004側仕えとすり合わせ
「とりあえず救世主様、いえエルシィ様。時間がないので手っ取り早く情報の擦り合わせをしましょう」
天に召されたエルシィの魂を見送りその余韻が晴れるや否や、近衛士ヘイナルが立ち上がってそう言った。
「えと、なんで時間がないの?」
切り替え早いね。
などと思いつつも丈二は首を傾げる。
が、ヘイナルからの返事より先に横から別の声が飛び込んで来た。
「姫様、それ!」
「ひぃっ」
それは厳しく口元を引き結んだ侍女キャリナだった。
あまりの剣幕に丈二は思わず小さな悲鳴を上げて仰け反る。
「救世主様は今後、エルシィ様として過ごさなければなりません。言葉遣いや仕草に気を付けてくださらないと」
「あ、ハイ。気を付けますです」
言われれば至極尤もだったので、丈二はピシッと姿勢を正して頷いた。
姫様と呼ばれると言うことは、最低でも良いとこのお嬢さんだ。
これからはご令嬢らしくしなければならない。
まぁ自分はアラフォーのおっさんだかな。
ギャップがキツいな。
そう思わざるを得なかった。
「コホン。えーと、なぜ時間がないのでしょう?」
自分はエルシィ。自分は小さなご令嬢。
などと心に言い聞かせながら、出来るだけ優雅に頬へと手を当てて首を傾げてみる。
どうだ、上手くいったろう。
おっさんがこうしていると思えばキモイことこの上ないが、今の容姿は薄金色の髪の幼少女なんだから大丈夫。
そう思いながらチラリと周りを見回せば、「よし」とばかりに頷く侍女キャリナが見えてホッとした。
言い直した問いに、近衛士ヘイナルは苦笑いしながら頷く。
「キャリナは姫様の様子を見て、具合が良さそうなら朝食へ連れて行くつもりだったのだろう?」
「ええ、そうです。支度をしてから食堂へ向かうなら、もうギリギリですね」
そう言ってカーテンを開けて外を見る。
どうやら陽の高さで時間を測っているらしい。
「でしたらわたくし、まだ熱が下がらない、と言うことにしてはいかがでしょう?」
名案、とばかりに丈二は手を叩く。
だがキャリナはその発言に酷くショックを受けたように、口元を抑えて俯いた。
「ああ、何と嘆かわしい。姫様が嘘をおっしゃるだなんて……」
この反応に、丈二は気まずそうに目を逸らし、ヘイナルはこめかみを指でグリグリしながらため息をついた。
「この際は仕方ないだろう。軽い朝食を部屋へ持ってくるよう伝えよう」
そう言い、ヘイナルはクルリと背を向けて扉から出て行った。
残された丈二は一息つきながらベッドへとポフンと座り、足が床に届かないことで改めて自分の身体の小ささを思い知った。
「夢……じゃないのかなぁ?」
そっとシーツを撫でてみれば、高価そうな手触りだ。
夢にしてはリアルだなぁ、などと首を傾げながら未だ俯いていたキャリナを見る。
ようやく立ち直ったと見え、キャリナはゆっくりと姿勢を正し、丈二の傍らに立ち溜息を吐いた。
「夢ではございません。たった今、貴方はエルシィ様なのです。
これまでがどうだったかは存じませんが、エルシィ様の名を汚さぬよう、しっかり躾させていただきますのでご承知おきくださいませ」
丈二に語り掛けていると同時に、そこには自分への固い決意が見て取れた。
彼女もまた、エルシィの死に未だ動揺しているのだろう。
それを必死に振り払おうとしているのだろう。
よし、もう夢でもなんでもいいから、俺もいい加減に丈二ではなくエルシィとして振る舞わなくちゃ。
丈二、いやエルシィは、そんなキャリナを痛ましく思い、そして自分もまた決意するのだった。
さて、十数分もするとヘイナルが戻ってきた。
その手にはスープやパンが乗ったお盆が乗っている。
「ヘイナル、近衛士ともあろう者がなんですか。それではいざと言う時に剣が抜けないではありませんか?」
その様子を見たキャリナは眉をしかめて、ヘイナルからお盆を奪い、ベッド脇のローテーブルに乗せた。
「まぁ大丈夫だ。フレヤを扉の外に控えさせている」
お盆を奪われ肩をすくめたヘイナルが、閉じられた扉をさす。
「フレヤ?」
丈二、いやエルシィはコテンと首を傾げて訊ねる。
新たな人物名だ。
流れからしてヘイナルと同じ近衛士だろうか。
