459気配察知
そのような事情で司令官的な立場に就いた軍師リニアナガンの指示の元、バルカ男爵国軍四〇〇の兵は国元を旅立った。
さらにそれから日数をかけ、デーン男爵国軍が敗れた日から遅れること数日の頃、やっとこさバルカ軍はセルテ領との国境近くにたどり着いた。
街道のカーブを過ぎれは国境はすぐ見えるはずだ。
そこで先頭グループにいたリニアナガンは一度全軍に停止を指示して振り返った。
「どうした軍師殿、すでに訓示などは終わっておろう?」
急な停止指示を怪訝に思ったバルカ男爵は、すぐに自分の馬をリニアナガンの馬に寄せて訊ねる。
騎士長もまた同様に寄り、かの軍師の言葉を待つように耳を傾けた。
リニアナガンはニコリと薄ら寒い静かな笑いを口元に浮かべ、この時は寄ってこなかったもう一人を手招きで呼び寄せる。
「あ、私かい?」
思い当って馬を寄せてくるのは、元ハイラス伯ヴァイセルだ。
彼が会話できる距離まで来たことを確認し、軍師殿はやっと口を開いた。
「ここで全軍に『韋駄天の兵』を」
特に説明らしい説明もなくそう言う軍師に、バルカ男爵はさらに怪訝そうな表情を深めた。
「兵の行軍速度が速くなる『韋駄天の兵』ならもっと早くから使わせておけば、もっと早くに到着してたのではないか?」
そう訊ねるが、これにはリニアナガンも苦笑いだった。
「模擬戦に参加していない方には判らなかったですね。
アレは確かに行軍速度が上がりますがその分、疲労がたまるし腹も減るのです。
であれば温存できるところでは温存すべきなのです」
「む、なるほど。そういうモノか」
この言葉にやはり模擬戦に参加していた騎士長も頷いて見せたので、バルカ男爵は納得した。
「それで、ここで使うということは……」
「そうです。国境を越え、守備兵がいるなら排除し、いないのであれば近くの村を占拠します。
この動きは早ければ早い方がいいでしょう」
「良し解った。それで行こう。
ヴァイセル殿。頼むぞ」
「はいはい、私は今回、『韋駄天の兵』を掛けるだけの便利屋だからね。
言うとおりにするよ」
言われ、素直に従う風で肩をすくめたヴァイセルは、次に大きく手を上げて四〇〇の兵に向かって振った。
「プログレディ チート《疾く前進せよ》!」
すると彼の左の薬指にはめられた大きな銀の指輪から光の粉のようなモノが宙に舞い、そして兵たちに降り注いだ。
「よし、進め!」
そしてその様子を満足そうに見ていたリニアナガンの命で、兵はバルカ国内最後のカーブを過ぎ、国境に迫った。
さて、当然ながらこの様子をエルシィ配下のねこ耳忍者たちは眺めていた。
だが彼らにとってヴァイセルの行為がなんであるか、理解に及ばなかった。
ゆえに『韋駄天の兵』については深い報告はせず、「先日戦ったデーン国軍同様に、兵の行動を加速させる術があるようにゃ」とだけ伝えていた。
この時も「どうやら加速の準備をしたようにゃ」と、虚空モニター越しのエルシィに報告した。
この報はそのまま迎撃にあたるスプレンド将軍やサイード正将に伝えられ、彼らは「国境越えたら速攻をかけてくるに違いない」と待ち構えていた。
その上で深くおびき寄せてすり潰すために、囮役として正面にスプレンド将軍が三〇〇の兵を率いて布陣。
街道側面に残りの九〇〇を率いたサイード正将が伏せる。という形で待ち受けた。
さぁ、そうして準備を整え後は待つばかりとなってしばし、いよいよバルカ軍が国境を越えたのが見えた。
戦場を俯瞰しているエルシィからも、そして正面のスプレンド将軍にも肉眼でも見えた。
「『イニティウム』です!」
エルシィが勢い込んで元帥杖を振るう。
この宣言によって、この戦場は一種の閉鎖空間となり、そこから出た者は「戦線離脱者」となり、『フィーニス』が宣言されるか、またはエルシィの許可があるまで入ることができないし、この空間の中で『降参』を受け入れた者は『フィーニス』まで石化凍結される。
早い話が一定のルールが戦場に課される、という権能である。
その瞬間の話である。
見えて国境を越えたバルカ軍が、途端に回れ右をして越えたばかりの国境を猛スピードで戻り見えないカーブの向こうまで撤退した。
「ナンデェ! ナンデデスカァ!」
思わずエルシィは画面に向かって叫んでいた。
同様に「なぜ」という疑問はバルカ軍にもあった。
ともかく指揮を任せたからには軍師リニアナガンの指示には従ったものの、国境を越えて正面に自軍より少ない敵軍を見つけ、いよいよ開戦である。という意気込んだタイミングで出されたのが「回れ右、全速力で国内角まで撤退」という指示であった。
まぁこの「回れ右」と言うヤツは出発直前に軍師の指示でメチャクチャ練習したので、咄嗟の指示でもスパッと決まった。
決まり、バルカ軍は脱兎のごとく敵軍が見えない角までスムーズに後退することができた。
そうして全軍が停止したことで一旦『韋駄天の兵』が解除されると、皆の視線が撤退指示を出したリニアナガンに集中した。
彼はその視線の集中に一瞬たじろいだが、すぐにいつもの薄ら寒い笑顔に戻った。
軍師殿は今来た道の見えない向こうの空を振り返える。
「国境を越えた途端、何か異質な空気を感じました。
あれは、おそらく人あらざるモノの気配……」
リニアナガンが感じたモノ。
それはヴァイセルの背後にいる神を名乗るモノや、彼が国元で受けた大いなる父神の気配に似ていた。
デーン国軍はお腹空いてたから余計に略奪へと目がくらんでいたのかもしれません
続きは来週の火曜に




