447ホーテン卿の提案
デーン男爵国騎士府長の目に、鬼騎士ホーテンのそれは明らかな隙と映った。
なぜかは判らない。
だがほんの十数秒前からホーテン卿は何かに気を取られているようだった。
さらに言えば少し困ったようなそぶりを見せていた。
まるで何かやらかした失敗を誰かに責められている様な、そんな様子であった。
そして騎士長ブリッセンにとって「これは千載一遇のチャンスである」という瞬間が訪れる。
「いやいやそれはごめん被る。俺に政治は解らん」
ホーテン卿が何言か口にし、気を取られていた何かに、完全に顔と気持ちを向けたのだ。
「鬼騎士、その首もっらった!」
ブリッセン卿が馬上にて愛用のグレイブを素早く取り回し、渾身の一撃を放つ。
彼にとって手前味噌ではあるが、それはこの十年の中でも「これ以上のモノは無し」と思えるほどの一撃だった。
ゆえに、これがダメであれば、という意識が一瞬だけよぎった。
よぎってしまった。
これがいけなかった。
刹那。そう、刃がホーテン卿にあと数ミリで届こうというその刹那。
かの鬼騎士の目が見開かれ、再びブリッセン卿を見る。
気づかれた!
だがここまで迫った刃を人間が避けられるだろうか。
いやない。ありえない。
ブリッセン卿はそう確信してより一層の気持ちをグレイブに乗せた。
その直後に、それは起こった。
どう言ったらいいだろうか。
ホーテン卿の身体を彩る様々な色が、その一瞬だけあせたように見えた。
おそらくそれは目の錯覚だろう。
が、確実に何かは起こった。
ブリッセン卿の目にそれはスローモーションのように見えた。
ホーテン卿の身体がゆっくり滑らかに、それでいてありえない速度で彼のグレイブを潜り抜けたのだ。
「なんだこれは!」
気が付けば、振りぬいたグレイブを手に、ブリッセン卿は呆然と立ち尽くしてしまった。
これは明らかにブリッセン卿の隙であった。
が、今しがた無理な挙動でグレイブを避けたホーテン卿もまた、馬上で体制を整えるためにほんの少しの時間が必要だった。
結果、両者数馬身の間を空けての向き合いに戻った。
「ふぅ、今のは危うかったぞ。
なんならここ十年で最も危なかった。
いや昨年スプレンドと対峙した時とどっこいどっこいか?
なんにせよ姫様のお力なくばこのジジイ死んでおったかもしれんな」
そう、今の常人非ざる不可解な動き。
あれはエルシィの家臣になった後に身に付いた覚醒スキル「螺旋の捌き」である。
そしてそれあってすら、死線であった。
そう自ら述べながら、どこか嬉しそうに、そして饒舌にホーテン卿は言い放った。
その上で「惜しい」と思った。
このブリッセンという男。このまま斬り伏せるのは惜しい。そう思ったのだ。
すでに初老目前という年頃のようだが、まだ環境を変えてやれば伸びしろがある。
ホーテンをしてそう思えたのだ。
「いやまて、さっきスプレンドの奴はデーン国の生き残りどもを国元に逃がせとか言っておったな」
ふむ、とそこで思案する。
だが、ともまた思う。
このままデーン国兵士たちを放逐するのは良いとして、このブリッセン卿という男まで元に戻していいだろうか。と。
先ほど「環境を変えてやれば」と思ったが、放逐して国元に戻せば結局は同じことである。
つまりせっかくホーテンが感じた伸びしろも、そこで潰える可能性が大きいと思われるわけだ。
であれば、とホーテン卿はひとつ画策する。
画策したホーテン卿はすぐにその案を口にする。
「ブリッセン卿。俺から一つ提案がある」
「提案……?」
向き合い、再び合を交わすつもりで身構えていたブリッセン卿がから困惑じみた返事が漏れる。
愛用のグレイブはまだ油断なく穂先を上げているが、それでも話を聞くつもりはありそうだった。
ホーテンはその様子を満足そうに見止めて続ける。
「今の攻め、まこと見事な一撃であった。
一つ間違えば俺もついに引退となるところであったよ」
これを聞いてブリッセン卿は「あんな動きで避けておいてよく言う」と歯噛みした。
結局は一歩届かなかったのだから。
「つまりここからが提案なのだが」
悔しそうなブリッセン卿の様子に「せっかく褒めたのに」などと首を傾げつつ、ホーテンはその提案を口にした。
「卿と、それからあそこで戦っておる兵たちを降伏させよ。
さすれば貴様らの主君をこの場から見逃してしんぜようではないか」
これを聞きブリッセンはおのれの目的を果たせそうで「しめた」と思いつつ、もあまりの都合のよさに「罠ではないか」と警戒した。
続きは金曜に