432急行手段
旧街道は主要街道より古いモノであり、整備もされていない。
個々人がこれを通るのでも主要街道より時間がかかるのに、軍という集団がそんなに早く駆け抜けられるわけがない。
ではデーン国軍が通常より速いスピードで駆け抜けられたのは何なのか。
答えを求めてエルシィはモニター向こうのねこ耳を凝視した。
「その原理は不明にゃ」
不明だった。
「……にゃけど、ヤツら普通の人間では考えられない速度で旧街道を踏破したのは確かにゃ。
見ていた我ら忍衆も追いすがるのがやっとだったにゃ」
訳が分からない。
だがそれは起こっている現実である。
であればその解明は後回しにして、現状に対処しなければならない。
つまりエルシィは会話の相手をスプレンド将軍に切り替えた。
「将軍、今から砦から出発して彼らに追いつけますか?」
「難しいと思われます。
ここから旧街道の国境まで半日の距離。
彼らの行軍速度が尋常でないならば、引き離される一方でしょう。
であれば、先回りして鼻先を押さえる方がよいかと」
ここまで聞いて、エルシィはふと嫌な予感がした
旧街道まで使ったデーン軍が目標とする場所とは何なのか。
「その鼻先とは、なにがあるのですか?」
エルシィは素直に問いた。
スプレンド将軍は答えた。
「村が。農村があります」
エルシィは衝撃を受けた。
つまりこれは、デーン軍が砦を攻めるより民間人を狙ってきたということだ。
まともに当たれば四五〇対一五〇〇、勝てるわけがないのは火を見るより明らかである。
なら弱いところから攻めるのは素人でも考えるだろう。
だがそこにいるのは無辜の民。
エルシィは重苦しい気分になってようやくという風に口を開いた。
「できますか?」
半日の差。
これはお互い同じ速度であっても縮めるのは難しい。
だというのに向こうはさらに早い行軍速度だという。
聞かれ、スプレンド将軍も少し苦い顔で首を振った。
「心苦しいところですが、エルシィ様の権能に頼るのが一番の方策かと」
「それは構いません。というか、我が軍の内線戦略は元帥杖の権能を前提としたものですから。
ではすぐそちらに行って虚空門を開き……」
「待てエルシィ」
言いかけたところで、傍らのアベルから待ったが入った。
振り向けば、アベルだけでなくヘイナルもまた厳しい顔で首を振っていた。
「なんです?」
怪訝そうに眉をゆがめてエルシィが問えば、護衛責任者であるヘイナルが答えた。
「現在、国境付近では不測の事態が発生しています」
デーン軍が尋常ならざる速度で行軍しているのだ。
言われれば確かにこれは不測の事態の一端である。
エルシィは先を促すように頷く。
ヘイナルは続けて口を開く。
「であれば、国内と言えど国境砦付近が安全とは断言できません。
なにがあるかわからない場所にエルシィ様が直接赴くのは反対です」
そう、これまでエルシィは街中でさえ暗殺未遂にあっている。
ならば戦場となりうる有事の砦付近で、しかも不確定の要素が絡んでいるという場所で誰が彼女の安全を確約できるのか。
言われ、エルシィは口をパクパクしながら砦を預かるスプレンド将軍を見た。
そして彼も頷いた。
将軍もまた、今エルシィが不確定の場所に来る危険を解っているのだ。
ゆえに先ほどから苦い顔をしている。
デーン軍が無防備な農村を狙って尋常でないスピードで迫っている。
かの軍を通常の方法で撃退するならば国境砦に布陣した一五〇〇のセルテ軍を行軍させることだ。
しかし時間の関係でどうしても村が襲われるのに間に合わない。
それを打破する方法はエルシィが国境砦へ赴き虚空門を開いてセルテ軍を移動させること。
だが側近たちも将軍も、その国境砦にエルシィが赴くことを「安全とは言えない」と反対している。
「わたくし一人の命より、農村に住む人々の命でしょう!?」
「いえ、エルシィ様一人の命の方が重いでしょう」
一人を救うか多数を救うか。これをトロッコ問題で言えばと考え、エルシィは農村を選ぶ。
だがその回答はすぐさまヘイナルに否定され、他の側近たちもまた同意した。
一〇〇の庶民より一人の為政者。
これはこの世界において一般的な考えと言えた。
「じゃぁどうしたら!」
思わずエルシィは素で叫んだ。
みな沈痛な表情で考える。
が、元帥杖の権能に頼ることがすでに尋常でないのだ。
これを封じてさらに良い手などあるわけがない。
そんな中、アベルがハッとして考えを口にした。
「エルシィ、あれは使えないのか?」
「あれ、というと?」
みな縋るような目で彼に顔を向ける中、ヘイナルが代表するように問いた。
アベルは少し言いづらそうに口を開く。
「あの『とんでけー』ってやつ」
「あ、それ!」
ヘイナルもピンと来て声を上げた。
特に名前がないが『とんでけー』もまた元帥杖の権能を使った家臣移動方法だった。
元帥杖を手にした初期の頃は使っていたが、動かす人数が多くなった今は虚空門の方が都合が良かったためにあまり使わなくなった方法である。
だが、あの方法であれば確かにモニター越しで映っている家臣を移動させることができる。
みなが期待を込めてエルシィを見る。
だがエルシィは気まずそうに目を逸らし、つぶやくように答えた。
「たくさん人を動かすようになって解ったのですけど、あれ、実は『MP』消費が一人一人にかかるから、軍の移動には向かないのですよね……」
「えむぴー、とは」
聞いていた側近の誰かがそんな風につぶやいたが、えむぴーが何のかわからずともエルシィの負担が大きいということが察せられたために他の者は押し黙った。
だが、今はそれが解っていてもやってもらうのが最善であればと口を開く者もいる。
その役目を負ったのは言い出したアベルだ。
「それで、『とんでけー』を使うと何人まで移動できるんだ?」
エルシィは腕を組んで「うーん」としばし計算し、そして指を三本立てた。
「三〇〇人。それでたぶんわたくし倒れます」
続きは来週の火曜に