429免罪符
場所はデーン男爵国とセルテ侯爵領の国境付近。そのデーン国側の砦である。
砦の中庭にはセルテ領へと侵攻するための兵、およそ四五〇名が休んでいる。
ある者はテントを張り、ある者は麦藁を編んで作ったゴザを地面に敷いて。
この辺りの差は本人たちの家の資産状況による差だろう。
ただ口にしている食事状況は野営状況より差がない。
おおよそ保存の為に固く焼しめた黒パンと、僅かな野菜の漬物をお湯につけたようなスープである。
「お前、良いもん食ってんじゃないか」
と、そんな中、ゴザ敷で夕食を採る若い兵に中年の兵が声をかけた。
見ればスープの中に親指の先くらいの干し肉が入ってる。
若い兵はそのスープを中年兵から隠すようにしながら顔を向けた。
「徴兵が決まってからこっち、うちの奥さんが頑張って食事をやりくりしてくれて持たせてくれたんだ。
やらないぞ?」
警戒感マックスな様子に中年兵は両手を肩まで上げてひらひらさせる。
そんなつもりはない、と態度で見せているのだ。
「いい奥さんを持ったじゃないか。
お前、南の方の村だろ?」
「わかるか?」
若い兵は少し気を許してスープを口にする。
野菜の発酵味が酸っぱく口に染みる。
「何となくな。少なくとも北の村じゃないのは判るさ」
そう、中年兵は自虐的に笑った。
比べると、ほんの少し、若い兵の方が中年兵より肉付きが良いように見えた。
その差も僅かで両者とも痩せているのには変わりないのだが。
どちらも農民であり、今回の出兵に際して徴兵された者たちである。
この四五〇の中にはそんな兵が多くいる。
そう、徴兵である。
本来、旧レビア王国文化圏では徴兵という制度が殆どない。
基本的には常備の騎士府と警士府が兵となる。
有事にはこの二つが人員を出し合って将軍府が立てられるのだ。
まぁ、将軍府が常設の場合も少なからずあるし、立府されない場合もある。
この辺りはその時々の財政状況や政治の力関係で変わるのだが、それはともかく徴兵だけはほぼない。
この「ほぼ」というのは、国が絶対的な窮地に立たされた時には「ない」などと言ってられないからであって、戦争の序盤から徴兵など普通は恥知らずとされる。
だが、今回の出兵に際し。デーン男爵国は大々的に徴兵を行った。
とは言え徴兵で一〇〇〇を超えるような人員を集めては農村が立ちいかない為、各地域より何人出すように、と言った御布令を出したのだ。
それで集めたのがおよそ三〇〇強という兵である。
そして食事の様子を見ての通り、そんな農兵の殆どが貧しい。
元々痩せた土地と寒冷な気候で麦の育ちは悪く、その上、この冬は出兵の為の特別徴税を行ったからだ。
ゆえに手弁当で賄われる彼らの食事は非常に貧しい。
「しかしまぁ、こんな飯では力も出んよなぁ」
中年兵はおどけたように言うが、若い兵はより深刻な顔に変わる。
「それでも……隣の国の鉄血姫、だったか?
悪鬼の様なやつだって言うじゃないか。
俺たちが踏ん張って討伐しないと村も皆殺しだって言うぞ」
「……そうだな」
それはいわゆるプロパガンダだ。
出兵に際し恥知らずと言われる徴兵を行う上で、その理由付けとして敵国となるセルテ侯爵の悪逆ぶりを、デーン男爵はのべつ幕なしに喧伝した。
当然、その八割以上は虚言である。
とはいえ国際情勢も、ともすれば自国の首脳部に対する知識さえない農民からすれば、そうした情報こそが事実となるのだ。
ただ中年兵の様なある程度人生経験を積んでいる者は、口には出さないが「まぁ嘘だろ」と思っていた。
特に倍以上の戦力を跳ね返してハイラス伯国を逆侵攻した、とか、少数でセルテ領主城を急襲して落とした。などという話は眉に唾して聞かねばならない。と思っていた。
だがさすがにこれから戦争をしようというのに若者のやる気をそぐようなことは言わない。
おっさんは空気を読む人生経験も積んでいるのだ。
「お互い、生きて奥さんの下に帰りたいもんだな」
「ああ、絶対帰る。悪鬼を倒してな」
若い兵はそう返事をし、手にしていたカップのスープを飲み干した。
「集まれ! みなの者、集まれ」
そんなことをしていると、正規兵がぞろぞろとやってきて彼ら徴兵者に「整列しろ」という。
彼ら正規兵とは、すなわち騎士府や警士府の者たちで、今次戦争では多くが士官として働くことになる。
そして彼ら正規兵は農兵に比べ総じて血色がいい。
おそらく食べる物が彼らよりマシなのだろうと察せられる。
二人は少し嫌そうな顔をしながらため息をつき、「やれやれ」とこぼしながらノソノソと歩いて集合場所へと向かった。
数十分。
とても効率的とは言えない動きで農兵たちは集まり、そしてようやく整列の形が作られた。
とは言え、全体的に統一感がなく、何かイビツでもある。
「よし、集まったな。……ふむ、こんなもんか。まぁいい。
これより、男爵陛下よりお言葉がある。
皆、よく耳を傾け聴くように!」
おそらく兵の中でも序列が高いと思われる年嵩の偉丈夫がそう声を張る。
この言葉に農民兵たちは少しざわついた。
「男爵陛下が? 陣頭指揮なさるのか」
「これは思った以上に本気だな」
いくらかわかっている者からそんなつぶやきも聞こえた。
そして設えられた粗末な木組の壇上に上がったデーン男爵より、訓示が始まった。
内容は難しい言葉がよく使われ、農兵たちの多くはすべてを理解することができなかった。
それでも「セルテ国の為政者が悪鬼であること」「放置すればいずれデーン国も滅ぼされ、農村も荒らされるということ」「そもそもデーン国が貧しいのもその鉄血姫が悪いのだということ」「だからいま倒さねばならないのだということ」。
そうしたことが訓示に含まれているのだけは解った。
これまでに聞かされた話もあるので、農兵たちは深刻そうに頷いた。
「これは世界より悪鬼を駆逐し、我らの生存をかけた戦いである。
ゆえに、みなの者には申し訳ないが報酬はない」
そして続く言葉で兵たちは少しざわついた。
元々、さほどの期待はしていなかったが、こうはっきり言われると士気が下がらずを得ない。
だが、最後に男爵はこういった。
「ゆえに、国境を越えた後は各自、乱取りを許す。
皆、励めよ!」
つまりこれはセルテ侯領に入りさえすれば、略奪は自由にしてよい。という男爵からのお墨付きである。
兵たちの目がギラギラとしたモノに変わった。
続きは金曜に