403床屋談義その1
セルテ領内農地の大まかな視察を終えて城に帰り、そこから官僚を交えて数日会議をした末に水司農産局が正式に発足した。
初代局長として就任したのは内定通り、水司農村整備課のマルカジェリ課長。顧問官としてリクハド博士が就任。そして水司の各課から局員として十数名が異動した。
これから彼らは来季の農産計画を練り、各地の農村へ交渉や指導に赴き、また農産物の種子入手に奔走することになる。
「侯爵閣下のお考えはよくお伺いしました。
凡夫ではありますが、これまでの経験を生かしご意向を体現できるよう尽くしたいと思います」
任命式のマルカジェリにエルシィは満足そうに頷いてから言った。
「官僚に必要なのは仕事に対する真っ直ぐさです。
マルカジェリさんの任課での仕事ぶりも聞き及んでおりますし、不安はまったくありません。
農産局でも気負わずこれまで通りお願いします」
「ははぁ!」
それと同時に農産局以外にも水司の主だった仕事は組織改編が行われた。
つまり漁師の指導管理を行う水産局。漁船や商船などの管理を行う水運局。森林山野の管理を行う林野局。そして川や湖からの水害対策を行う治水局などである。
これらについてはまたいつか語る必要が出た時に述べることになるだろう。
エルシィの新たな政策がスタートし、各種の決算書や調査書、報告書が増え、エルシィはまた執務室の主となり忙殺されるようになる。
そうして時はいよいよ年末を迎えようとしていた。
ところはセルテ領都のとある街角。
市井の者が通う床屋である。
「ごめんよ」
と、一人の中年男がその暖簾をくぐった。
「おやアンタかい。ちょっと久しぶりじゃないか?」
暇そうにしていた床屋の旦那が出迎えて言うと、中年男は苦笑いを浮かべて答える。
「いうほどじゃないだろ。ほんの一、二か月ってところか?」
「そうは言うけど髪も髭もボサボサだ。つまり久しぶりってこった」
「……なるほど、こりゃ違えぇね」
二人は言い合い、ひとしきり笑う。
「で、今日は散髪と髭剃りでいいのかい?」
「ああ、いつも通りで頼むよ」
そうして髪切り椅子に中年男を座らせて、床屋の仕事が始まった。
手を動かしながらも気軽に口も動く。
「それでここ最近はどうしてたんだい?」
「ああ、ちょっとチェレット商会の仕事で街を離れてたんだ」
「へぇ、チェレット商会ってぇと大店じゃないか。大したもんだ。
でもあそこは馬車屋だろう? 何だってお前さんが?」
床屋の言う通りチェレット商会は馬車、荷車などを扱う大商会であり、それが転じて運送業なども手広くやっている。
そこ行くと客の中年男は街の食料品を扱う小売店をやっていた。
どうにもその接点が解らない。
「ああ、なんでも侯爵様の旗振りで国内の主要な街道を整備することになったらしいんだが、そこで働く連中の為の食料品調達さ。
現地で調理したりもしてきた」
「そういやそんな話どっかで聞いたな。儲かったかい?」
「いや儲かった儲かった。半年分くらいは稼いできた。
年が明けたらまた一儲けしに行くよ」
「そりゃ大したもんだ。しかし……」
感心しつつ、床屋が怪訝そうに声色を変える。
「なんだ?」
「街道整備って、道はもうあるんだろ? そんな金かけてやる必要あるのかね」
この疑問に、中年男もわかった風に頷いた。
「ああ、それな。
いや俺も最初はそう思ったけどな、なかなかどうしてバカにできねぇ」
「と言うと?」
「まだ整備が始まったばかりだから差ほどの範囲じゃねぇが、すでに終わった街道も少し通った。
が、あれは大したもんだ。
例えばそうだな……」
中年男がどう言っていいモノかと思案して、それから言を続けた。
「雨が降った後なら馬車もぬかるみに気を付けて通らなきゃいけねぇ。
車輪が深い水たまりにはまったらコトだからな。
だが新た敷く整備した道は厚く砂利を敷いてあるせいか水はけも良くて、よっぽどの大雨じゃなきゃ気を付ける必要もねぇんだ。
こいつは旅がかなり楽になるし、日数も短縮できると思うぜ」
「へぇそんなもんかい」
床屋は改めて感心して頷いた。
「邪魔するにゃ」
そこへ新たな客があらわれた。ねこ耳のついた草原の妖精族の小男だ。
とは言え、草原の妖精族は人間より小柄なのが普通なので、彼らにとってはそれが平均身長なのだが。
「いらっしゃい。猫の旦那、順番になるからちょっと待っとくれ」
「わかってるにゃ」
猫の旦那と呼ばれたねこ耳男は肩をすくめて順番待ちの為の席に着いた。
「……だがよう」
そして床屋は中年男の散髪に、話題もまた戻した。
「なんだよ」
床屋の不満そう、というか不安を交えたような言葉に、中年男は怪訝そうに眉を上げる。
「その、なんだ。道の整備の為に軍隊をだいぶ減らしたっていうじゃないか。
大丈夫なのか?」
「大丈夫なのかって言われてもなぁ……そんなの俺にもわかんねぇよ」
不安の内容を聞くと中年男も漠然とした不安がむくむくと湧き上がった。
「ちょっと良いかにゃ?」
と、ねこ耳男が待合席から口をはさむ。
「確かに軍隊は減ったにゃ。
でも街を見回る警士の数は変わってないにゃ。
それに統制された犬も増えたから、街の治安はむしろ上がっているにゃ」
最後の方、少し憎々しげになったのは、話の流れで犬の働きを褒めなくてはならなかったからだろう。
「確かにな。俺が外回ってる間はカミさんに店を任せてたけど、ひったくりとかゆすりたかりの小悪党がいなくなったって言ってたよ」
「そういやガラの悪いガキどももいなくなったな」
そんなねこ耳の話に二人はきょとんとして頷いた。
「ガキどもについてはたぶん孤児院がマシになったおかげもあるにゃ」
「へぇ、そいつは重畳だ」
「……でもよう?」
しかしまた床屋の声が不安そうに落ちた。
「まだあるのかい」
中年男は呆れた風にため息交じりの笑う意を漏らした。
そろそろ今章まとめ
続きは来週の火曜に