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042前哨戦

 港からこちらへ向けて駆け出す数騎のハイラス兵。

 逃げるにしても馬車が反転できず、進退窮まった、と顔を青くするエルシィとカスペル殿下の元に、一種暢気にも聞こえる声が降り注いだ。

「殿下、何事ですかな?」

 車列が急に停止して、その後、動き出そうとしないことに業を煮やした騎士長ホーテン卿である。

 彼は単騎で列を離れて先頭までやって来たようだった。

「あぅあぅ」

 ところがエルシィが状況を説明しようとしても、慌てすぎてうまく言葉が出ない。

 仕方なしに勝手に前に出てみれば、ホーテン卿の目にも港の異常事態がすぐに見て取れた。

「なるほど、野蛮な農夫(ガバチョ)どもが攻めてきたという訳ですな」

 瞬時に察し、ホーテン卿の顔が凶暴な表情を浮かべる。

 そしてその狙いを駆けてくる騎馬兵へと向けた。

「一番槍はこのホーテンが務めましょう。両殿下は急ぎ城へとお逃げくだされ」

 そんなホーテン卿の現した鬼のような形相にビックリしたせいか、逆にエルシィには少しばかり落ち着きが戻った。

「でも、逃げるってどうやって?」

 ようやくまともに喋れるようになったが、それとこれとは話は別だ。

 渋滞を起こしている大通りを馬車で戻ることは出来ないだろう。

 エルシィの問いはそこにいた皆が同意するものだったので、カスペル殿下もまたホーテン卿の言葉を待つ様に視線を寄せる。

「ふむ」

 ホーテン卿は少しだけ周囲を見回し、そして近衛士までが答えを待っている状況に気づいて吠え掛かった。

「貴様らがそんなことでどうする! 貴様らの手綱が長くないのなら、早々に主人を乗せて城へと退け!」

 これには近衛士たちもハッとして、すぐに馬車へと寄って来る。

 エルシィの近衛士もまた然りだ。

 つまり、馬車がダメならなぜ馬ですり抜けろ下手クソめ。と言われたのだ。

 なるほど、こんな簡単なことに気づかないなんて。

 誰もが非常に際し頭に血が上っていたらしい。

 そう苦笑いをこぼして、近衛士フレヤが馬を馬車の前に進めた。

「ヘイナル、私よりあなたの馬の方が立派だから、姫様はあなたが乗せて」

「わかった。さぁ、エルシィ様」

 二人の近衛士はそのような会話を交わし、真面目そうなヘイナルが頷いて少し乱暴に馬車のドアを開けた。

 そして小さなエルシィの身体を抱えるように持ち上げると、すぐに自分の前へと座らせる。

「行きますよ。落ちないようにしっかり掴まってください」

「はい。よろしくお願いします」

 そう、エルシィが言うや否や、ヘイナルは「ハイヨゥ」と馬に鞭を入れて、来た道をそのまま逆へ向かって掛け始めた。

「どいて下さい、皆も早く逃げて!」

 火急に事態に混乱しかかる民衆にそう声を掛けつつエルシィが横目で見ると、ヘイナルの馬に出遅れた感じでカスペル殿下とその近衛士の馬も出発している。

 どうやらそちらでは「私は自分で馬に乗れる!」「離れ離れになったら、この非常時で守り切れません」という争いがあったようだ。

 ともかく、野次馬見物人と渋滞する馬車列の横をすり抜け、二頭の馬は二人ずつを乗せて、城へと向かって走った。

「ねぇヘイナル。キャリナとフレヤは大丈夫?」

「大丈夫ですよ。ハイラスの狙いは両殿下のようでしたし、街には隠れるところもたくさんあります」

「そうね。そうだといいけど」

 エルシィは流れゆく街並みから港へと小さく振り向き、心配そうにそう呟いた。



 さて、両殿下を脱出させた最前列に残っているのは、侍従侍女を乗せた馬車と騎士長ホーテン卿。それから数人の近衛士だ。

 中でもカスペル殿下の近衛士イェルハルドは、手短に近隣へと声を張り上げた。

「侍従たちは至急、その辺の建物に避難せよ。庶民たちも早く家に入れ!

