046キャリナたちの戦い
港近くのとある建物の三階で、避難の為に集まった公国政府の役人や大公家の側仕えなどがひそひそと肩を寄せ合っていた。
この建物はアパート式の集合住宅で、この部屋ももちろん民家である。
緊急避難なので話をして間借りしているのだ。
さて、その中に、エルシィの侍女であるキャリナもいる。
彼女は窓からひっそりと身を潜めながら、船で攻め寄せたハイラス兵と、防衛線を敷きつつある自国の者たちを伺っていた。
「キャリナさん、どんな具合ですか?」
問われ、キャリナは首を傾げつつ答える。
「すぐ戦になるという訳ではないみたいですね」
見た感じ、船から降りて整列したハイラス兵たちは、その後、指揮官らしき者から何か指示を受けて荷物を下ろしたり整えたりしているようだ。
中には炊事の支度を始めている者もいる。
対しジズ公国側は、港から数一〇〇mほどの大通りで、道幅いっぱいに馬車を並べてバリケードを作り、長槍と長手弓を準備している。
実際のところ「戦」と言えばもう始まっているのだが、素人であるキャリナからすれば激突していなければ「まだ」という意識であった。
ともかく、あの防衛線が崩れないうちは大丈夫そうだ、という感想を言い合い、集まった者たちはホッと一息を吐いた。
「食事の支度などしていて、よろしいのですか?」
こちらは港に陣を敷き始めたハイラス兵サイド。
上陸兵の指揮官である中年の将に白湯を用意しながら、青年副官が問う。
頭も含め体毛が薄そうな割に髭だけは頑張って整えました、と言わんばかりのチョビ髭を撫でつけ、上陸将は渋そうに口をすぼめた。
「ヤツラ、防衛線を整えるのが思いのほか早かったからな。
両殿下確保のチャンスもフイにした。ここで力攻めしても消耗するだけさ」
「しかし将軍からの指令は、橋頭堡の構築ではないですか」
まだ不満そうな青年副官に溜息を吐き、上陸将は呆れたように言葉を返す。
「だからここに確保しておるではないかね」
さすがに青年副官もこれにはポカンと口を開けて呆気にとられた。
本当は上陸将だってもっと先に拠点を確保したかったのだ。
だが現状であれほど守りを固められては、二五〇程度の兵力ではいたずらに失うだけだろう。
なら、後続の将軍率いる本隊の到着を待ってから圧殺する方が良い。
そう考えていた。
それでもまだ不満は晴れない様で、青年副官は頭を巡らせ献策を繰り返す。
「では、そうだ。馬車での防衛線が築かれた大通りを迂回して、街中の路地を分散進軍してはいかがでしょうか?」
我ながら良い案だ、とばかりに鼻を膨らませる青年副官に、上陸将はさらに大きな溜息でもって返事とした。
言葉で言っても解かってくれそうにないな。
というか、なんで自分がコイツの教育してやらなきゃいけないんだ。
上陸将は「器じゃないんだよな」と嫌そうに目を逸らし、そしてポンと手を打った。
「そうだ。ではお前、はしっこいの一〇人程連れて大通り以外の路地を偵察してこい」
「は?」
「は、ではない。ただいまをもって貴官を特務偵察兵長に任命する。ほら行け」
これを青年副官はチャンスだととらえた。
立身出世のチャンスだと。
せっかく軍人として進撃の機会に与ったというのに、上官に積極性が無いせいで手柄を立てる機会が無さそうだと思っていたところだった。
そこに降ってわいた特殊任務である。
これでジズ公国侵攻の足掛かりでも見つければ、帰国後昇進も間違いないだろう。
「特務偵察の任を拝命します!」
青年副官は得意満面な笑顔で上官へと敬礼をあげた。
急ぎ隊を編成する為に場を離れる副官を見送り、上陸将は肩をすくめながらチョビ髭を丁寧に撫でつけた。
「まぁ、死ぬことは無いだろ」
ひっそりと息を潜めつつ、城へ逃げ込む相談を続けていたキャリナたちは、窓にへばりついていた交代の見張り役から急ぎの言葉を受けた。
「間違いないのですね?」
「ええ、ハイラス兵が数人、港を離れて街へ紛れ込んだようです」
