448デーン男爵の末路
思えば包囲網に設けられた薄い場所。
あれも罠であった。
と、デーン男爵国騎士府長ブリッセン卿は思い出した。
本来あれはデーン国兵たちを逃がすために開けられた穴だったのだが、ホーテン卿が騎士たちを率いてそこへ現れてしまったから結果的に罠の様になってしまっただけなのだが、まぁそんな経緯をブリッセン卿知らない。
ゆえに「罠であった」が彼にとって事実である。
そして今、当のホーテン卿から「降伏せよ」との勧告を受けている。
これも何かの罠なのではないかと、彼はすでに疑心暗鬼に陥っていた。
そもそも降伏勧告は包囲された時に一度受けているが、あの段階ではまだ兵たちの士気も完全に折れてはいなかったし、「ここで降伏すれば全員ひどい目にあわされるだろう」という意識もあった。
そうなればせめて一矢報いて一か八かの脱出を敢行するという選択は、全く間違いだったとは思わない。
だがそれも潰えた。
今、セルテ領の騎士たちと戦っている兵たちもすでに疲労困憊である。
数が多いために最初こそ押しているように見えたが、周りで老練なセルテ騎士たちが戦場のコントロールを絶妙な加減で行っているため、セルテ側にさしたる被害は見えなかった。
つまり、彼らの乾坤一擲のチャレンジは失敗に終わったのだ。
こうなれば、また更なる一か八かにはなるが、それでも一縷の望みにかけてホーテン卿の降伏勧告に乗るしかないと思われた。
かのホーテン卿の言葉に嘘が無いなら、少なくとも主君であるデーン男爵の命は助かるだろう。
男爵だけでも国元に帰ってくれれば。
そして男爵が約束を守って兵たちの家族を遇してくれるなら、ここで降伏し、不名誉な処刑に掛けられるも意味があろうというモノだ。
ブリッセン卿はしばし考えに耽り、そう結論を付けた。
もちろん、ホーテン卿もその思考の邪魔をせぬよう、構えを解いてその様子を見守った。
「承知した。降伏ししよう。
その代わり、男爵陛下をこの場から見逃すという約、違えること無きようお願い申し上げる」
「うむ、このホーテンの名にかけて、デーン男爵が国元に帰るまでセルテ勢は手を出さぬと、しかと約束しようではないか」
そう言葉を交わし満足したブリッセン卿は、すぐさま兵たちへと合図を出した。
合わせて、ホーテン卿もまた合図を出す。
もちろんその合図で潮が引くように戦闘がさっと終わるわけではないが、それでも両陣営は互いにけん制しながら、徐々にその矛を離した。
「うむ、うむ。ブリッセン卿の英断を評価する。
ではデーン男爵よ、とっとと去るがいい」
ホーテン卿はこの結果に満足して大きく何度も頷くと、すでに興味ないという顔でデーン男爵とその近衛たちに目を向けて、しっしと手を振った。
「くっ……行くぞ」
「はっ」
ひどく悔し気に表情をゆがめたデーン男爵だったが、それ以上にできることなど彼にはない。
彼はその表情を崩さぬまま、近衛を促して旧街道をそそくさと駆けて行った。
「……これで良かろう?」
デーン男爵が街道の向こうで見えなくなるまで見送ったホーテンは小声で言う。
これを聞いているのは「戦術心話」で通話が繋がっているスプレンド将軍だ。
「まぁ、良いだろう。
しかしデーン国の騎士長など捕らえてどうするのだ?」
と、スプレンド将軍は結果に及第点を出しながらも訊ねた。
彼としては全員逃がしてくれても良かったのだ。
ホーテン卿はこの問いに少し言い訳を考えるように視線を漂わせてから答えた。
「なに、姫様も常々人手不足と言っておろう。
であれば使えそうな人材は確保してお叱りを受けることもあるまい」
これが建前であることはスプレンド卿にもすぐわかった。
なにせホーテン卿とはそれなりに長い付き合いなのだ。
どうせ矛を合わせて気に入ったとかそんなところだろう。
だがスプレンド卿は特にそこを追求することもない。
「……そう言うことにしておこう」
どうせホーテンのこと。
言ったって無駄だし。
さて、デーン男爵国とセルテ侯爵領を結ぶ旧街道の、デーン国側に少し戻った林の中である。
そこには五〇に近い数の者たちが隠れていた。
彼らはこの度、セルテ領に進軍した四五〇のデーン兵のうち、最初の強行軍で脱落した農民兵たちである。
そも、実家で兄たちの手足となって田畑を耕す生活に嫌気がさし、従軍して手柄を立てれば富と栄誉が与えられるなどと言われて徴募に応じたはいい。
が、兵卒の扱いは思ったよりも悪かった。
ゆえに彼らは強行軍のどさくさに紛れて逃散し、戦争の行方をしばしここで伺っていたのだ。
デーン国が勝てば凱旋する時またどさくさに紛れて合流すればいい。
敗走して来るなら、その時はその時考えよう。
そんな低度の考えで、彼らはこの林に伏せていた。
と、そうして何日か潜伏ていたある日の夜。
旧街道を遡って戻ってきた一団があった。
「おのれ、この屈辱、けっして忘れんぞ」
などと憤慨する男と、それを宥めつつ固まってかの身を守る護衛数人の一団である。
「あれ、デーン男爵じゃねーか?」
「お、そうだな……騎士長は見当たらんな。敗走か?」
「どうする?」
「どうしような?」
「……」
逃散兵たちは互いに顔を見合わせ、それから無言で頷き合う。
そしてまるで訓練された兵の様に、いや、これは山で猪を囲い狩りするように、と言った方が正しいのかもしれない。
ともかく彼ら逃散兵は一斉に駆け出してデーン男爵の一団を取り囲んだ。
「な、なんだお前たちは!
俺がデーン男爵だと知っての狼藉か!?」
その夜、彼は闇に消え、二度と男爵領領都の地を踏むことはなかった。
続きは来週の火曜に