 残った者たちで、この大通りにバリケードを敷く。馬車を集めろ!」

 この声を聞き、女子供や文官役人たちは急ぎ近隣の建物に避難を始め、気概ある者は残された馬車を押して、道を塞ぐように配置した。

 また、車列の後ろにいた内外司府の馬車もバリケードに参加する。

 これで、最低限の時間を稼ぐことは出来るだろう。

 後は城に戻ったカスペル殿下が、警士府と騎士府に招集をかけてくださるはずだ。

「さて、死なない程度に頑張りましょう」

 イェルハルドは港で整列して進軍命令を待つハイラス伯国の歩兵を眺めつつ、馬車の屋根に上って弓の弦を確かめた。

 彼の眼下には、バリケード影で弓や短剣を準備する近衛の仲間たちと、後列から駆け付け迎撃準備に参加し始める騎士たちが見えていた。


 そしてこれらの準備と並行して、馬車のバリケードから飛び出していく二つの騎兵があった。

 一つは齢六〇過ぎにしてジズ公国最強の矛と呼ばれる騎士府の長、ホーテン卿。

 もう一つは狸顔の少女近衛剣士、フレヤである。

「ほう、この俺と先鋒争いか。面白い」

「ふふふ、エルシィ様の直衛たる私が、エルシィ様を守るこの戦いで負けるわけにはまいりません」

 互いに馬を全速で駆けさせながら、その顔はどちらも楽しげだ。

 対するは、カスペル殿下とエルシィ姫を捕えようと飛び出してきた六騎の乗馬兵。

 それぞれが突撃槍を構えて鋭利な矢のような陣形である。

「ふははどうれ、野蛮な農夫(ガバチョ)がどの程度やるか、試してやる」

「ガバチョって何です?」

「ハイラス野郎のことさ!」

 言葉を交わしつつ、ホーテン卿の馬が空高く跳ねる。

 宙へと舞い上がった人馬は、そのまま大きく突撃槍たちを飛び越したかと思うと、そのすぐ背後へと着地した。

 まさかの跳躍力である。

 フレヤも敵兵も、思わず「どうしてそんなことが出来るのか」と、驚きに口をポカンと広げる有様だ。

「一番に斬られるのはお前か!」

 吼え掛け、そしてホーテン卿のグレイブが横薙ぎに一閃。

 これを、ホーテン卿に背中を晒した突撃兵たちにかわす余裕などない。

 たちまちグレイブが後方に布陣していた、二頭の馬の脚をスパッと斬った。

 結果、馬は崩れ落ち、騎手は投げ出される。

 これにとどめを刺さず、ホーテン卿はここからさらに馬を進め背後から急襲し、もう一人を背中から突いて馬から落とした。

 突然のバックアタックで、残った突撃兵も混乱をきたす。

 先頭側にいた者も背後の脅威に思わず足を止め、そして振り返った。

 そこにはグレイブを振り回して返り血を払う、鬼のような偉丈夫がいた。

 たちまち半数を叩き落された事実を確認し、ハイラス兵の顔から血の気が引く。

「ほれ近衛の嬢ちゃん、残りはお前にやる」

 と、皆が後方の鬼兵へ注目する中で、当のホーテン卿が楽し気に言った。

 三騎の突撃兵はハッと意識する。

 そう、彼らハイラス伯国の突撃兵に向かってきたジズ兵は二人いたはずだ。

 その一人が突撃兵の先鋒まで迫っていたフレヤである。

 フレヤは残った突撃兵がホーテン卿から意識を戻す隙を突き、手持ちの短剣をその一人の胸へと繰り出した。

「ありがたく頂戴します」

 短剣は敵兵の胸当てを掻い潜って見事突き刺さり、根元からは鮮血があふれ出す。

 正確に心臓を貫いた手応えだ。

 これで残り突撃騎兵は二人。

