467夜襲
夜、トラピア子爵国軍の陣地にて。
兵たちが夕食とその片づけを終え、早い者はすでに就寝し、先当番の者が仮陣の見回りを始めた頃。
この軍の指揮官であるサイ騎士長は目を覚ました。
寝かされていた簡易ベッドから身を起こし、少し重く感じる頭を振る。
「くっ……ここは?」
いったいなぜ自分がこんなところに寝ているのか。
そうした疑問が最初に湧き上がり、じきに倒れる寸前のことが思い出される。
そうだ。
昼にセルテ軍と会戦……となるはずが、バカにされ引っかき回され、トラピア軍は這々の態で戦場を無様に逃げ回ることとなった。
結果、彼の頭に血が上り過ぎたか、何かがプツンと音を立てたような気がしたかと思うと、そこから記憶が暗転している。
つまりそこで失神したのだろう。
色々思いだし、サイは情けないやら恥ずかしいやらでズーンと音が鳴りそうなくらいに落ち込んだ。
幸い寝かされていたのは救護用の天幕だったようで明かりもそれほど灯されておらず、誰も彼のそんな動向を気にしなかった。
と、そんな折に、ふと彼の腹が鳴った。
それはそうだ。
昼に倒れてからこっち、ずっと気を失っていたせいで彼は夕飯を食べそこなっているのだ。
人間、寝ていようが何だろうが腹が減るのだ。
いや、不調な時は寝ている時こそカロリーを消費する物なのだろう。
ともかく腹が減ったサイ騎士長は、落ち込む気持ちから動き難くなる身体を無理やり動かし、簡易ベッドから降り、救護テントからのそのそと出た。
「誰かいないか!」
ここで言う「誰か」とは本当に誰でも良い訳でなく、あくまで彼の身の回りを世話できる誰か、という意味である。
その呼びかけにはすぐに近くに控えていた軍属の見習い少年が駆け寄ってきた。
「騎士府長閣下、お目覚めになりましたか」
「ああ、腹が減ったので何かすぐ食べられるものを。
それから現状を聞きたいので副長か副官を探してきてくれないか」
「承知いたしました。すぐに」
命令を受け、少年はすぐに駆け出し、近くにいた別の、やはり同僚の見習い少年に声をかけて去っていった。
おそらくどちらか一つの命令を渡したのだろう。
サイは「そう命じてしまったからにここを動くわけにはいかんな」と思い、近くにあった床几に腕を組んで「ふんっ」と腰かけた。
待つことしばし。
少年たちは忠実に命令をこなし、サイの元に固焼きの黒パンとカップに注がれた水が運ばれ、また彼の副官たる中年の軍人がやってきた。
ちなみに軍において副長と副官は混同されやすいが全く役割が違う。
副長とは指揮官に次ぐ采配を振るう権限を持つ者であり、副将とも呼べる存在だ。
そして副官とはあくまで指揮官など高級士官の下で仕事の補佐などを行う職位の者である。
ともかく、そのサイの副官がやってきた。
「閣下のご快癒をお喜び申し上げます」
「そんな挨拶はいい。現状を教えてくれ」
「承知いたしました」
そんなそっけない挨拶を交わし、副官から現状を聞く。
とは言え、そんなに複雑な話ではない。
サイが倒れてしまったこともあり、トラピア軍はそのまま戦場となった広場に陣を張っただけだ。
後は特に動きもない。
「ふむ。セルテ軍にも動きはないか」
「さようです」
「なら明日からは砦攻めだな。閉じこもるセルテ軍を蒸し焼きにしてやろう」
「火計ですか?」
「手っ取り早かろう?」
サイはほの暗い感情を顔に浮かべるように笑った。
その時である。
陣の向こうでゴウと火柱が上がった。
「何事だ!?」
「なんでしょう!? 見てまいります」
