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425トラピア四兄弟その9

 故トラピア子爵の四男坊ハンノは、以前から秘かに借りていた集合住宅の一室にいた。

 ここはハンノが子爵家から自由になった時に備えて用意していたのだ。


 その部屋で、ハンノはただずんでいた。

「はぁ、これからかぁ……」


 彼は現状で子爵位の継承権が第三位に当たる。

 本来であれば第四位であったが、長兄の死によって繰り上がったのである。


 それでもまだ三位。

 順当にいけばそのまま子爵家から出される予定には違いない。

 とは言え、確かに家族であった長兄の死が、彼を憂鬱にさせるのだ。


 まさかこんな急に、しかも凶刃に倒れるなどと言う死が、この貧しくも平和な国であるとは思わなかった。

 いったい何が目的で?

 騎士府長サイの言うように、かの鉄血姫からの刺客だったのか。

 それとも全く別の思惑による暗殺なのか。

 犯人が永遠の沈黙に落ちた今となっては誰もわからない。


 そして長兄の死により次兄が継承権一位の太子として立ち、次兄には嫌われていたハンノはいち早く子爵邸から追い出された。


 ただ、政治にあまり口を突っ込みたくなくて避けて来たハンノにすれば、そんなことより一番心に伸し掛かるのは、兄の死に対する悲しみだった。


「数か月は何もしないでも食べていけるだけのお金は支給されたし、しばらくこの部屋で喪に服しているのもいいかもね」

 ハンノはそんなことを呟き、そしてハッと顔を上げる。


「そうだ、今この胸にある兄の死に対する悲しみを詩にしよう。

 こんな気持ちになるのはきっともうないだろうし」

 自分の思い付きを「名案である」と認めて大きく頷き、その直後に自嘲するように口元だけゆがめて笑う。

「詩人ってやつはダメだな。

 人の死も純粋に悲しめやしない」

 静かに肩をすくめ、そのまま粗末な文机へと向かった。


 そうして詩創にふけりしばらく、そろそろ夕刻に差し掛かろうという頃に部屋のドアを叩く音がした。

 誰かの訪問を知らせるものだ。


「誰だろう?」

 ハンノは不思議に思ってペンを止め首を傾げた。

 この部屋のことは子爵家の一部には伝えているものの、詩吟の仲間にはまだ教えていない。

 とはいえすでに彼を追い出したはずの次兄が来るわけもなし。

 三男は……前に話したのがいつかさえも思い出せないくらいの交流具合だ。


 まぁ、ともかく出て見ればわかるか。

 そう気を取り直してハンノは立ち上がった。


 果たして、ドアを開けてみれば廊下に一人の男が跪いていた。

「ひっ」

 ハンノは思わず飛び退りながらそう小さな悲鳴を上げる。

 最初、視線にいなかったためすぐに見つけられなかったからだ。


「だ、誰ですか?」

「サイ。騎士府長、サイにございます」

 言われてみれば武人らしい偉丈夫が狭苦しそうに身を屈めているのが判る。

 ただこれまでにない謙りようで、ハンノは怪訝そうには眉をひそめた。


 今までこの自尊心高い騎士府長が、長兄や次兄以外にこんな態度を示したことがあっただろうか。

 いや長兄にすらどこか馬鹿にしたような素振りが見え隠れしていた。

 おそらく武辺にいる彼からすれば、長兄は文弱に見えたのだろう。

 つまり真に心から仕えていたのは次兄だけにだった。


 その騎士府長がこの態度。

 ハンノはとても嫌な予感がした。


「サイ……さん? いったいこれは?」

 恐る恐ると言う態で、ハンノはそう切り出した。

 まるきり貴人とその従者のごときこの立ち位置からして、そうしないと一言も発しないだろうと思えたからだ。


 問われ、サイは頭を下げたままに言を発した。

「ハンノ様。あなたの兄殿下がことごとく泉下へ旅立たれました。

 至急城へお戻りください」

 つまり長兄に続いて次兄も、そして三兄も死んだという。

 いったいなぜ?

 ハンノは混乱しつつも、騎士府長に促されて城へと向かった。



 さて、ところ変わってこちらはセルテ領主城執務室。

 今日も今日とてジズ公国領外領鎮守府総督エルシィ侯爵は、上がってくる稟議書、報告書、提案書などなどに目を通しているところであった。


 というか、エルシィだけでなくこの部屋にいるものはことごとく忙しそうである。

 その筆頭がエルシィであり、宰相ライネリオであり、侍女頭のキャリナということである。


 本来であればここに、エルシィの政治やなんやらを助ける侍従も加わるはずだが、現状で彼女に侍従はいない。

 ここで忙しそうに動いているのは、旧セルテ候エドゴルが残していった政治向きの侍従たちである。

 彼らがそのまま政治秘書のような形で執務の補助を行っているのだ。


 そんな中、鳴り響く鐘の音で皆がピタリと手を止める。

 これは領主城に昔から設置されている有事を知らせる鐘である。

 だが今は別に何か非常事態が起こったというわけではない。

 ではなぜ鳴ったかと言えば、ここ最近、エルシィの提案で始業と終業の時間を知らせる為に鳴らそう、ということになったからだ。


 ゆえにこの鐘の音でそれぞれが今日の仕事を終える為の片づけに入る。


 と、そこへ執務室の扉を叩く音がした。

 近衛としてエルシィの傍らに控えていたアベルが大股で扉に寄ってそっと開ける。

 その向こうには、扉の向こうで番をしていたやはり近衛のヘイナルと、真っ白いコックコートに身を包んだ城の料理長の姿があった。


「閣下! 出来ました! どうかお味見をお願いします」

 本来であれば料理人くらいの身分の者がこのように直接言葉をかけるなど不敬ではあるのだが、彼はエルシィから特別に許されているゆえ、誰も咎めはしない。

 彼はエルシィと共に、エルシィの出す案を体現するために日夜励む、いわば同士なのである。


 ちなみに先日のプリンやホットケーキを焼いたのも彼であった。


 エルシィはたちまち喜色満面にぴょんこと立ち上がった。

「出来ましたか! ではここへ!」

 紙束だらけの執務机からぞんざいにその紙束をのけてスペースを作る。

 ライネリオなどは嫌な顔一つせずにその書類を片付けながら、興味深げに料理長の差し出した器をのぞき込んだ。


 それは黄金色のスープだった。

 さまざまな香りが織り交じり鼻腔をくすぐる。

「エルシィ様、これは?」

 これまた興味津々のキャリナが問えば、エルシィは胸を張って答えた。

「これこそフランス料理の究極。コンソメスープです!」


 一同「フランスとは?」と首を傾げた。

そろそろトラピア編終わります。終わるはず

続きは金曜に

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― 新着の感想 ―
とっととエルシィに臣従していればこんな暮らしも夢では無いのに…という対比? 戦争の絶えない地域は戦火で作物が荒らされることも珍しいことではなく、食べ物が貴重…というか戦略物質よね 一般的には味よりも…
三男殿下まさか十人がかりで襲撃しといて相打ちに持ち込まれちゃったんですか?そして毎度のことながらエルシィの日常との温度差が酷い…
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