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398南部小麦

 さて、これまで細かいことを言わずすべて「小麦」で通してきたが、当然小麦にもさまざまな種が存在している。

 とは言え、ジャポニカ米、インディカ米、ジャバニカ米と大別できる米と違い、小麦の種別はそれほど単純ではない。


 そも、太古の原種と言われる小麦は二~三に絞られるのだが、そこから人工天然無数の交配を続けて来た小麦は単純に分類分けできかねるのである。


 いわゆる強力、中力、薄力と言った用途による分別や、春撒き、秋撒きと言った耕作時期による分別、はたまた二倍体、四倍体と言った染色体構造による分別などはできる。

 だがこれが入り混じってさまざまな種があるため、「大別するとこうだ」といった単純分別が難しいのだ。


 というわけでそういう小難しい話は学者先生に譲るとして南部小麦である。

 実のところ日本の東北地方にはその名もずばり「南部小麦」という種が存在しているが、その南部小麦とリクハド先生の口から出た南部小麦は別物だ。


「それで、南部小麦というのはどういう小麦なのです?」

 エルシィがリクハド老の手元をのぞき込むみつつ、くりんと首をかしげる。

 リクハド老はすでに手の上の小麦を検分することに夢中であったが、ハッとして教師の様な顔になる。

「うむ、そうだのぅ。細かいことを抜きにして言えば、比較的温暖なセルテ南部に適応した小麦だな。

 その代わり、北中部の小麦に比べると収穫量が幾分少ない」

「……どういうことです?」

「わふ、小麦は小麦わふ?」

 と、この疑問声はキャリナから出、それに追従するようにレオもまたエルシィの肩越しに小麦粒をのぞき込んだ。


「ええと……」

 エルシィは「まぁ普通はそういう認識だよね」という顔になり、そして人差し指で顎をトントン叩きながら答える。

「小麦というのはそもそも涼しい土地に適した作物なんですよ。

 ですので、本来であればセルテ領中部から北部にかけてが最適な栽培気候ということになりましょうか」

「ほほう、そうなのですか。

 ……いや? それにしてはここよりさらに暖かいハイラス領でも育てられてましたが」

「ジズリオ島でも少ないながらに小麦はあったはずだな?」

 感心しかけ、そこでふとヘイナルとアベルが気づいて疑問顔になる。


 現在、我々の知る小麦はそれこそ北半球のあらゆる場所で育てられている。

 だがこれは様々な品種改良という先人たちの努力によって獲得された版図なのだ。

 例えば我々の知る中国という国がある。

 この国の食文化と言うと麺類を思い浮かべる人も多いだろうが、実のところ寒い北部は麺文化、暖かい南部は米食文化に分かれる。

 これはまだ品種改良が今ほど進んでいなかった時代に、それぞれの気候に適した作物を栽培したからだと言われている。


 つまり本来であればここ南部、またはハイラス領やジズ公国では少し温暖過ぎて小麦を育てるには適していなかった、ということになるのだ。

「まぁそうですね。ですからハイラス領では小麦と同時に亜麦の栽培も盛んだったでしょう?」

「ああ、そういえばそうだったな」

 そう答えたエルシィの言葉に、アベルは亜麦……つまりは米を思い浮かべてじゅるりと涎を飲み込んだ。

 先日食べたカレーライスを思い出したのだ。


「亜麦を伝統的に育てている村もありますよ。

 ですが、亜麦は小麦より安く買いたたかれるのですよ」

 これらの話を聞いて、すぐ後ろでエルシィたちのやる様を眺めていた村長がため息交じりに口をはさむ。


 そうなのだ。

 ここ旧レビア王国文化圏では、どうにも米の地位が低いのだ。

 というか小麦の地位が高すぎると言ってもいいだろう。

 日本における米に対する信仰に近い意識が、知らずのうちに根付いているのかもしれない、とエルシィは少し深刻そうに考えた。

「もう少し、お米を美味しく食べる料理を広めなければなりませんね」

「結局それか」


「食糧増産という観点でいえば、南部は亜麦栽培に切り替えてもいいかもしれぬ。

 だがこれまでやってきた小麦栽培を捨てるには抵抗がある者も多かろう。

 いっそ、春撒きを亜麦にして、秋を小麦にするというのも手だろうな」

「そう、それです」

「どれかな?」

 リクハド老が私見を述べ、それを神妙に訊くエルシィ一行。

 そこに村長がまた声を上げた。


「侯爵様方は先ほど『年に二度の作付けを行う』とおっしゃっていました。

 ですが、温暖な南部とは言え、秋から冬にかけて本当に小麦が育つのでしょうか?」

 かなり不安そうな顔の村長だった。


 エルシィはきょとんとし、リクハド老はなんてことはない顔で村長を見やった。

「なに、心配することはない。

 つい今しがた言った通り、小麦とは本来少し寒いくらいの方がいいのだ。

 ここ南部の気候なら秋撒きでも充分育つであろう。

 なんなら秋撒きは南部小麦ではなく中部、または北部の種を撒けばよい」

「おお、なるほど……」


「ただ……」

「ただ?」

 と、エルシィがふむーと腕組して真剣にうつむいた。

「お米が増えるのはいいとして、かといって南部小麦がなくなるのも惜しいですね」

「そこはほれ、すべての春撒きを亜麦に切り替える必要も無かろうて。

 そもそも亜麦栽培を奨励したからと言って、簡単に切り替わるもんでもない」

「それもそうですね」

 さっきも言った通り、南部小麦の栽培はこの地の農民たちが先祖代々汗水たらして適応種を作ってきたのだ。

 それを簡単に捨てることはないだろう。

続きは金曜日に

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