420トラピア四兄弟その4
「兄貴は甘い!」
故トラピア子爵の次男殿下は、与えられた自分の執務机を力いっぱい拳で叩いた。
ここは騎士府事務局の府長室である。
彼は成人が認められてからこっち、行政側ではなく武官側の人間として騎士府に席を与えられていた。
もちろん正騎士ではない。それでも従騎士でもない。
ただ騎士府長と同等の権限を与えられた特別武官という、一種宙に浮いた地位だ。
これは彼が軍部へ進むことを希望したがゆえの措置だった。
そんな彼の激情の叫びを聞き、この室の本来の主、トラピア子爵国騎士府長サイは厳しい表情で大きく頷いた。
「そうですな。私も以前からあの鉄血姫の危険性を陛下へ説いてはいたのですが、聞き入れてもらえませんでした。
太子殿下もその路線を継承されておられる」
ここで言う陛下はすでに亡くなったトラピア子爵のことであり、太子殿下とはその継嗣である長兄殿下のことだ。
このサイ騎士府長。そうは言ったが本気で鉄血姫が危険だと思っていない。
いやまったく思ってないわけではないが、せいぜい「攻めてくる可能性もある」程度と考えている。
だがそれはそれとして彼には人に言わぬ野心があった。
すなわち、戦場で鬼騎士ホーテンを破ること、である。
今、こうして片田舎の小国にて騎士府長に上り詰めたサイだが、「俺はそれだけで終わる男ではない」という思いがあるのだ。
そういうわけでどうしても主戦論に偏りがちなのだった。
その騎士府長と常につるんでいる次男殿下もまた、近い思想を持っている。
が、こちらはもっと純粋に、彼なりに国を思ってのことだ。
すなわち、「トラピアの平和は俺が守る」という意識が強いのだ。
ゆえに水面下では合わないはずの二人だが、表面上では意見が合致する。
そしてサイはそれをよく把握していて、次男殿下は把握できていないのが不幸の始まりと言えるだろう。
「もう一度、太子殿下と話をしに行きましょう。
今度は私も一緒に行って理を説きましょうぞ」
「おお、そうしてくれるか。では早速」
そう言うことになり、次男殿下は一転明るい顔となって立ち上がった。
さて、少しだけ遡り、領主城執務室の長男殿下と次男殿下の会話を聞いていたよそ者たちが、少しだけ場所を変えてこっそりと話していた。
元ハイラス伯ヴァイセルと共にトラピア入りした、逃亡ねこ耳衆クヌギとその仲間たちだ。
彼らはヴァイセルの話に触発されて、トラピア国の内情を観察するためにやってきていた。
ちなみに一人はヴァイセルと共にいるので、ここに来たのは四人である。
「なんか揉めていたにゃ?」
一人がそう言うと、残りのねこ耳たちも首を傾げた。
「一番上の兄が鉄血姫派で、その弟が主戦派ってところみたいだにゃ」
「さすがクヌギ、難しいこと言うにゃ。つまり、ヴァイセルの旦那のやりたようになるには、兄が邪魔にゃ?」
「何ならやっちゃえばいいにゃ?」
「やっちゃうにゃ!」
「待つにゃ! 旦那は見ているだけにしろと言ってたにゃ」
慎重論を唱えるクヌギに、走り出しそうだったねこ耳たちはピタリとその動きを止める。
「……果たして、旦那の言葉を言葉通りにとっていいにゃ?」
そして一人がそんなことを口にする
「どういうことにゃ。難しく言うにゃよ」
「そうにゃ。賢そうでズルいにゃ」
思わぬ非難を受け、だが何か得意そうにそのねこ耳は続けて言った。
「『いやよいやよも好きのうち』という言葉があるにゃ」
「なんにゃ、カエデのことにゃ? あれは本気でお前を嫌ってるにゃ。好きなんてことはないにゃ」
「そんなことないにゃ! ……いやまぜっかえすにゃよ。
つまりにゃ、旦那の『やるな』も実は暗に『やれ』と言ってるのではないかにゃ?」
「……おお?」
「にゃるほど一理あるにゃ」
なぜかそう言うことになり、彼ら四人衆は行動を開始した。
時を戻す。
勢いづいた次男殿下と騎士府長サイは大股で領主城へやってきた。
すでに日は落ち、早い者であれば夕食をとっている時間である。
それでも近頃の長兄殿下であればまだ執務室にいるだろう、と考えての訪問だ。
重ねて言うがすでに夕刻を過ぎたくらいの時間ゆえ、領主城の人影もあまりない。
行政にかかる一般職の官吏たちはすでに帰宅しているのだ。
いるのはせいぜい要所要所に立つ警士か長兄殿下の近衛くらい。
その近衛も、この小国にあってはかなり数が少なく、継嗣である長兄殿下でさえ二人が交代でその任についている始末だ。
それくらいにこの国には金がない。
とは言え、である。
「時間とは言え、やけに人が少なくありませぬか?」
騎士府長サイが訝し気にそう述べると、次男殿下もまた足を止めて廊下を見回す。
確かに、と思った。
いつもであればもう少し人気があってもおかしくないが、今日はまったく誰もいない
それでも、こんな日もあるだろう、と気を取り直して、二人は再び足を動かした。
動かし、廊下の曲がり角に差し掛かったところで、ばったりと人に立ち会った。
普段であれば警士なり申次なり居るのはおかしくないので驚くことではないが、出合った者の異様さに、二人は思わず動きを止めた。
見れば小柄で顔を隠す頭巾をかぶった怪しい者が二人、何やら人間ほどの簀巻きを抱えているではないか。
「なにやつ!」
「見つかったにゃ! 逃げるにゃ!」
サイが叫び、腰の差料に手を掛けたところで、怪しい二人は口々にそう言って駆け出した。
速い!
サイはその逃げ足に面食らい、自分もまた駆け出すところで足を止めた。
あれに追いつくのは無理だ。
「誰かある! 曲者だ、逃がすな!」
だからこそそう叫ぶことで城詰の警士を呼んだ。
その声に応え、すぐに当番の警士数人が城の入口の方からやってきた。
やってきて、怪しい者をすぐ目にし、捕まえようと展開を始めた。
「あっちは任せて太子殿下の執務室へ行きましょう」
「そ、そうだな。兄貴が心配だ!」
突然の出来事に呆然と見送っていた次男殿下はハッとしてまた足を動かした。
今度は大股、かつ早足で。
続きは来週の火曜に