417トラピア四兄弟その1
先代のトラピア子爵が四五歳で亡くなったのが年末のおよそ一カ月ちょっと前。
それからこっち、トラピア国は主たる子爵不在のままに政治を回して来た。
国主の代理を務めるのは、次期子爵となる故トラピア子爵の長子。
年が明ければちょうど三〇歳となる、故トラピア子爵一五歳の時の子である。
「兄上、お疲れ様です。お茶をどうぞ」
「おお、ハンノか。すまないな」
その長兄が執務仕事に追われすでにこの日も夜半となっている。
そこへ暖かい湯気の立つハーブのお茶を携えて来たのは、血のつながった三人目の弟。
つまり故トラピア子爵の四男であるハンノだった。
「どうですか。そろそろ戴冠の目途はつきそうですか」
二人して灯りも心もとない執務室の中で言葉を交わす。
本来であれば国政に関わる執務を手伝うはずの侍従たちはすでに誰もいないので、ここにいるのは兄弟二人きりだ。
なぜ侍従たちがいないかと言えば、皆、ちゃんと休息をとる様にと夕方には仕事を切り上げさせられ帰されたからである。
「もう少し時間が欲しいな。
いや、戴冠式とかやらないといかんか?」
「それは……さすがに何もしないのはマズいのではないですか?」
「だよなぁ。そもそも父上の葬儀もまだなのだ。まとめてやらねばいかんよなぁ」
故トラピア子爵の遺骸については、すでに荼毘に付し埋葬済みである。
それはそれとして、内外に爵位の継承を大々的に喧伝するための、旧子爵の葬儀と継承のための戴冠式をしなければならない。
これをしなければ国の体裁を保つうえで支障が生じるのである。
単純な話で言えば「国主が誰かわからない」という状態であり、主権者が国主である王制であれば、それはすなわち無政府状態と言っても過言ではない。
今はまだ、トラピア子爵が泉下に旅立ってから間もないため誰も騒ぎ立てないが、早急に手を打つ必要があるのは確かなのだ。
なのにまだ葬儀も戴冠式も、執り行う目途が立っていない。
なぜか。
これには二つの大きな理由がある。
一つ、これは表向きに公表されている理由である。
つまり、トラピア子爵が流行りの肺炎で急死したため、引継ぎが充分にされていないのだ。
もちろん嗣君たるトラピア兄弟の長はすでに三十路なので、これまでも国政を手伝ってきた。
具体的に言えば太子府を開設し、国政の半分を取り仕切ってきた。
ゆえにやるべきことが全くわからないわけではない。
それでも、ここまで父トラピア子爵と半々に分けて執り行ってきた仕事が、急にすべて彼の双肩にのしかかってきたのである。
まずそれの取りまとめで手間取っていると良い。
これには内外共に同情的であるため、まだ誰も何も言ってこない。
そしてもう一つが、国民も薄々わかっているが口にしない、裏向きの理由である。
つまり、金がないのだ。
「まったく、なぜ我が国はこんなに金がないのだ」
「不思議ですね。大国に挟まれ、その交易路に携わることができる位置なのに」
「いや、わかっているのだ。
現在や交易のとんどが海路を使われる。
わが国を通る街道など、ただの寂れた田舎道でしかない」
「これで小麦がたくさん取れれば輸出の目もあるのでしょうけど」
「わが国でよく育つのは亜麦だからな」
一応、国民の胃袋を満たす分にはなんとか足りている。
が、輸出に回すほどではない。
もしこれが輸出できるほどならば同文化起源を持つ小麦至上主義国の面々に売りつけてやれるのに。
つまり、交易できる産物も無ければ経路としての人通りも少ない。
内需だけで何とか回しているが、それすら年々カツカツになりつつあるという。
そういう国だからこそ、才覚のある者はなんやかんやと理由をつけては他国へ出奔してしまうのだ。
これで国が隆盛するわけがない。
それがトラピア子爵国の現状であった。
しばし瞑目してうつむいていた長兄だったが、大きくため息を一つついてから勢いよく顔を上げた。
「そんな国でも何とかするのが私の務めだ。
これまではすべての責任を父上が取ってくださったが、それももう終わり。
いつまでもうつむいている場合ではない」
「それでこそ兄上。頑張ってください」
弟、ハンノはこれまでも一貫して無責任な相槌を打つばかりで、そのままの調子で激励の言葉を投げかけた。
長兄はジトリとした目を弟に向け、また小さなため息をつく。
「……いや、お前が細かいところを手伝ってくれているので助かっている。
このまま城に残り、私の補佐を務めてくれるといいのだがなぁ」
「それはお断りします。
兄上が戴冠されて正式に子爵陛下となられましたら、私は市井に降って詩吟を浪じて生きるのですから」
「まったく、お前が一番、貴族らしく雅だよ」
長兄はまたため息をついて、それ以上は追及しなかった。
彼が城に残らない本当の理由を、彼もまたよくよくわかっているからだ。
ハンノが城に残らない理由。
それはトラピア兄弟の次男であり、ハンノの兄にあたる人物である。
ちなみにその頃、エルシィは執務室でプリンを食べていた。
「プリンおいちい! やはり玉子は必要。玉子しか勝たん。
養鶏事業拡大を認可します! 大いに励んでください」
「は! ありがたき幸せにございます。
つきましては融資の方もなにとぞ……」
「それは財司の方に事業計画を提出してください」
「……あ、はい」
続きは金曜日