「エルシィ様、フレヤは私と同じく姫様の近衛士です」
すると考えてすぐにヘイナルが教えてくれた。
正解だったのでにへっとした笑いが出る。
「後で顔合わせしますが、エルシィ様の事情は私とキャリナだけしか知りません。今のうちに彼女の簡単な素性を話しておきましょう」
彼女、と言うからには女性なのだろう。
その後は簡単にフレヤの人となりを教えてもらった。
ただ、そもそもエルシィは病弱でよく熱を出しては寝ていたため、近衛士との交流は少なかったようだ。
「だいたい、私も姫様とこんなに会話したのは初めてですからね」
などとヘイナルは話を結んだ。
それから、軽い朝食を食べながら、エルシィ自身の素性や立場を教えられた。
ここはジズ公国。
大陸西部の洋上に浮かぶ島国だ。
エルシィは公国を治める大公家の娘であり、兄が一人いる。
公国の歴史については、おいおい教育係が教えていくだろうとのことで割愛された。
つまりエルシィはジズ公国にとって第二位の後継者と言うことになるが、特に争いがあるわけでなく、順当にいけば兄が大公の地位を継ぐことになるだろう、とのことだった。
現大公はエルシィの母で、前大公であるエルシィの父はすでに亡くなっているそうだ。
父が亡くなった時、まだエルシィは赤子で兄は一〇歳にも満たなかったそうで、仕方なしに中継ぎとして母が大公の地位についたという。
「親類もいるでしょうに、争いにならなかったのですか?」
それを聞き、エルシィは不可解と首を傾げて訊ねた。
封建主義的王政と言うのは、現エルシィからすれば歴史の中で学んだ存在だ。
その歴史は多くが血に塗れている。
親兄弟親族。
血は水より濃いなどと言うが、その濃い血を持つ者たちが地位を求めて血を血で洗う争いを繰り広げたのは、歴史を学んだ者なら誰もが知る話である。
だがこの国ではそうした争いは起きなかったようだ。
「もちろん継承権を持つ親族はいますが、過去を遡ってもそうした争いの話は聞いたことないですね」
「なぜです?」
ヘイナルの答えに、エルシィはますます疑問が深まったとばかりに眉をよせる。
しかし、困ったようにキャリナは頬に手を当てた。
「エルシィ様がなぜ不思議がってるのかが、私には解りません」
と、逆に不可解と返された。
どうやらこの国は随分と暢気で平和だったらしい。
などと考え、ふとエルシィは平和な国で育った自分を振り返って自嘲気味に笑った。
日本国内にいると何かと文句を言う人を見かけるが、海外に行くといかに日本が平和で安全か思い知らされる。
ともかく、平和なのは良いことだ。と考えをまとめたところで、今度はエルシィが質問を受ける立場となった。
「それでエルシィ様? 救世主様、とのことですが、この世界の危機とはいったい何なのでしょうか?」
だが、訊かれたとして、エルシィが答えられることではなかった。
「解かりません。本当に、解からないのです」
何故丈二がエルシィとなったかは「救世主としてこの世界をあるべき姿へと導く」使命を課せられたから、らしい。
それは判ったが、ではこの世界はそもそも何なのか、と言う話である。
丈二の感覚からする昨晩。
露店の女から古いゲームカセットを購入し、起動して主人公に名前を付けたまでが記憶のすべてである。
だとするとここはあのゲームの中だろうか。
確かにあのゲームの中で自分が名付けた主人公がエルシィだった。
では、ここがあのゲームの中だというなら、なにか目的はあるはずなのだ。
その目的こそが「世界を導く」ことなのだろうか。
だが、説明書もなかったしプロローグも無かったので、エルシィは何も知らない。
ゆえに見当もつかない。
「ただ、シミュレーションRPGと言ってましたから、多分何かの戦いはあるはずです」
考えをまとめながら、エルシィはキャリナに向けてそう呟きかける。
「戦い……姫様が、戦い?」
呆然と繰り返すキャリナを眺めつつ、エルシィもまた思考の海に沈みこむ。
オリジナルのエルシィに「身体を捧げるよう」そそのかした女神とやら。
おそらくそいつが、この荒唐無稽な現象の元凶なのではないだろうか。
丈二はそう思いつつも、それよりこれから果たさねばならない役割こそに、思いを馳せ始めていた。