見張り役も所詮は内司府の役人なので「確かか」と言われても確信は持てない。
だが、彼の意識の上では、それは確かに目で見た事実だった。
キャリナや他の者たちもこの報告に思案する。
「略奪目的かな?」
一人の青年役人が言うと、何人かの表情が強張る。
ここにいる誰もが初めての戦争体験なので詳しくないが、過去の書物などから読み解くに、侵略者は略奪するものと読んだ憶えがあった。
兵を賄うための食料を現地で挑発するし、その兵に支払われる報奨代わりに略奪許可を出す場合もあるらしい。
「恐ろしいですね。早く逃げましょうよ」
気の弱そうな小太りの役人が震え声で言う。
彼は祀司の役人だ。
祀司とは、典礼・式典・祭事などを担当する司府である。
「いやそれよりも街に入ったヤツらだけでも追い払った方が良いんじゃないか?」
と、今度は築司の役人だ。
普段、工事現場で警士や工夫とやり合うこともあるのだろう。
血気盛んで少し厳つい雰囲気の男だ。
「出来ますか?」
「出来なくてもやるんだよ」
気の弱そうな役人と気の強そうな役人押し合う。
いや、一方的に押されているとも言える。
そんな中、決定的な意見を求め、役人たちはキャリナに視線を向けた。
「なぜ私が」
キャリナはそんな雰囲気に眉を寄せ、同じ部屋にいるカスペル殿下の侍従へも目を向けてみる。
侍従は肩をすくめて首を振った。
「私は姫より位の高い公子殿下の侍従ですが、キャリナさんは姫殿下の侍女長です。
あなたがただの侍女であれば私の方が上位でしょうけど、侍女長である以上、あなたは私より位が高い。
つまり、この場で最も上位なのがあなた。キャリナさんなんですよ」
その理屈を聞き、「ええ」とドン引きしつつも「しかたないわね」と納得しながら釈然としない気持ちで大きく溜息を吐く。
「なんで私が」
位が高かろうとキャリナの職務は「貴顕の世話をすること」である。
この非常時にはもっと相応しい者がいるのではないか。
そこまで考えつつ雁首揃える役人たちの顔を見回す。
どれも大なり小なり不安そうな表情でキャリナを見ていた。
ダメだ。どれも頼りにならない。
「これだから私、婚期が遅れるのだわ」
キャリナはもう一度大きな溜息を吐いてから、キッと眉をあげた。
「逃げるにしても街にハイラス兵たちがいては安全とは言えません。何とか追い払ってから脱出しましょう」
「どうやって?」
ボスの腰が据わったことで安心感が湧いたのだろう。
築司の厳つい役人が悪そうな笑顔を浮かべる。
キャリナは部屋を見回し、ドアの向こうにある台所などへも目を向けて大きく頷いた。
「鍋でも油ツボでも、兵隊めがけて上から投げつけて差し上げれば、狭い路地ですから当たるでしょう?」
各位、顔を見合わせてから、急ぎ投げるものを探しに散開した。
夕刻。
港に張られたハイラスの本陣に、慌てて駆け込む兵がいた。
「上陸将様! ふ、副官殿が……」
夕飯として供されたうす味のスープをすすっていた上陸将が胡乱な目で振り返れば、頭に大きなたんこぶを作って気を失った青年副官が、担架に乗せられて運び込まれるところだった。
「どうしたんだ?」
上陸将の問いに駆け込んできた歩兵の男が報告する。
「特務偵察の最中、市民からの抵抗に会い負傷した模様です。
副官殿の名誉の為に言えば真っ向勝負ではなく、建物の上から物を投げられたのです。
鍋やヤカンが、こう、雨の様に」
「さもありなん」
上陸将は鼻で笑ってそう呟く。
「お前たちも憶えておけ。市民は何も案山子ではない。
下手に敵愾心を持たれては意外と厄介なもんだぞ」
「はっ。肝に銘じておきます」
そう続け、歩兵の男も素直に敬礼で返した。
その後は気を失う副官に語り掛ける様に呟いた。
「なに、明日には大将と二五〇の兵が合流するんだ。慌てることは無い」
その晩。
キャリナたちと城下町の民たちは、夜闇に紛れて城へと逃れることに成功した。
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