうだな」
何がどう悪辣なのか、というのを考えて困惑したのだが、デニスのとりなしで思い直した。
どうせ答えは今から言ってくれるだろう。
サイ騎士長は続ける。
「会戦において正々堂々と戦うことも出来ず、さらには夜に兵装を解いた我らを襲うなど獣か野盗か。
我が言葉を聞き恥じる気持ちが少しでもあるなら、砦の将は正々堂々我との一騎打ちに応じよ」
「理屈が飛躍しすぎてて何を言っているのかわからん」
「宣戦布告もなしに戦を吹っかけて来たくせによく言うね」
ホーテンが面倒なモノを見るように眉間にしわを寄せ、デニスが苦笑い全開でくくくと声を漏らした。
そしてホーテンらの後ろから眼帯の若い男がやって来た。
「あれで彼の中では辻褄が合ってるのですよ」
怪訝そうに振り向いたホーテンに笑みを返すのは、トラピア国では死んだと思われている故トラピア子爵の長子、フォテオスである。
「それで、どうするのだ砦の将?」
解からないのでそれ以上考えるのをやめ、ホーテンは問いを替え矛先をデニスに向ける。
砦の将とは言うが、あのバカ騎士長が求めているのはこの一軍の将だろう。
素直に砦守備隊の長を出したって納得しない。
であれば、ここで呼びかけられているのはデニスなのだ。
ところがデニスもフォテオスも揃ってその視線をホーテンに向けた。
「いえいえ、出番ですよ。ホーテン卿」
「……ああ、フォテオスよ。
もしかしてこうなることを分かっていて俺を連れて来たのか」
「サイ騎士長ならこういうことを言い出すだろうとは思っていました。
それに彼は以前から『鬼騎士ホーテン』との仕合を望んでおりましたので、この機会にお相手してあげたらどうかと」
「やれやれ、あまり老人をこき使うでない」
言いつつも、ホーテンの顔は獰猛な笑みを浮かべていた。
続きは来週の火曜に




