406年越しの宴その1
夜の月末日。
その日はヒナゲシ城との別名でも呼ばれる、セルテ領主城で年越しの酒宴が開かれていた。
「本年は色々ございましたが、それぞれが無事にこの日を迎えることができた事、深くお祝い申し上げます。
乾杯!」
一段高い場所に据えられた大きく立派な玉座から、ジズ公国本貫以外の外地を治める総責任者であるエルシィが杯を持った手を精一杯伸ばしてそう言った。
それに合わせ、このパーティー会場となった謁見の広間に集まった各々が杯を掲げて応える。
「乾杯!」
それぞれが手にした杯をカチ合わせて小さな音を鳴らし合う。
エルシィはポツンと玉座にいる為に混ざることはないが、その景色を満足そうに眺めて頷いた。
「ささ、キャリナも杯を持ってください。
わたくしと乾杯の儀をしましょう」
だが、玉座の斜め後ろに控えて立つ侍女頭のキャリナは小さく首を振る。
「いえ、私はエルシィ様のお世話をするのが役目ですから結構です」
「そんなこと言わずに。さささ」
言われ差し出された杯を仕方なく受け取る。
というかこのご主君はいつの間に私の分まで持っていたのか。
そう不思議に首を傾げつつ、杯をくゆらせて鼻腔に香りを運んだ。
途端、キャリナの目が細くなる。
「お待ちくださいエルシィ様?」
「んむ?」
今にも自分の杯に口をつけようとしていたエルシィの手から、その杯を取り上げる。
「エルシィ様。これお酒ですね?」
「えへ」
そう、キャリナの鼻に届いたのは、薄くはあるが明らかなアルコールの匂いだった。
さすがに八歳児にこれを飲ますのはよろしくない。
キャリナはため息をついて給仕役の小者を呼び寄せて、子供でも飲める果実ジュースを持ってくるよう指示をした。
「ああ、わたくしの……」
エルシィはひどく残念そうにうなだれてそうつぶやくが、キャリナとしてもこればかりは許すつもりはない。
そこへ一部始終の様子を見ていた小さな影がゆらりゆらりと歩いてくる。
それはエルシィより一回り背の高い少年剣士、アベルだった。
「なんだエルシィ、取り上げられたのか。
仕方ないなぁ、これをやろう」
と、手にしていた杯を差し出す。
「エルシィ様にお酒を渡したのはあなただったのですね……。
まったく。あなたもエルシィ様と同じ歳でしょう。
お酒を飲むのはまだ早いですよ!」
頭痛でも覚えたように言うキャリナの目からすれば、アベルはすでに飲んでいるようで日に焼けた彼の顔は赤黒く変色していた。
身体が微妙に左右に揺れているアベルは、これを聞いてカラカラと笑い声をあげる。
「何をおっしゃるキャリナさん。ワインなんか、水だ!」
言って手にしていた杯を一気にあおる。
キャリナはもう「処置無し」とばかりに頭を抱えた。
「もう、ほんとにしようがない弟ね」
そこへやってきたのはアベルの双子の姉君。バレッタだった。
キャリナの耳に入ったその声はいつも通り張りのある高い声で、「これは頼りになりそうだ」と振り返った。
が、ダメだった。
バレッタもまた、すでに顔が赤かった。
キャリナは大きなため息をつきながらさっきとは別の小者を呼び寄せ、この酔っ払い姉弟を控室で休ませるようにと申しつけた。
「まったく、アベルはエルシィ様の護衛でもあるでしょうに……」
ひと仕事やった気分で肩をすくめるキャリナの呟きを拾ったのは、「神に遣わされた救世主エルシィ」の側近として同僚に当たる、近衛ヘイナルだった。
「まぁ今日くらいはいいだろう。護衛は私がしっかり務めるから」
そういう手にも杯は握られているので、キャリナはキッと厳しい目を向ける。
ヘイナルはすぐに苦笑いを浮かべながら首を振った。
「いやこれは水だよ。さすがに年越し会で杯も持ってないのは雰囲気にそぐわないし、護衛役が張り詰めていたら皆も緊張するだろう」
「まぁ……そう言うことであれば」
その言い分を聞きキャリナは気まずそうに答え、エルシィの為のジュースを持ってきた小者に、もう一つヘイナルの分のジュースを持ってくるように申し付けた。
「ああ、君」
指示されたとおりの仕事を果たすためにその場を去ろうとした小者の少年を、ヘイナルが呼び止める。
疑問気に振り返る小者の少年に、ヘイナルは少しだけ申し訳なさそうな笑顔を浮かべてこういった。
「そのジュース、もう一つ頼むよ。キャリナの分をね」
さて玉座周辺の主従がそうしたやりとりをしている間に、広間に集まった衆の方でも通り一遍の『乾杯の儀』は終わった。
続いて始まるのは料理と飲み物などをつまみながらの歓談となる。
何人かは自分の席を離れて、この機会に話したい者のところへと歩いていく。
そんな中、エルシィの元にやってくる者もいる。
というか、この場で一番地位が高いのはエルシィなので、それなりの役を貰っている者は互いの動向を見つつ主君への挨拶をする機会をうかがっているのだ。
うち、最初にやってきたのは小さな歌姫として領都では人気を博しつつある吟遊詩人の子、ユスティーナだ。
ユスティーナは軽薄そうな、青年と中年の間くらいの男を一人連れている。
「侯爵閣下。年越しのご挨拶をさせていただきたく」
玉座の段のすぐ下までやってきたユスティーナは恭しく跪きそう言った。
彼女はエルシィの直臣でもあり、普段はもう少し砕けたやり取りをする間柄なのでちょっと可笑しくもあった。
が、まぁ彼女は職業柄そうした演出がかったことをすることもしばしばあるので、エルシィもそのノリに合わせて大仰に頷いて見せる。
「小歌姫ユスティーナ、大儀です。あなたの挨拶を快く受けましょう」
そうしたやりとりでしばし澄ましていたが、二人ともすぐに堪え切れなくなって小さく笑ってから肩の力を抜いた。
「それでユスティーナ。お連れの方を紹介してくださいますか?」
「あ、はい。これは私の父です。名は……」
ユスティーナが言いかけたところで、男はユスティーナ以上に演技臭い大ぶりなお辞儀をして見せる。
「おお、高貴なる血筋の至宝にしてこの世の栄光を一身に纏いし御方!
御家の威光は天の星々を凌ぎ、名は永遠の詩に刻まれましょう!
……閣下の御前に額ずく栄誉を賜り、心より震えております。
ただいまご紹介にあずかりました、ユスティーナの父、クラウテルと申します」
しばしそのまま頭を下げ続けるクラウテルだったが、その立ち振る舞いには賤しさは微塵もなく、むしろ高貴でさえあった。
続きは来週の火曜に