443死兵となるために
正直言えば気に入らない。そう言う顔の兵たちもいた。
多くは徴兵された農民兵だったが、騎士たちの中にも少数ながらそう言う者はいる。
だってそうだろう。
この死線の中、一致団結してひと花咲かせてやろう。
と、そういう時に主君たるデーン男爵が自ら「お前らが死んで俺が逃げるための隙を作り出せ」というのだ。
これで反発するなという方が無理である。
みな、なんだかんだで自分の命は大事なのだ。
とは言え、である。
デーン国騎士府長もそのことは重々承知していながら、このまま座して時を待てば自分たちは決定的な、そして殲滅的な敗北を喫することになるだろうということも判っていた。
なぜなら、こちらは現状で兵数三五〇しか残っていないのに、向こうはざっと数えて一五〇〇はいるのだ。
四倍以上の兵力に囲まれて生き残る策など、彼は知らない。
騎士長は目を瞑り、しばし黙考したうえで口を開いた。
「皆、聞いてくれ」
この呼びかけで、兵たちは騎士長に注目する。
この上、どう主君を擁護するのか。
そんな興味を持った者も少数だがいた。
騎士長は言う。
「良いか。男爵陛下は言わずと知れた我らが守るべき最優先の貴顕である」
この期に及んで貴顕もなにもあるか。そういう目が、特に農民兵の中に多く宿った。
死んでしまえば貴いも賤しいもない。
皆、等しく屍だ。
しかし、ここからの話には興味を持たざるを得なかった。
「ここで死ぬことに不満がある者もいよう。
だがそんな者にも国元に家族がいるだろう。
デーン国主君である男爵陛下が我らの屍を越えて帰国なされたなら、男爵陛下はその殊勲者である我らの家族に大いに報いてくれることだろう。
どちらにしろ我らは死ぬ。
だがただ死ぬのか。それとも家族に何かを残すのか、よく考えるがいい」
これを聞いて、多くの者はやる気になった。
四倍の敵兵に囲まれて絶体絶命。
どうせ死ぬなら何か残る方がまだマシだ。
だが一人、逆に不満そうに顔をゆがめる者があった。
デーン男爵その人だ。
これを見て、騎士長は「やはりな」と一瞬だけ白い目を向けた。
この男は主君たる義務を果たす心づもりなく、ただ助かりたい一心で兵たちを捨て駒にする気だったのだ。
まぁ絶対的な主君制度であるこの世界で、この考えが間違いだとは言えない。
主君の死、それすなわち亡国なのだ。
国が無くなれば国民を守る者も法もなく、後は新たな主君が立つまで野盗に荒らされるのみである。
もちろん、自ら野盗になる者もいるだろうし、つまりはもうメチャクチャである。
ともかく、そんな主君が死を賭して自分を逃がそうという兵たちに報いる考えがなかったというのはさすがに体裁が悪い。
ことこれは兵たちの士気にかかわるのだ。
であれば、と騎士長は最終手段をとることにした。
「アレを」
「はっ」
騎士長が短く自分の従騎士に告げると、言われた従騎士も「わかっておりますとも」という顔で一つの文箱を差し出した。
さすがに騎士長に仕える従騎士だけあり、ツーとくればカーだ。
そして騎士長は、受け取った文箱をそのままデーン男爵に差し出した。
「男爵、これを」
「なんだこれは……!?」
受け取り、男爵は怪訝そうな顔をしつつ文箱を開けた。
中にあったのは紙束だ。
なんの紙束か。
つまりそれは、この侵攻に従軍した一切の兵の名と現状を記したものである。
「行方不明者、死者、重傷者もおりすべてではありませんが、それ以外はここにいる者たちばかりです。
男爵陛下、確かに、お願いいたしますよ」
「わ、解っておる。俺が国元に無事帰りおおせたなら、必ずやその方らの家族に報いると約束する!」
この言葉を得て、騎士長は大きく頷いた。
当然、この場での口約束など後でいくら違えたって誰も責めようがない。
この場の兵がことごとく死んだのなら責められる者もいないのだ。
よしんば、幾らかの兵が生き残ろうとも、その少数でデーン男爵を何とかするなど難しいと思われる。
それでも、神明の存在するこの世界で、誓いの言葉というのはまだまだ重いと思われているのである。
ゆえに騎士長は納得して兵たちを振り向いた。
「皆、聞いたな?
であれば、全力とこの身命をかけて、男爵陛下を守り逃がす。
これが我々に残された唯一の戦いである!」
「おお!」
兵たちは、様々な思いを飲み込んで、今はただ声を上げた。
続きは金曜に