「いや、俺も行く!」
文字通り火急の用とでも言おうか、サイは自分が寝かされていたテントから取るものもとりあえず護身用の短剣だけ手に取って駆け出した。
それほど広い陣地ではないゆえ、数分ともかからず現場には到着した。
サイとその副官が来た頃には、すでに上がった火の手は燃やすべき物を燃やし尽くしたのか、火の勢いは小さくなりつつあった。
その周りではまだ無事な可燃物を急ぎ遠くへと運び、近くの天幕を倒すなど防火活動が行われていた。
それでも未だ燃え盛る炎と上がる黒い煙。そして周囲に広がる硫黄の様な刺激臭に、サイは顔をしかめた。
「なんだこれは。油か? いやそれにしては妙な匂いだ」
「臭水かもしれませんな」
「知っているのか副官」
すでに今できる適切な処置は始まっていることもあり、サイはある程度落ち着いて副官と言葉を交わす。
などと悠長にしていると、今度はほど近い場所から剣戟の音が聞こえて来た。
「ハッ! 騎士府長閣下、これは不審火ではなく敵襲ですぞ!」
「そのようだな。ええい忌々しい。夜襲に火計などと卑怯な手を使いおって」
さっき砦を蒸し焼きにしてやると言ったくせにどの口が。
と副長は思ったが彼もいい大人なのでそんな指摘はしない。
ともかく今は、襲撃を掛けて来た敵を迎撃しないと。
そう思い、彼はすぐに指揮官の顔を見た。
サイは見られ求められることにハッと気づき、すぐさま次いで声を上げた。
「この際鎧は着なくてよい。すぐに剣矛を手に敵兵にかかれ!
近くにいる者は俺の元に参集せよ。
この騒ぎでまだ寝ている者は叩き起こせ!」
この命令を聞いた近くの軍属少年たちは、それを申次ぐためにパッと散った。
彼らは軍人や良家の子弟たちで、城勤めしている申次の子女たちと同じ立場である。
そうして騎士長サイの元に騎士と歩兵たちがおっとり刀で集まってくる。
数にして一〇人程度か。
後はすでに迎撃の為に敵兵がいると思われる方に向かったようだ。
「よし、俺たちも行くぞ」
「はっ!」
そうして剣戟が立つ現地に駆けつけてみれば、そこでは必死にかかるトラピア兵と、まるで正面から戦う気が無いようにいなすだけのセルテ兵と思われる集団がいた。
ちなみにここでトラピア兵の指揮を執っていたのは故子爵の四男ハンノである。
「サイ騎士長! 目覚めたのか。良かった。私では軍の指揮は荷が勝ち過ぎる。すぐ変わってくれ」
「承知。殿下は後ろへ!」
そう言葉を交わして二人は位置を入れ替える。
サイは勇ましくも手にしていた短剣を抜いて敵兵たちをその切っ先で指し示した。
「我らをバカにしたツケを払わせてやれ」
だが、最初からロクに攻撃する気も見せていなかったセルテ兵たちは、彼の姿を見つけるとすぐに何か小壺のようなモノを両軍の間に投げて退いた。
「一兵たりとも逃がすな!」
そしてサイがそう叫び追わせようとした瞬間、また硫黄のような臭いが鼻を突き、直後に両軍の間に炎の壁が立った。
「!?」
幸い、この炎に焼かれた者はいなかったが、それでも追うなど無理である。
こうなれば離れるセルテ兵たちを炎の壁越しに呆然と見るしかない。
すると少し離れたセルテ兵たちは立ち止まり、こちらを確認するように振り返り、そして光の粒となって消え失せた。
「!?」
再び、トラピア兵たち、そしてサイやハンノは声にならない驚きを表した。
「あ、悪霊にゃ……」
「悪霊にゃ!?」
「冗談じゃない、人間相手ならともかく、そんな訳の分からないモノと戦えないにゃ!
誰かが呟き、その言葉は炎より早く広まった。




