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438敗走

「撃て!」

 そう、さほど大きくない声が聞こえた。

 その直後に、街道脇から現れた弓兵の手からヒュンヒュンと音を立てて幾本もの矢が飛来し、デーン国軍列の右手後方に食いついた。


 冷静になれば大した数ではないのがすぐわかる。

 弓兵の人影も数えれば三〇程度しかいない。

 それでもデーン国軍の比較的後方にいた者たちは慌てた。


 なぜか。

 後ろを取られるというのはつまり退路を断たれるということであり、これは理屈よりも本能的な恐怖が呼び起こされるからだ。


 そして藪から現れた弓兵たちは命中より速射することに重きを置き、次から次へと矢を放ってくる。

 最初の指揮官の「撃て」以降は指示さえなくまさしく矢継ぎ早である。


 そうして慌てるとどうなるかと言えば、デーン国軍の列が乱れる。

 最初は直接藪の兵を目視した者が「伏兵だ!」と叫び身構える。

 それを見聞きした者が振りむこうとしたところで矢が飛んできて、運の悪い者はその身に受ける。


「痛い、矢が刺さった!」

「殺される!」

 そんな声がちらほらと聞こえてきた。


 軍に身を置きながら死ぬ覚悟もないのか。

 そう思う人もいるだろう。

 だが、軍人の皆が皆、死ぬ覚悟をしているわけではない。

 特に徴募されただけの少し荒くれ寄りな農民など言わずもがなである。


 こうなると目端の利く者が逃げようとする。

 それが感染したように鈍い者もまた逃げようとする。

 生まれた混乱は水面の波紋のようにあっという間に伝搬していく。


「伏兵が右手後方に現れた」

「すでに何人かやられたらしい」


 そんな情報が伝言ゲームで渡され、前列で逆茂木柵に取り付いたばかりの者たちに届くころには全く別のモノになっている。


「大軍に退路を断たれたにゃ」

「このままだと全滅だにゃ!」


 こうなると前列も略奪などあたまから吹っ飛び逃げることを考え始め振り返る。

 中にはその隙に、柵越しの三間槍(さんげんやり)で突かれる者もいた。

 というか、伏兵の矢で倒れた者より、槍で突かれた者の方が実は多かった。


 そうこうしてデーン国軍は互いに互いで動きを邪魔し合うようにして、ようやく後退し始めた。

 これに慌てるのは指揮を任されている騎士府長その人である。


「ま、まて! 伏兵も寡兵なら前方の守兵も寡兵だ。

 こんなもの気にせず突撃せよ!

 柵を破って進んだ方が被害は少ないはずだ!」

 そう叫ぶが、命令を聞き入れることができるのは半数の職業軍人のうち、さらに三分の二程度で、それらも他のパニックした者たちのせいでロクな動きができないというありさまだった。


 こうなれば仕方ない。

 さすがの騎士府長はここで考えを切り替えて新たな指示を出しなおす。

「動ける騎士と警士は前方と右手を固めろ。

 一度後退して立て直す!」


 これを聞いて農民兵たちも少し落ち着きを取り戻した。

 敵がいる危険な方向を職業軍人たちが押さえてくれるなら、自分たちの安全はある程度担保されるからだ。


 そうして何とか乱れた隊列が少しだけ整い、一応、組織的な後退ができる状態になった。

 ここまでに出た被害は多くもないが少なくもない。

 死亡した者こそそこまでいないが、重軽合わせて怪我を負ったものは一〇〇近くいるだろう。

 騎士府長は苦い顔で自らも前方を守りつつ、後退する味方の尻を叩いた。


 と、ここでさらに頭の痛い事態が発生する。

 弓兵が伏せていた右側とは逆。つまり左側の藪から「ジャーンジャーン」というけたたましい銅鑼の音が鳴った。


「まさか!?」

 騎士府長だけでなく、仕官クラスの兵たちが「やられた」という顔で素早く目線を音の方へと走らせる。

 すると彼らが思った通り、左の藪から騎兵を含む一〇〇以上の兵が突撃して来た。

 目端の利く者が見れば、こちらは正面にいた守兵と違い、皆が皆、揃いの装備に身を固めていることが分かっただろう。


「最初からこっちが主力かよ!

 っていうかこんなにどっから沸いたんだ!?」

 よもやよもや、という気持ちでデーン国騎士府長は叫んだ。

 こうなればもう守りだ何だ言ってる場合ではない。

 いくらこちらの方が全数多いとはいえ、乱れた群れで勝てるわけがないのだ。


「ええい、各人、全速力で後退しろ。

 生き延びること優先だ」

 騎士府長の怒鳴り声を聞き、デーン国軍はまさしくドタバタという音を立てるように、街道を逆進していった。

 軍教育を受けた者から見れば、まさに無様な敗走と言えるだろう。



「追いますか?」

 その敗走を見送りながら、守軍の将であり、左手の伏兵を指揮していた銀髪の正将デニスは、副官からそう訊かれゆっくりと首を振った。

「いや、我々の仕事は時間稼ぎですし、深追いして余計なケガをしては面白くありませんよ。

 様子を見ながら守りを固めましょう」


 聞いて、副官はすぐに指示を出す。

 そうして仕事を終えたうえで、肩をすくめた。

「それにしてもずいぶん上手いことハマりましたな」

「ワザと汚した鎧なども用意した甲斐がありましたね」

 二人はそう、笑いあった。

にゃ?

続きは来週の火曜に

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