045女神と蛇神
ちょうどエルシィとヘイナルがお山へ向かったあたりの、そのお山の上でのお話です
大陸西側諸国において最高峰となる山がジズリオ島にある。
大陸の者たちからはジズリオ山、またはティタノ山などと呼ばれているが、ジズ公国の者たちからは単に「お山」と呼ばれている。
この山の裾野にジズ公国の国主であるジズ大公家の城があり、その裾野から海までのなだらかな斜面に城下街があった。
またこのお山の中腹には祠がある。
焔の神、戦の神、などと呼ばれるティタノヴィアという古い神を祀る祠だ。
とは言え、当のティタノヴィアはその祠には住んでいなかった。
ではどこにいるかと言えば、お山の山頂にある鉢の中。
つまり火口部にいた。
このお山は活火山である。
が、もうかれこれ四〇〇年ほど噴火していないため、火口部には冷えた溶岩が膜を作り、人が歩くのにも問題ない地面が形成されている。
このお鉢の中心あたりに、巨大な老蛇がとぐろを巻いて目を瞑っていた。
彼こそが、このお山に居を構えるティタノヴィア神であった。
と、そんな老蛇の頭上に光の粒が集まり人の形を成した。
それは美しい白ベールをかぶった女性である。
「ねぇティタノヴィア? 起きているかしら」
その人ならぬ神々しき後光を放つ女性が呟くと、老蛇は面倒そうに目を開ける。
「起きているとも。ここが温かいから、少し浸っていただけじゃ」
「そう、よかった。もう死んじゃったかと思ったわ。ちょっと用事があったのよ」
「まったく口の減らぬ。しかしアルディスタがここへ来るなど、珍しいことだの」
久しぶりに名を呼ばれて女神は自嘲気味に肩をすくめた。
「その名を知る人間は、もうこの世界にどれだけ残っているかしら。
まぁそれでもこの世界の均衡を司るのは私、アルディスタなのだけどね」
「ふむ、まぁそれはよいから早う用件を言うがよい。ワシは忙しいのじゃ」
「忙しいの?」
言われ、思いもしなかったと目を見開いて女神はマジマジと老蛇を見つめる。
老いた蛇神は面倒そうに首をもたげて顔を逸らした。
「ここで温まるのが今のワシの楽しみじゃからの。それ以外のことは煩わしいことであるのは間違いない」
「あらあら、枯れているのね」
「歳じゃからの」
クスクスと笑う女神に「これ以上は付き合ってられん」とばかりに、今まで通り目を瞑る。
が、女神はお構いなしに話を始めた。
「ねぇティタノヴィア。もうすぐあなたの祠に小さなお姫様がやって来るわ」
「そりゃ、たまには参拝者も来るだろうて」
目を瞑ったまま、相槌を打つ様に言葉を返す。
女神はこの老神がちゃんと話を聞いていることに満足してさらに続ける。
「あなたには、彼女を少し助けてあげて欲しいのよ」
その続いた言葉に、老蛇は思わずまた目を開けて女神に顔を向ける。
「神が、今更わざわざ人を助けてやるだと?」
この世界にはかつて数万に及ぶ神がいた。
当時は人間など今よりもっと過酷な生活を送っており、神々はそんな人間どもを導き、時には助け、そうやって自然の驚異から救ってきた。
ゆえに、神々は人間から尊崇の念を集め、人々の上に君臨した。
しかし人間が文明を築き、自らの力で大地を切り開くようになると、信仰は次第に少なくなり、万を越えた神々の多くはこの世界を去った。
もう人間は助けを必要としなくなった。と判断したのだ。
それでもこの世界に愛着を持つ神は残った。
そのうちのひと柱がティタノヴィアであり、アルディスタだった。
「そのお姫様、大昔にあなたが人間にあげた宝杖を持っているの」
「むっ」
面倒そうにしていた老蛇だったが、その言葉を聞いて興味を示した。
示しつつも、より面倒そうに顔をしかめた。
「あの杖か。では契約に従って助言くらいはしてやらんといかんか」
それは古い時代に人間と神との間で交わされた契約の一つ。
信仰を捧げる代わりに、信託を与える。
その宝杖はそういう約束の証だった。
「それにね、実はそのお姫様には私からもちょっとお願いしてるのよ。だから、わざわざこうしてあなたにもお願いに来たの」
そしてさらに、女神がそんなことを言い出したから、老蛇は大きく溜息を吐くに至った。
「ふむ、なるほど。何か企んどるな?
まぁ面倒だが、お主からの頼みなら無下にも出来んか。
もちろん、何か礼物は用意しとるのだろう?」
「ええ、ちゃんと樽で用意してあるわ」
それを聞き、老蛇はシシシと息をもらすような笑い声をあげた。
女神の用意した報酬とは、上質で貴重な酒だ。
いつもこの女神がどこからか持ってくる酒は、この世のモノとは思えぬ琥珀のように輝く澄み酒である。
老蛇は酒好きだが、この女神の持ってくる酒が特に大好物であった。
「ならば配慮してやるとしよう。どれ、その人間に会いに、祠まで降りるとするか」
「よろしく頼むわね」
「おうさ」
女神は樽を老蛇の傍らに置き、そして虚空に光の粒となって消える。
老蛇は弾む声で返事をし、そして消えゆく女神を見送った。
一人火口に残り、自らのとぐろの中に樽を治めつつ、老蛇神ティタノヴィアは長い舌をチロリと覗かせた。
「あのいたずら女神が何を企んでいるか解らんが、まぁ約束は約束じゃ。
さて、どう手助けをやればいいかのぅ」
一方、虚空に消えた女神は、大陸のとある山岳の奥にある自らの神殿へと現れた。
彼女の脇侍の神が出迎え、そして傅く。
その中から若い少年の容姿を持つ神が歩み寄った。
「お嬢様、あの別の世界から降ろした人間は役に立つのですか?」
彼は女神が外したベールを受け取りながら、不満そうな表情を晒しながらそう問いを言葉にする。
「ふふふ、貴方に任せなかったからって、そんな顔しないの。
せっかくの美貌が台無しよ?」
「そんなことは……」
女神の軽口を受け、少年神は少しバツの悪そうな顔になる。
その割に、美貌と言われたことで、頬を赤らめもしていた。
「あれはこの世界をゲームだと思っているから、少しくらい無茶して引っ掻き回してくれると思うの。
ダメでも、波紋を広げる一石にはなるわ」
「そんなものですか」
「そんなものよ」
未だ釈然としない少年神を引き連れ、女神はそのまま自らの神殿の長い廊下を進む。
その奥には薄暗い影の中に隠れるように、鈍色の大扉があった。
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