453不満の発露
セルテ侯爵執務室を出たデニス正将は、さっそく防衛にあたる二〇〇の兵を抽出編成するために将軍府へと向かう。
その途上。
ちょうど天守を出て城門までの道すがらで彼に付き従う従卒兵が口を開いた。
「デニス将軍……我々はあのような者に付き従っていてよいのでしょうか」
デニスはこの言葉を聞き一瞬だけ表情を歪めて眉を上げたが、すぐにいつも通りの平常な顔に戻って振り返った。
「君、私はすでに将軍ではなく正将です。
役職名は正しく使いなさい。トラブルの素ですよ
……それで『あのような者』とは一体どなたのことですか?」
今度はわざと不快そうに顔を歪めたデニスは、自分でも彼が何を言いたいのか判っていながらも訊ねる。
判っていても自分の口からいう訳にはいかない。
いや、むしろ彼の口から言わせたい。そう思ったのだ。
「はっ、失礼しました正将閣下」
従卒兵は畏まって言いなおし、その上で質問に答える。
「……あの侯爵を僭称する慮外者ですよ!」
デニス正将は思った通りの答えと、思いの外に強い言い回しに少しだけ焦って辺りを見回した。
ここまで言えば誰が聞こうとも、少なくとも城内にいる者ならエルシィのことだとハッキリわかるだろう。
誰に聞かれても困ったことになる。
先ほども言ったが天守を出た屋外とは言え、まだ城門を出ていない。
つまりここは城内なのである。
ゆえにデニスの視界のそこかしこには、見回りや見張り、門番の職務の為の警士たちがいた。
幸い、こちらの会話が聞こえるほどの距離ではない。
とは言え、どこにねこ耳どもが潜んでいるかもわからないのだ。
デニス正将は舌打ちを一つしてからもう一度従卒兵の顔を見た。
ひとりよがりの正義を疑わず、その道に外れる者を嫌悪する。
若い兵役者には多いタイプの青年士官だ。
デニスはため息交じりに口を開く。
「侯爵を僭称とは穏やかではありませんね。
現侯爵陛下であらせられるエルシィ様は正式に旧侯爵家よりその地位を譲られ、その上で選定の神に認められた正式な貴族ですよ」
「そんなの……神なんて見たこともないものを信じるのですか?」
そう反論を受け、デニスはまた大きくため息をついた。
「それで、なぜあなたはエルシィ陛下についていけない、と思われたのですか?」
これ以上、貴族位について論じていても埒が明かない。
そう思って矛先を変えた。
これもまた重要なことである。
ともかく、彼の不満を吐き出させないといけない。
若い従卒兵は水を向けられこれ幸いと口火を切った。
「あの者のせいで我々デニス将軍の兵は三〇〇という少数で戦に当らされたのですよ?
あのような無能な慮外者が最上にいては、我らがいかに訓練を重ねた精鋭とは言え、次にはいつ無駄死にさせられるか!」
なるほど、言いたいことは解らなくもない。
だが。
と、デニスは視線を鋭く冷えたモノに変えて従卒兵を見る。
この視線に彼が気づいて言葉を訂正してくれればまだ良かった。
が、残念なことに不満をぶちまけるのに夢中な青年は、それに増して罵詈雑言を重ねた。
デニスは仕方なく手をかざすことで彼にサインを送り、その言葉を止めさせた。
「あなたの言い分も解らなくもありません。
侯爵陛下にはさらに良い手段があったにもかかわらず、我らは手足を縛るような戦いを強いられた。
そうあなたは言いたいのですね?」
「そう、そうです! さすがは将軍閣下!」
デニスの言に、従卒兵の青年は喜々満面となって頷いた。
だがここで、デニスがとても困ったうえで嫌そうな顔をしているのに、やっと気づいた。
「しょう……ぐん?」
「将軍ではありません。正将です。
侯爵陛下より賜った職位を誤ってはいけません」
「ぐっ……失礼しました」
これで勢いを失った従卒兵に、デニスは言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「確かに最良の方法は別にあったとはいえ、致命的な失敗にはならなかった。
結果我らは勝ったではないですか」
「ですが……」
デニスはため息を深くして言葉を続ける
「良いですか。よく聞きなさい。
陛下の持つ権能の全てを知っているわけではありませんが、その力は多彩です。
ですがいくら女神や戦神より加護を与えられたとはいえ、その身は神ならぬ人の身。
ましてやその御歳も我らの何分の一にも満たないのです。
選択を誤ることくらいあるでしょう」
ところがこれ我が意を得たりと、従卒の青年は息を吹き返した。
「しかし、しかし!
貴族は我々の命を思うままに動かすことができるだけの権力を持っています。
であれば、子供だからと許されていいのでしょうか!?」
大人だって間違いは犯すだろう。
お前は間違いを犯したことはないのか?
それとも為政者であれば子供だろうと神であれ、そう言いたいのか?
バカなことを。
デニスはすっかり呆れ返ってしまった。
もうこれは何を言っても無駄だな。
そう思いつつも、最後にこれだけは、と口を開いた。
「では聞きます。
あなたは陛下のことを無能とおっしゃいます。
ですが、この国の……いや世界中どこを探しても結構ですが、三〇〇の兵を一瞬で離れた場所に移動するなど、いったいどこの誰ができるのですか?」
「ぐ……いやしかし……」
従卒兵は絶句し、それでも反論を継ごうとした。
当然ながら、デニスの言う通りエルシィの権能を他の誰が使えるかと言われれば誰も使えはしないのだ。
それでも彼はそこにあった最良の方法がとられなかったという一点において、未だに納得できなかった。
デニスは「ここいらが限界ですね」と呟き、彼から視線を外して最も近いところにいる警士へと振り返った。
「誰かある!
この者、侯爵陛下に対する看過できぬ反逆の意志を示した。
警士諸君はおのれの職務に従い、この者を捕縛せよ!」
「か、閣下! そんな……」
信じられない、という風に従卒兵は目を見開いた。
だがそれ以上言葉を続けるより早く、数人の警士たちが駆け付けて彼を押しつぶすようにして地に引き倒した。
「警士諸君、ご苦労。
何か背後があるかもしれん。よくよく取り調べることだ」
「は! ご協力に感謝いたします」
まぁ、背後なんかないだろうけどね。
連れていかれる従卒を見送りながら、デニスはそう肩をすくめた。
周囲から、この時だけすっぽりと警士がいなくなった。
まぁそれも一時のことだ。
しばらくすればまた彼らは職務の為に戻ってくるだろう。
その隙間に取り残されたデニスは、一つ息をついて従卒兵が消えていった方を見る。
そこにはすでに誰もいない。
「まったく、不満をあのように口外するなど。
いい大人のくせに口に出して良いことと悪いことの区別もつかんとはな。
不満は誰にだってあろう。
だが、それをやすやすと口に出しては自分の価値が下がるだけだというのが解らんのか。
……不満はな、すべての準備が整った時に、一度だけ言えばいいのだよ」
続きは来週の火曜に( ˘ω˘ )




