441脱走兵
さて、時間を少しだけ巻き戻し、デーン男爵国軍がニュビル村郊外の防衛陣地を攻め始めた前後の、セルテ軍本体の動きを見てみよう。
その頃のセルテ軍はエルシィの「とんでけー」によって移動したデニス正将率いる三〇〇の兵に追いつくため、急ぎ自力の進軍をしていた。
総大将はご存じ美丈夫と称されるスプレンド将軍。
年齢的には鬼騎士ホーテンとほぼ同期なのだが、見た目がかなり若々しく美老というよりは美中年と言った方がいいだろう。
ただ顔は美しいが「丈夫」と言われるだけはあり、長身でがっしりした体形であり、武人というに遜色ない威容である。
そしてデニス正将がいない今は副将として七〇〇の兵を与るのが、スプレンドをして「いい身体している」と言われる巨躯の筋肉ダルマ、サイード正将である。
同文化圏において武術の腕で言えばホーテン卿が群を抜き、それに次ぐのがスプレンド卿と言われるが、ことパワーにおいては彼をしのぐ者はいないだろうと言われている。
ちなみに今彼が率いている七〇〇のうち二〇〇は、デニス正将が残していった兵なので正式に言えばサイードの配下ではない。
そんな彼らが急ぐのだが、とはいえ駆け足進軍などをしていては脱落者も出るだろうし戦場に到着しても疲労で役に立たないのでせいぜい一時間に一度の小休止を一時間半から二時間に一度へと減らす程度である。
この辺りはエルシィから「兵を酷使しすぎないように」ときつく言われているので徹底されている。
そんな具合で進軍中。
想定された戦場へは「あと一度小休止を入れればよいだろう」くらいの距離になったころで、先を行く哨戒兵から伝令が来た。
「スプレンド将軍に申し上げます。
前方に三〇からなる武装集団を発見しました。装備はバラバラで農民の様にも見えます」
「ふむ、デーン国は農民を徴兵したと聞くし、それは何らかの密命を帯びた別動隊かもしれんな。
よし、囲め!」
すぐにスプレンド将軍が下知を発し、副官や士官が動こうとしたところで続報の伝令がやってきた。
「伝令! 先に伝えた武装集団をサイード将軍が囲みました。
現在にらみ合いを続けながら投降を呼びかけております」
「そうか。よし、私も行こう」
そうして自らの馬を走らせてスプレンド卿が現場に到着すると、すでにことは終わっていた。
件の武装集団とやらはサイード正将の呼びかけに応じ、早々に武装解除してひとまとまりに座らされていた。
「おお、将軍殿。
いま配下の者が事情聴取しているところにござる」
「ずいぶんと早いじゃないか。やはりこういうのは私より強面のサイードの方が向いているのか?」
「いや、スプレンド将軍も十分厳ついでござろう」
軽口の様にスプレンドが言えば、サイードは真面目腐った顔で眉根をゆがめる。
顔の美しさが際立つせいもあり厳つさで比べればどうあってもサイードの方が上ではあるが、それでも一般人からすれば頑強そうなスプレンドだって充分厳つい。
少なくとも彼らが治安の悪い盛り場を単独で歩いていてケンカを売られることはないだろう。
「いやいや」「然り然り」などと両将が言い合っているうちに武装集団の聴取は終わったようで、担当の隊長が走り寄ってきた。
「連中、デーン国の農民兵で間違いないようですね。
軍本体が略奪目的で進軍スピードを上げたのに反発して逃げ出して来たようです」
「すると逃亡兵か。略奪に反発と言うと善良な農民なのだろうな。
とはいえ正規兵なら懲罰モノだ。……が、徴兵だしなぁ、どうしたものか」
「スプレンド殿。そもそも相手は他国の農民であり、拙者らが裁く必要ないのではなかろうか」
「……それもそうか。では情報だけ絞ってお帰りいただくか」
「そうでござるな」
「それが……」
二人の将がそんなことを話している傍らで、聴取を担当した隊長は言いづらそうにおずおずと口を挟んだ。
「ん? どうした、報告がまだ途中だったのか?」
「ええ、その、連中はセルテ侯爵領への亡命帰化を希望しております」
「ぼうめいきかぁ?」
「先に将軍がおっしゃっていた通り、このまま国に帰っても罰せられるだろうからと」
「いやいや連中も国元に家族がおるでござろう」
場合によっては連座で家族にも罪が及ぶ。
それを心配したサイードだったが、どうやら彼らの思惑では違うようだった。
「どうもみな農家の次男三男のようで、帰ったところで農地を継いだ長男家の下働きにしかなれないとのこと」
「なるほどなぁ。
このまま国に帰らず行方不明になればデーン軍も戦死扱いするしかない。
であれば罪人どころか英霊扱いでご実家にも見舞金くらいは支払われる。
確かにいいこと尽くめだ。
幾分、都合がよすぎるがな」
と、伝え聞いた農民兵たちの心情に、スプレンド将軍は理解を示した。
まぁ貧国デーンの政府が見舞金などと言う殊勝なモノを払う可能性は限りなく低いが、それでも罪人扱いで連座よりはよっぽどマシである。
ただ。
「私は良いと思うが、さすがにこの判断はいち将軍がしていいものではない。
ひとまず武装解除のまま小荷駄役に預けて同行させるか」
「そうでござるな。
軍人が政治に絡んでいいこと等ござらんからな」
スプレンドの意見に、別角度からの意見で同意するサイード正将だった。
そのしみじみとした様子をみるに、旧セルテ侯国時代に嫌なことがあったのかもしれない。
そういう訳でデーン国軍からの離脱者である三〇の農民兵は、武装をことごとく取り上げられた上で、陣形の比較的後方に位置する荷物運びの小荷駄役に混ざって同行することとなった。
そして彼らがもたらした情報はと言えば。
「デーン国軍の集結地?」
「デーン国軍はニュビル村の少し前にある林で一度集結し、それから村を攻めるつもりだと」
「ではそこを目指して進軍し囲んでしまうか」
「先行している友軍の将はデニスでござる。であればニュビル村の前で防御陣を敷くであろうから、挟み撃ちするのも良いかと」
「それ採用。
よし、ではセルテ全軍、さようせい!」
スプレンド将軍の号令一下、各々の指揮官下士官がビッと駆けだして全軍へと伝え、彼らは一路ニュビル村外の林に向かって再進軍を始めた。
続きは金曜に