 が、短剣を突き刺したことで、フレヤは自らの短剣を手放す羽目となった。

 なぜなら、突き刺した短剣が抜けず、敵兵ごと地面へと落下してしまったからだ。

「うっ」

 これはマズい。と、フレヤは全身に冷や汗を吹き出す。

 対し、残った二人のハイラス騎兵は気を取り直し、それぞれの突撃槍を構える。

 フレヤの左右両側へと素早く馬を回し、それぞれが槍を突き出す構えだ。

 これを避けようとするなら、大きく後退するしかない。

 敵も騎兵なら今のフレヤも騎兵である。

 馬は後進に対してそれほど自由が利かないのだ。

 これまでかしら。

 まぁ、他の者たちがバリケードを築く時間は稼げただろうし、エルシィ様が城へ戻るくらいは何とかなったはず。

 ならここで終わっても無意味とまではいかないでしょう。

 フレヤは半ば諦めつつ微かに笑み、十字方向から槍に貫かれる瞬間を待つ様に目を瞑りかけた。

 正にその時、閉じかけた視界の中で、彼女へと襲い来る騎兵のうち、片方の頭が爆ぜ飛んだ。

 いや、実際には爆ぜてなどいないが、フレヤにはそう見えた。

 急ぎ目を見開き確認すれば、どこか後方から飛来した矢が、その騎兵の頭を正確に打ち抜き落馬させていたのだ。

「フレヤ、諦めている場合か!」

 そして後方から、続いて叱咤の声が飛ぶ。

 発生元は馬車で作ったバリケードの上。

 カスペル殿下の筆頭近衛士イェルハルドが、今しがた矢を放ったばかりの長手弓に新たな矢をつがえつつ、フレヤを睨みつけていた。

「助かりました。あとで昼食を奢りますよ!」

 一転、勝機を見出したとばかりに気分を持ち直したフレヤは、そう声をあげつつ視線を戻す。

 その視線の先には、フレヤに向かっていた慣性のまま、だが逃げるかどうかの判断を迷う最後の騎兵いた。

 フレヤはもう迷わず、素手のままにその騎兵へと自らの馬を駆け寄らせ、咄嗟に繰り出してくる突撃槍をスルリとかわし、そして騎兵の身体に飛びついた。

 そのまま騎兵の背に相乗りするように飛び乗ったフレヤは、背後から彼を抱きしめるようにして身体を拘束する。

「何をする!」

 騎兵は自分の背にヒヤリとした汗を感じ、何とか逃れようと身をよじった。

 が、次の瞬間には彼の意識は急速に暗転していくことになる。

 背後のフレヤが、小さなナイフで首の太い血管を掻き切ったのだ。

 最後の突撃騎兵は全身から力を失い馬から落ち、そしてフレヤもまた飛び退りながらも石畳の道に受け身も取れず背中から落ちた。。

「やれやれ、暗殺者の様な戦い方よな」

「近衛ですから。実は馬上よりはこのようなやり方が得意なのです。けほけほ」

 この仕儀を見てホーテン卿は呆れたようにそう評し、フレヤは息を整えながらもそう笑った。

 とは言え、彼女のこの技は近衛府で習った技ではない。

 彼女がより幼少のころ、まだ孤児院に保護される前後に身に着けた、いわば生存術だった。

 だからこそ、彼女の得意とする技は、彼女の姿に反して泥臭く、闇に満ちていると言える。

「まぁよい。そろそろ陣へ戻るとしよう」

 半ば呆れつつ、ホーテン卿は転がったハイラス兵にとどめを刺してから、大通りに設えられた馬車のバリケードへと視線を向けた。

「手綱が長い」という表現は、つまり「乗馬がへたくそ」という意味です

次回は来週火曜を予定しております

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