413誘惑のささやき
同日、北西の果ての島、ヴィーク男爵国領主城でも年越しの宴が行われていた。
とは言え、こちらは規模もセルテ領主城のそれとは比べ物にならないし、集まっているのは強面の益荒男ばかりだ。
それもそのはず当代ヴィーク男爵の家臣と言えば、九割以上が海賊家業の船乗りばかりなのだから。
その当代領主である幼女男爵レイティルは、手にした杯を機嫌よく掲げ振り回しながら八重歯を惜しみなくむき出しにしながら笑う。
「良いのう! 皆楽しそうで良い! この冬は何の心配もないという顔ばかりじゃ。
今年は良い年だったという証拠じゃな!」
「良い年、ですか」
玉座に身を沈めている幼女男爵の喜色めいた言葉に、傍らの少年侍従長ラグナルは眉を寄せつつそうつぶやく。
レイティルはそんな侍従の反応を不満そうに見た。
「なんじゃ。良い年ではなかったか?」
「戦には負け、属国になり下がりました」
端的に述べられたその言葉に、レイティルはハッと馬鹿にしたように息をつく。
「戦は正々堂々正面から挑み負けたのじゃ。
我らの誇りは微塵も傷ついておらぬわ」
それでも、ラグナルは釈然としない顔でおのれの主君を見る。
仕方なしに、と言う態でレイティルは続ける。
「確かにかの鉄血姫の風下に立つことになったがの。属国になったおかげでもう麦の心配をしなくてよい。
それどころかこの杯に満たされた果実ジュースとて、かの宗主より賜ったものぞ。
おまけに塩の工場じゃったか? アレが上手く回り始めれば、わがヴィークはさらに豊かになる。
戦には負けたが、我らヴィークの民は栄えるのじゃ。
大勝利と言えよう」
「……なるほど、そういう考えもありますか」
「そういう考えしかないわい」
不満そうだった少年侍従長は、やっとその眉のシワを伸ばして杯に口を付けた。
昨年だったら知ることのなかった、とても甘美な味がした。
やはり同日、セルテ領の北東に位置する小国、デーン男爵国でも年越しの宴は開かれていた。
今頃はどの国の領主城でも同じ趣旨の催しが行われていることだろう。
だが、このめでたい席において、宴の長であるデーン男爵は始終苦虫をかみつぶしたかのような渋面を晒していた。
ここ最近、秋からずっとこの調子で機嫌が悪い。
すべては、国境近くに位置するセルテ侯国の港町を奪おうと兵を出し、そのセルテを治める鉄血姫の手兵にこっぴどく敗北したことから始まる。
あれから、侵攻が失敗したことと、そして逆侵攻に対する恐れで、彼はずっとこの調子なのである。
家臣たちも機嫌の悪い主君に何か言えばその火の粉が自分に降りかかるのではと、遠巻きに見るばかりで機嫌をうかがいに来ることもない。
それがさらに彼の癇に障るのだ。
そんな中、一人の侍従がやってきて彼の前に跪く。
「男爵陛下。お客様がいらっしゃっております。
陛下にぜひご挨拶をと」
侍従のそんな言葉にデーン男爵は怪訝そうに眉をひそめた。
自分がいかに機嫌の悪さを振りまいており、ゆえに皆が近づかないことを自分でもわかっているのだ。
だというのに火中の栗を拾おうとする酔狂な者がいるのか。
デーン男爵は少し興味が湧いて眉根のシワを伸ばした。
「うむ、連れてくるがいい。
……いや先に訊こう。いったいどこの誰だ?」
主人の言葉ですぐに立ち上がろうとした侍従だったが、続いた問いかけに足を止めて振り返る。
「はい、それが……」
と、侍従が言いかけたところで片手に杯を持った三十がらみの中年男がふらふらとした足取りでこちらに向かってやってきた。
「やぁやぁデーン男爵陛下。ご機嫌麗しゅう」
男は軽い調子でそんなことを言いながら玉座のすぐ近くまでやってきて、跪きもせずに立ったまま杯を飲み干す。
「すまないがこれと同じものをもう一杯くれ」
「あ、はい。直ちに」
言いつけられた侍従は反射的に答え、注文を遂行するためにその場を去った。
残ったのは玉座のデーン男爵とその男だけだ。
デーン男爵はやれやれといった顔で小さく首を振った。
「久しぶりですなヴァイセル伯爵……いや、今は『元』伯爵と言った方がいいか。
爵位も国も失ったあなたが今更何の御用で?」
「ははは、手厳しいね」
そう。デーン男爵の嫌味を含んだ言葉に堪えた様子ないその男は、ジズ公国に侵略をかけ、エルシィによって国を奪われたかのハイラス伯国の元為政者であった。
逆侵攻を受けた際にいち早く領主城から逃げ出しセルテ侯国に身を寄せたが、そのセルテもまた失陥したため流れ流れてこの地へやってきたというわけだ。
デーン男爵は自分の心配事の先の未来でも見るような不機嫌さでヴァイセルを一瞥し、忘れたいが為に酒の杯をあおる。
「まったく不愉快極まりない。それで、元伯爵様がいったい何しに来たのかね?」
さらに不機嫌さを増すばかりのデーン男爵の様子に肩をすくめるヴァイセル。
彼はそれから声を潜めて言った。
「その不機嫌さの元を絶つ気はないかい?」
「なにを、言ってる?」
予想外の言葉に、デーン男爵は眉をひそめた。
ヴァイセルは続ける。
「君は……いや君たち周辺国家群は、このまま覇権国家の誕生を見過ごすのかい?
と、そう言っているのさ」
当然それが何のことか、デーン男爵にもわかっている。
つまり、すでに数領を手中に収めたエルシィの勢力が、覇権国家として彼らの文化圏の中央に君臨するのを許すのか。
と、そう言うことだ。
デーン男爵は悔し気に奥歯をかみしめ、杯を持った手で玉座のひじ掛けを激しく叩いた。
「許すも何も、わが小国に何ができる?
歯向かったところで叩き潰されるだけではないか」
だからこそ、かの国が反撃に出ることを恐れて、苛立ちを押し殺しながら静かにしているのだ。
だがデーン男爵のそんな気持ちをあざ笑うかのように、ヴァイセルは肩を揺らした。
「なるほど。確かに君の言う通りだ。
でもそれはこの男爵国が一国だけで当たるからそうなる」
また、デーン男爵は怪訝そうに眉をひそめた。
「何が言いたい?」
「君にその気があるなら、いくつかの周辺国に僕が声をかけて回ろう。
名君面しているあの鉄血姫に、ひと泡吹かせてやらないか?」
後にデーン男爵は語る。
そのヴァイセルの微笑は、ひどく悪魔的で、抗いがたい魅力に満ちていたと。
4章終了です
次回は間を空けて5/9から新章開始となります
よろしくお願いします( ˘ω˘ )