436デーン国軍の行進
デーン男爵国軍の兵は、セルテ侯国辺境の寒村であるニュビル村から少し離れた森の広場で整列させられていた。
誰に。
もちろん指揮官であるデーン国騎士府長であり、またその唯一の上長であるデーン男爵陛下その人の命令によって。
「どうだ騎士長」
しばしの時間をかけてようやく「一応方陣かな?」と言う態で並んだ兵たちを睥睨して、デーン男爵は頼りの騎士長に声をかける。
見る限り、どうにも統制というモノが取れているようには見えない。
もちろんその認識は騎士長も同様で、彼もまたため息をついて首を振った。
「四〇〇というところですね。五〇は脱落しました」
「ふむ、あの行軍速度だ。多くが農民では致しかたなかろう」
そう、元々今回の進軍の為に編成された軍の、およそ半数は徴兵された農民だ。
普段からよく訓練された騎士警士、または市民有志の自警団とはわけが違う。
彼らには軍事行動に対する知識もなければ志もない。
今彼らにあるのは、春ゆえに自家が受け持っている田畑の作付けのことか、せいぜいこの先にある敵国市村で許される予定の略奪くらいだろう。
そも、先にも男爵が述べたように、この徴兵に金銭などの報酬は用意されていない。
ゆえに通りかかった敵国市村に置いての略奪こそがその報酬となるのだ。
ともかく、そう言う理屈もあり意気揚々な兵たちではあったが、それでもやはり半数がろくに訓練していない集団であれば、行軍のどこかではぐれる者がいてもおかしくないだろう。
特に尋常ではない速度の行軍であればいわんや、である。
「で、あれば、五〇程度の脱落なら許容するしかないでしょう」
「まぁこの先にある村を襲うくらいなら四〇〇でも充分であろう」
「そうですな。
では出発するので、お下知を」
「うむ」
騎士長に促され、デーン男爵は大仰に頷いて見せた。
「デーン男爵国の勇士諸君。
いよいよ我らは戦端を開く。
まずはこの街道の先にある敵国村ニュビルを襲撃し接収する予定である。
各々、許された範囲で大いに英気を養いたまえ」
物は言いようである。
そもそもこの軍の最初の予定では主街道沿いを攻め上がり、国境砦付近で会戦を挑む手筈であった。
だが国境を越える前に略奪許可について話したところ、徴兵衆どころか下士官たちまでが落ち着きを失い略奪できそうな市村への先着を進言するようになった。
少数であれば我慢させるところであったが、少し暴動になりかけたりもしたので仕方なく目標を変更したという経緯がある。
だが目標は目標だ。
変更された予定とはいえ、予定となったのならそれは予定なのである。
いつ決まった予定かなどは関係ないのだ。
ともかく、そういう訳で行軍だけで五〇の兵を失ったデーン国軍は、再びその足を旧街道の先へと向けた。
「一度進軍を止めてしまったら、旧伯爵殿から頂いた権能が消えてしまいましたな」
「『西風の翼』とか言ったか。
だがニュビル村はすぐそこだ。もうよかろう。
それに、ほれ……」
デーン男爵が顎で示した兵たちのギラギラした顔を見て、騎士長は頼もしいやら情けないやらで目元を手のひらで覆った。
そうして出発した一軍は、尋常でないとは言えないが、常識的な中ではなかなか速い速度で旧街道を進んだ。
お世辞にも整った行軍とは言えないが、村を一つ落とすくらいならこの程度の統制でも充分可能であろう。
と、デーン男爵もデーン国騎士長も思っていた。
そう、あくまで何の防備もしていない村を落とすのであれば、と言う話である。
しばらく進むと、斥候代わりに少しだけ先行していた下官位の騎士が駆け戻ってくるのが見えた。
「何かあったか?」
すぐ察して列から出た騎士長がその者に詳細を話すよう促す。
「は!」
斥候騎士は馬上から略式期の敬礼を挙げてから、自分の見たモノについて言及する。
「この街道の先、村よりは五〇〇mは手前になるでしょうか。
丸太柵の様なモノが道を塞いでいます」
「なんだと? ちっ、こちらの動きを察知されたのか。
しかしどうやって……」
騎士長を追うようにやってきて共に報告を聞いたデーン男爵がそこに口を挟む
「騎士長。今はどうやってなど考えている場合ではない。攻めるかどうかだろう」
「いやしかし……は、仰せの通りに」
どうやって、どの程度こちらの動きが察知されたのか解らないと、この先の進軍で何をどの程度対策されているかの予想もつかない。
そう答えようとしたが、男爵のひと睨みで黙ることにした。
なにもその視線に迫力があったとか恐怖を感じたということではない。
この上長たる男爵陛下が、彼の意見など求めていないと判ったからだ。
騎士長が黙ったことに気を良くしたデーン男爵は、続けて斥候騎士に向き直った。
「それで? 守備兵などはおったか?」
「せいぜい一〇〇というところでしょうか」
「どう思う、騎士長」
ここでようやく意見を求められ、騎士長も空気を読んで訊かれたことにだけ素早く答える。
「一〇〇ですか。
であれば砦に残された守兵と農民の自警団の混合隊というところでしょう」
「その程度であれば問題ない。こちらは四〇〇いるのだ。
そうであろう? 騎士長」
デーン男爵は言って、満足そうな顔で斥候騎士と騎士長を順に見た。
確かに街道を塞ぐ丸太柵があろうとも四倍の兵力差ともなれば力押しでも行けるだろう。
特に、後に控えた略奪を思えば士気も高いのだ。
「は、蹴散らしてごらんに入れましょう」
騎士長は恭しく胸に拳を当てて命令を受諾した。
続きは来週の火曜に