419トラピア四兄弟その3
トラピア子爵の次男と会談を持った元ハイラス伯ヴァイセルは、彼の前を辞した後、トラピア領都下の安宿に身を寄せた。
ヴァイセルと共にあるのは五人の若いねこ耳たちだ。
その若ねこのリーダーであるクヌギは、かねてより疑問に思っていたという風に片眉を吊り上げながら問う。
「ヴァイセルの旦那、にゃんで戦争を煽って回るにゃ?」
そう、ヴァイセルとクヌギ一行は、この時すでにデーン男爵国から南下しつつ、バルカ男爵国、オスト男爵国と三国巡り歩き、同様に鉄血姫エルシィの危険を説いて回った。
すでにこうやって一蓮托生の身ではあるが、お気楽なのか何なのか、まだその真意を訊ねたことはなかったのだ。
問われ、ヴァイセルはきょとんとした顔でクヌギとその仲間たちを見回す。
この顔は「なんだそんなのも解らず付いてきていたのか」と言外に語っている。
少し面白そうに笑い、それからヴァイセルは口角を釣り上げて言う。
「なぜってなぁ……その方が面白いじゃないか」
「おも……しろいにゃ?」
心底解らない、という風に、今度はクヌギたちがきょとんとする。
ヴァイセルは続ける。
「俺がハイラス伯になる前は、まぁ人の言う酷いドラ息子でなぁ。
親の仕事を手伝いもせず、街へ繰り出しては素性の悪い連中と遊びまわってた」
「それがどうしたにゃ? 今回のことと何か関係があるにゃ?」
「まぁ待て、もう少し聞けよ。
そうだな、わかりやすく言えば……ちょっと普通の遊びには飽きたんだよ」
また、クヌギたちは心底解らないという顔になった。
仕方なしにヴァイセルは別の理屈をつけることにした。
「うーん、つまりだな。あの鉄血の姫君に追い出されなきゃ、俺はハイラス伯としてあの国でのうのうと暮らせたんだ。
ところが今となってはこうして流浪の身。
復讐ひとつ考えても罰は当たらんだろう」
実のところ、そんなことは考えてもいない。
が、この弁にはクヌギたちも大いに納得した。
「そうにゃ。にゃーたちも里を追い出されなきゃこんな苦労することなかったにゃ。
全部あのガキが悪いにゃ!?」
実際にはヴァイセルもクヌギも追い出されたわけではなく逃げたわけだし、言ってしまえば自業自得なのだが、彼らの頭の中ではそうなっていた。
つまりエルシィが悪い。
復讐するのは当然の権利である。と
「なんかやる気が出て来たにゃ!
ちょっとさっきのトラピアさんちの次男の様子見てくるにゃ!」
「見るだけにするんだよ。もう焚きつけたから、後は見てるのが面白いんだ」
「わかってるにゃ!」
ホントに解ってんのかな、という顔で、ヴァイセルはクヌギたちを見送った。
ヴァイセルとの会見を終えた故トラピア子爵の次男殿下は、すぐに領主城まで駆け足で訪れた。
訪れ、取り次ぎの侍従や近衛たちを押しのけながら執務室のドアを勢いよく開く。
「兄貴!」
「なんだ騒々しい。……どうしたんだそんな顔して」
やけに物々しい次男の表情を読み取り、傍らにいた四男ハンノに手にしていた決裁書を渡す。
これは今しがた内容を精査して承認印を押したばかりのものだ。
「噂のアイツが来るぞ。戦の準備が必要だ!」
そんな次男の言い草に、いやな予感が当たったという風に長男は眉をしかめた。
四男ハンノもまた目頭を覆うようにして小さくため息をつく。
この仕草に次男はカチンときたようで、烈火のような視線をハンノに向けた。
「おいハンノ。お前の様な能無しの役立たずななぜここにいる。
兄貴の邪魔になるからとっとと出ていけ」
ハンノは「またか」という嫌そうな顔で肩をすくめると、長兄に小さく目礼を送ってから次兄の横を通って執務室を出た。
次男殿下は昔からこうで、四男ハンノを嫌っている。
まぁ、「無能、役立たず」と罵っているが、これは本人も気づいていないが実のところ評価している裏返しである。
敬愛する長男によく似た傾向の才を持ちながら、将来は市井で詩吟に身を委ね暮らすと言ってはばからない四男が気に入らないのだ。
ゆえにいつもこんな態度で接するので「またか」という反応でやり過ごされるのだ。
さて、ハンノが執務室を去ったところで、次男は気を取り直して長兄の執務机へと大股で歩み寄った。
「兄貴、戦争の準備だ。鉄血姫が来る」
「落ち着け。……いやそうか、お前もあの話をどこかで聞いたんだな?」
「あの話?」
どこかかみ合わない、と思い、長兄は首をかしげて確認を口にする。
「なんだ、セルテ領に拠点を置く噂の鉄血姫を包囲する同盟、という話を聞いてきたのではないのか?」
それは元ハイラス伯ヴァイセルが次男殿下に会う前に、この長兄殿下の元に持ってきた話だった。
次男殿下にはそこまで詳しいことは話さなかった。
初耳だったが理解した。
彼もけして頭のめぐりが悪いわけではないのだ。
「そんな話が……それで兄貴、当然その同盟には参加するのだろうな?」
そして一種喜びにも似た顔で問いただす。
だが、長兄の口からは彼の期待に応える言葉は紡がれなかった。
「何を言っているのだ。
わが国は以前、かの女傑の兄殿下から親善訪問を受け、友好を結んだではないか。
誘われたからとほいほい態度を翻すようでは信義にもとる」
「何を言っている!? このまま放置してはあの女が攻めてきて、国を盗られるぞ」
「お前こそ、何を言ってるのだ」
興奮気味の弟の言い分に、長兄は怪訝そうに眉をゆがめた。
さて、その頃のセルテ領主城では、エルシィの元に一枚の書類が届けられた。
「これは?」
「ほら、先日の養鶏事業拡大の件の」
「ああ、事業計画書ですね? 別にわたくしのところに回さないでそのまま財司で審議してくれてよかったのですけど」
「そこはまぁ、領主マターだと判断されたようで」
苦笑い気味の宰相ライネリオの言に、エルシィは肩をすくめてその計画書を見る。
見て、大きく身体を傾けた。
「なんですかこれ。事業計画書? まるでなってません」
平たく言えば、何の具体性もない「事業を起こす、頑張る、需要もあるに違いない」といった感じのシロモノだった。
さすがにこれでは認可できない。
「これは差し戻しですね……いや、いっそ認可しちゃってこっちから役員送り込んで牛耳りますか……」
「エルシィ様、悪い顔になってますよ」
「おっといけないいけない」
セルテ領主執務室は今日も和やかであった。
続きは金曜に