421トラピア四兄弟その5
故トラピア子爵の次男殿下は騎士府長サイと共に駆け足で領主城の廊下を進む。
一つ置きに灯ったランプしかない薄暗い廊下には誰もいない。
元々、経済的な理由からかなりの人員削減がされている上に、おそらくさっきの曲者がどうにかして排除した結果だろう。
いや、曲者も人がいないゆえに侵入したのかもしれない。
その辺りはこの先、太子殿下のおわす執務室に行けばある程度は判るだろう。
すなわち、あの曲者がただの泥棒なのか、暗殺者なのか、はたまた何か別の目的を持った者なのか。
果たして、ようやく天守塔三層の執務室前の扉が二人の目に入ってきた。
ここもまた、誰もいない。
「おい、扉前に近衛がいない!」
次男殿下は焦り叫ぶ。
が、騎士長サイは一瞬考えてから首を振った。
「いえ、おそらく中でしょう。私が先に入り、安全を確認します。殿下は廊下を見張りつつお待ちください」
「む、そうか。わかった。兄上を頼むぞ」
ただ廊下で待て、と言っても聞かないだろうということはサイにも判っていた。
ゆえに彼は次男殿下にも役目を与えることで留まらせることにした。
騎士長のサイにとって、万が一の為に次男殿下を守るのが役目でもあるからだ。
それはそれとして、その万が一にならぬよう努めるのが今の役目ではあるのだが。
つまり、太子殿下が凶刃にかかることが無いようお守りすること。
サイはいつでも抜けるよう腰の短剣の鞘に左手を掛けながら、執務室の扉を素早く開けて滑り込み、後ろ手にきっちり閉める。
それからすぐに室内の状況を確認する。
執務室にいるのは二人。
誰か?
一人はさっきの曲者と同様に頭巾をかぶった小柄な者。
そして一人はそのすぐ近くに立つ太子殿下。
暗殺が目当てか。
しかしこの田舎領地の長子を何のために?
という疑問が脳裏をよぎるが、今はそんなことを考えてる場合ではないと振り払う。
そしてその空白となった脳裏に別の考えがよぎった。
そう、よぎってしまった。
騎士府長サイが叶わぬと思っていた思いを果たすために、今すべきことは何なのか。
それは国に忠誠を誓うべき職務の者が考えてはいけないモノだった。
つまり、音に聞こえし鬼騎士ホーテンと刃を交える為に、反戦派の太子殿下が国を継ぐより、次男殿下の方が都合がよいのではないか。
人、それを「魔が差した」という。
サイはすらりと短剣を抜き、静かに、だが滑るような速さで二人に迫った。
最初、この動きに曲者の方が反応して身構えた。
続いてなぜか太子殿下もまた身構えた。おそらくこちらは条件反射的な動きだったのだろう。
サイの剣が伸び、曲者の横をすり抜け、そして太子殿下の胸を貫いた。
太子殿下が驚きに瞳孔を開く。
また、曲者も同様だ。
断末魔の声が上がりそうなところを、サイはすぐに太子殿下の口をふさいだ。
だが上げるとは思わなかった曲者の方の声は防げなかった。
「狂人かにゃ!?」
曲者は跳ねるように一歩下がって恐ろしい者を見るようにサイを、そして太子殿下をちらりと見る。
そして「これはもう助からない」と判断したのだろう。
すぐさま振り向いて一目散に出口の扉へととりついた。
「殿下! 曲者が逃げようとしております。扉を押さえて!」
「お、おう!?」
サイが叫ぶと、扉の向こうにいた次男殿下は面を食らったような声を挙げながらも指示に従った。
この辺りは高貴な者として育てられながらも、軍事の一端に身を置き訓練してきたことの賜物だろう。
こうなると簡単に扉は開かない。
曲者はそうと気付かず扉に取り付き、そして絶望の表情へと変わる。
その背後からサイが追いすがり、必殺とばかりに背中から短剣を突き立てた。
「にぎゃぁ……!」
曲者は人とは思えない声をあげ、そしてズルリと倒れ伏した。
サイは残心しつつも素早く執務室内に目を配り、他の者がいないかを確認し、そして今しがた血で塗れた自らの短剣を、引きちぎった窓のカーテンで拭った。
軍務につきながらも人を殺したのなど数えるほどしかない。
戦争もなければ、盗賊の類もこの田舎ではさほど現れないからだ。
ゆえに、なのか、それとも今しがたやってしまった罪に対する一種の高ぶりなのか、サイの心臓は早鐘のように鳴った。
数度、深呼吸をして鎮めようと試みる。
だが鎮まったのはせいぜい三割というところだろう。
それでも必死に平静を装って剣を治め、それからサイは扉の向こうにいる次男殿下へと声をかけた。
「残念なことに太子殿下は曲者の凶刃にかかられました」
「なんだと!?」
次男殿下がそれを聞いて、慌てて扉を開けた。
開ける際、扉に寄り掛かる様に絶命した曲者の死体が引っ掛かったが、それは強引に押しのけて入る。
これはなんだ。
次男殿下は最初、そう誰になく問いた。
いや声が出なかったので、その誰かにすら届かない。
部屋には兄と曲者の死体。それからその曲者を討ったという騎士長サイ。
他はカーテンが破れているだけで荒れた様子もない。
立ち尽くす次男殿下にサイは静かに歩み寄り、その足元に跪いた。
「殿下。これより殿下こそが子爵位の継嗣となります。
どうか、お気を確かに」
その声が次男殿下の耳に届いたのかどうなのか。
しばらく執務室内は時が止まったかのように誰も動かなかった。
続きは金曜に