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406床屋談義その4

「それにしてもだな」

 フルニエ商会の立ち回りをひとしきり感心してから、床屋はため息をついて湯呑をコトリと置いた。

「暗殺をもくろんだ連中が罰を受けるのは仕方がない」

「ああ、そうだな。気に入らねぇことがあるからって、暴力で解決しようなんざとんでもねぇ奴らだ」

 床屋の言いぶりに、客の中年男はフンと鼻を鳴らして言い放つ。


 実のところ、この中年男の考えはかなり革新的である。

 我々の住む世界でさえ、つい百年も遡ればそれが当たり前にまかり通ってしまっていたのだ。

 ともすれば世界中の国々が率先して実行していたほどである。

 そこ行くとこの世界。

 政治経済などの文化が我らの知る中近代に近いところからするに、まだまだ暴力こそが強い。

 中年男も商売をやっているので、それは重々承知だろう。

 だからこそ、出た言葉なのかもしれない。


 そんな中年男のちょっとした憤りをほほえましく見ながら床屋は続けた。

「だがよ、みんながみんな悪いことしたわけじゃない。

 なのに急に職を失うことになった小麦商が哀れでさ」

 これは床屋が自分の身に置き換えて考えてしまったゆえに出た意見だった。

 今度から散髪は国がやるからお前は廃業か商売替えをせよ。

 そんなこと言われたら床屋も大いに困る。


 ところが食料品小売の中年男はあっけらかんとした顔で笑った。

「なに、商売なんかいつどこで躓くかわからねぇ。

 みんな文句は言うだろうけど、賢い商売人はいつでもそうなった時の備えをしていくもんさ」

「そんなもんかね」


 これは政治が安定してないからこその考えでもある。

 「上に政策あれば、下に対策あり」とは中国やその文化圏でよく使われる諺だが、この世界でもやはりお上が急に方針を変えるなど当たり前に聞く話なのである。

 であれば、下々も柔軟に対応していくしかないのだ。


 それに、である。

 そもそもこの世界の街場に住む者において、「終身雇用」的に一生同じ職を続ける人間など一部の技能職を除けばほとんどいない。

 特に零細商売をするものであれば借金こさえて夜逃げなんて話も少なくないのだ。

 そう考えれば、今回の政策でも商人たちにとって、忙しくはなっただろうが思ったほど酷いことにはなっていなかった。


「それに、にゃ」

「お、なんか俺らの知らない話がまだあるのか?」

 そこにねこ耳男がまた口をはさむ。

 彼は床屋たちより事情通らしいので、どんな話が出るかと思えば楽しみにもなる。


「商店の旦那の言う通りにゃけど、不運にも職にあぶれてしまった商人もいないわけじゃないにゃ」

「そ、そうなのかい? そいつらはどうしたんだい?」

 床屋は途端にまた心配顔になって訊ねる。

 が、ねこ耳男は平然とした顔で続けた。

「心配ないにゃ。

 そいつらはまとめて政府が雇ったにゃ」

「政府が?」


 失業対策の福祉行政だろうか。などと床屋は考えた。

 だがそうなると収入はお察しだろう。気分を落とさずにいられない。

「何をしょんぼりしてるにゃ。

 たぶん床屋が思ってるのとは違うにゃ」

「あ、そうか。そりゃそうなるわな」

 うつむく床屋そっちのけで中年男が手を叩くもんだから、床屋もパッと顔を上げた。


 中年男は床屋に対して一度頷いてから自分の思いついたことを口にする。

「つまりだな、お上がこれから急に小麦売買を一手に引き受ける。なんて言ったって、絶対的に人間が足りねぇんだ。

 だったら計数に長けた経験者を放っておくことはあるめぇ」

 ねこ耳男はこれに満足そうにうなずくとさらに付け加える。

「ついでに言えば姫様に悪徳役人が追い出されたから、そもそも役人の数が足りてないにゃ」


「なるほどなぁ。失業した悲しい商人はいないんだな。良かった良かった」

 床屋はホッとして、またお茶をすすった。

 まぁ、さらに付け加えるなら何事にも例外はいるので、僅かながらに失業したものもいるにはいる。

 ただここで失業した者は、そもそもその職に向いていなかったのだろう。


 ホッとして、床屋はにこやかな顔で言った。

「こうして色々聞いてみれば、姫侯爵様はやっぱり悪い人じゃないんだなぁ」

「俺を儲けさせてくれたんだから良い人なのは決まってるさ」

 と、これはつい先日、道路普請参加者の為の食糧を売買してきた中年男の実感がこもった言葉だった。


「いやまぁその通りではあるんだがな」

 床屋は苦笑いでこの意見を受け、それから思い出を反芻するように視線を虚空にとどめた。

 実はこの床屋、しばらく前に行われた歌姫ユスティーナの舞台を見に行き、そこでエルシィが歌うところもまた見たのである。


 ということは暗殺騒ぎにも立ち会っていたのだが、思い出すのはそこではなく、かの姫君の歌声だった。

 歌の技量はプロのユスティーナに比べれば(つたな)いモノであったが、澄んだ声が心に残っていた。

 後で聞いた話のよれば、あれは「人の持つ原罪を祓い清めたまえ」という祈りと願いを込めた歌であるという。

 いつかまた、聞きたいものだ。と、床屋は誰にでもなく小さく頷いた。


「それでお二人は新しい姫侯爵様が来て、この国は良くなったと思うにゃ?」

 床屋と中年男がそれぞれ別のことに思いをはせてしみじみしているのを見て、ねこ耳男が本題であり締めでもあると言った風でそんなことを訊いた。


 中年男は言った。

「街道の整備だけでもきっと歴史に残る偉業さ。それに俺を儲けさせてくれた。

 この国は良くなったし、きっともっと良くならぁ」


 床屋は言った。

「街の治安は良くなったし、郵便ってのも便利そうだ。

 もし戦争になっても鉄血姫様なら心配ないのだろう?

 なら安心できる良い国さ」


「そういうお前さんはどう思うんだい?」

 そして中年男はねこ耳男に問い返した。

 ねこ耳男はにんまりと笑って答えた。

「そりゃ良い国にゃ」

床屋談義はあくまで庶民からの視点なので、彼らの想像した「政策の思惑」はあくまで彼らの想像であり、実際にエルシィが想定したものは違う場合があります

ねこ耳男が何者なのかはあえて伏せていますが、お察しの通りかと……


次回は金曜日に

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