412年越しの宴その7
三人の先生たちが満足して立ち去った後、エルシィは遠い目で天井を見つめながら一息つく。
「エルシィ様、お顔が」
「はっ! ……わかっておりますとも?」
だがキャリナからの一言で正気に戻ったようにキリリと笑顔を張り付ける。
「まぁ、大変なのはわかりますので」
キャリナも本心では言いたくなかったが、それでも彼女には主君が公の場で恥をかかないよう苦言を呈すべき義務がある。
であればこそ、こうしたお小言の後に憂鬱な表情を浮かべるのだ。
「わかってます。わかっておりますとも」
エルシィはそんなキャリナを労わる様に、もう一度同じ言葉を繰り返しつつ笑顔のままに何度も頷いた。
もう傍らに控えている近衛のヘイナルは、無言のままに「偉い人もその侍女も大変だな」とシミジミと見続けるだけだった。
そうして一息ついたところで次にやってきたのは、エルシィより十歳くらいは年上に見える二人の貴公子然とした少年だ。
「お兄さま!」
「やぁエルシィ。元気そうだね」
そう。貴公子のうち一人はエルシィの肉親であり、ジズ公国嗣子でもあるカスペル殿下だ。
エルシィは椅子から立ち上がってトテトテと歩くと兄、カスペルの前で礼の姿勢を取る。
「エルシィは侯爵位を持つ正式な貴族なんだから、私に謙ってはいけないよ」
その様子にカスペル殿下は少し困ったような笑いを浮かべてそう言った。
だがエルシィは可笑しそうにくすくす笑いながら顔を上げた。
「そういうお兄さまは宗主国の公子さまではありませんか。
ですからこれでいいのです」
そうしてお互いに再会の挨拶を済ませながら、手にした杯を軽くぶつける。
「それでお兄さま、こちらのお方は紹介していただけませんの?」
一息ついたところで、エルシィは訊ねる。
もう一人、カスペル殿下と共にやってきた貴公子についてだ。
こちらもカスペルと同じくらいの年に見えるが、同じ貴公子でもいくらか軽薄そうに見える。
軽薄と言っても路司長のマケーレよりもはるかに気品を感じるので、おそらく貴族かそれに連なる子息だろう。
カスペル殿下は大きく頷いてその貴公子を押し出すようにエルシィの前に立たせた。
貴公子は恭しく礼の姿勢を取ってエルシィに謙る。
「初めてお目にかかります侯爵閣下。
私はグラキナ子爵の長子、エヴァルトと申します。
名高き鉄の姫君にお会いすることができ、光栄に存じます」
鉄の、というところに少し引っかかりを感じないでもないが、どうにも嫌味皮肉の類でないことは彼の雰囲気から充分に察せられた。
むしろ彼からは称賛する気配が発せられているので、純粋にほめているつもりなのだろう。
グラキナ子爵の治める国はここセルテ領から見ると二つほど別の友好国を挟んで南東側のある。
彼らの属する旧レビア王国文化圏的な見方をすれば、南東に端にある半島国である。
ゆえにそれより東にある別文化圏の国々からの交易船は、たいてい一度グラキナ子爵国にやってくる。
その為、商国としての面が強く、文化的にも金銭的にも大変豊かな国であった。
エルシィはにこやかに頷くとエヴァルト殿下の手を取って彼に顔を上げるよう促す。
「初めましてエヴァルト殿下。それからグラキナ子爵国から遥々ようこそおいでくださりました。
わたくしたちセルテの者たちはあなたを歓迎いたします」
また一通りの挨拶と杯を交わした後にカスペル兄殿下は彼を連れてきた経緯を話し始める。
と言ってもそれほど複雑な事情はない。
「彼の国を訪れた際に仲良くなってね。今回、エルシィのところに帰ってくるにあたって彼も挨拶したいというので一緒に来たのさ」
帰ってくるとは異なことを。とエルシィは少し面白そうに笑う。
今は一時的に勉強の為にエルシィの下について外交を担当してもらっているわけだが、あくまでカスペル兄殿下の生まれ故郷はジズ公国本貫地であるジズリオ島だ。
帰るも何もなかろうに。
そんなエルシィのくすくす笑いを不思議そうに見ているカスペル兄殿下を傍目に、グラキナ子爵国嗣子エヴァルト殿下はさっきの畏まった挨拶とは裏腹に、軽い調子で肩をすくめて見せた。
「快進撃を続けるエルシィ閣下とは懇意にしておいた方がよさそうだと思ってね。
国を代表して友好の大使という訳さ」
やはり見た目通り軽そうな男だが抜け目もなさそうだ。
まぁ、その行動が彼の判断なのか国元の子爵陛下の判断なのかは判らないが
軽い様子なのはエルシィとしても肩がこらずに助かるので、キャリナが憮然としてはいるが咎めずに頷いた。
「グラキナ子爵国は交易盛んなところですから、わたくし共の方も仲良くして損はないと存じます。
今でも香辛料など様々な東方モノが貴国を通じてやってきますからね。
今後も良しなにお願いします」
「はは、ありがたき幸せ」
エヴァルト殿下はわざとらしい慇懃さで跪いて見せるのだった。
その後もカスペル兄殿下とエヴァルト殿下はそのままエルシィの傍らに加わり、次々とやってくる挨拶客を出迎えた。
時に笑い、時に難しい政治的なまた商売的なやり取りも経て、年越しの宴は一刻二刻と進んでいく。
そしてその時が来た。
「そろそろ年が変わる頃だね」
カスペル兄殿下がそう言って玉座のエルシィを振り返る。
年が明けたその時を待ち、互いに新年のあいさつを交わそうという思惑があった。
この会場にいるあらゆる者は同じことを思って、彼らの頂く長であるエルシィ侯爵を仰ぎ見た。
だが、エルシィは無言で、彼らを見ることはなかった。
なぜなら、ふかふかのクッションが敷かれた玉座に深く沈みこむようにして、静かな寝息を立てていたからだ。
「エルシィにはまだ夜更かしは早かったようだね」
カスペル殿下はかわいい妹の頬をそっと撫でてつぶやいた。
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