388老人のぶちまけ話
「つまりなんだ、爺さんは邦を追い出されてきたのか?」
呆れ顔でアベルが言う。
アベルも、そしてヘイナルも、なんだかすでにこの老人からは迷惑者のらしき臭いを感じ取っていた。
刺客などと言った物騒な方向ではない。ただ対応が面倒な輩と言う意味での迷惑者である。
この空気を老人は敏感にも察した。
邦でも多くの者からそうした目で見られていたからだ。
だが、ゆえに老人は虚勢交じりに大声を上げた。
「失敬な! 追い出されたのではない。ワシ自らヤツらを見捨てて出て来たのだ」
最後、尻つぼみになる言葉だった。
実際にどうだったかは解らないが、これは大目に見ても厄介者だったのは間違いなさそうだ。
一同はそんな顔でお互い無言の会話をするように視線を交差させた。
本来、こうした来訪者の取り調べなどは砦の者がすることではあるが、その砦の隊長も扱いに困って主君であるエルシィを見る。
いつもなら困っても彼が砦においては上位者なので、副隊長など隊の人間をいくらか集めて相談したりするところだが、今はさらに上の者がいる。
下手の考え休むに似たり。
いるなら上司に頼るのも術である。
そんな隊長氏の心を正しく読み取ったエルシィは、コクリと小さくうなずいてからアベルの肩越しに問いを発した。
「それでお爺さんは何をされている方なんですか?」
問われ、初めて気づいたという風で老人はエルシィを見てきょとんとする。
「こりゃどうしたことか。
こんな村もない果ての地に、なぜこんな幼い娘っ子がおる?」
「! このお方をどなたと心得……
さすがに耐えかねたのか、キャリナがすぐに言い返そうと前に出かけるが、エルシィが目線だけでその行動を差し押さえる。
納得できない顔でキャリナはぐっと黙った。
「お爺さん、これでもわたくし、ちょっと偉いのですよ。
ここにいるのもお仕事の一環なのです、えへん」
エルシィは気を取り直してそう胸を張って見せる。
老人はさっきまでの怒りの表情をすっかり仕舞い込んで、ほほえまし気な顔でエルシィを眺めた。
「そうかそうか、まだちぃこいのに偉いのう」
老人はニコニコとそう言うが、まるで信じていない顔だった。
「それで爺さんは結局なんなんだ?」
しばしほんわかした空気のまま皆無言だったが、そろそろいいだろうと呆れ顔のアベルが再び問う。
今度は老人も激昂などせず、一度ため息をついてから誇らしげに名乗った。
「ワシの名はリクハド。学者じゃ」
「学者さん、でしたか」
エルシィが少し感心気に頷く中、他の者たちの困惑はさらに深まった。
エルシィがその雰囲気に首をかしげる。
キャリナはそんな主君の様子にまた困惑気に首を傾げた。
さて、どうしてエルシィ以外の者が困惑したかと言うと、この世界。少なくとも旧レビア王国文化圏において、純粋な学者本業と言う職業が成り立たないからである。
ではなぜ、学者と言う職が成り立たないかと言えば、学者はその研究において財産を直接生み出すものではないからだ。
もちろん様々な発展において学者による研究は必要不可欠であるが、まだこの世界では各々が生活を送っていくことに余裕がないため、そうした財を生まない研究職に理解が及んでいない。
ゆえにリクハドのように「学者である」と名乗る者は珍しいのである。
ともかく、そうして困惑しているキャリナたちをさておき、エルシィは質問を続けることにした。
「それでリクハドさんは、どうして……その、お邦の皆さんからボケ老人? 扱いされたのです?」
言葉を何とか選ぼうとしたが、上手い言い回しが見つからない風のエルシィに、リクハド老人は少しだけ気まずい顔をしてからまたため息をついた。
「ワシは男爵家御曹司の家庭教師も務めたことがあるのだが……」
老人の語りはじめを聞き、これ長くなりそうだ。と、誰もが思った。
実際、そこから彼の半生を聞かされることになった。
その話をつらつらと書き連ねるのも何なので要約する。
すなわち、彼の半生はこうである。
ガルダル男爵国のそれなりの良家に生まれたリクハドは、幼いうちから家にある書物を読み漁るいわゆる神童だった。
だが家にとって幸か不幸か、彼は最終的に家職にはつかず研究の道へと進む。
そんな彼の興味の対象は、我らの世界でいうところの博物学であった。
博物学とは、自然界にあるあらゆるものを知るための学問である。
例えば動植物、鉱物などなど。とにかく一歩街を出た先にある物すべてが彼の興味の対象なのだ。
そんな彼に呆れつつも、家は裕福でもあったため両親は好きにさせてくれた。
その甲斐あり、彼は男爵家御曹司の家庭教師に指名されるほどの人物になる。
が、それもたった二年で首になった。
なぜかと言えば、彼の行動が男爵の求める家庭教師から逸脱していたからだ。
例えば、まだ幼い御曹司を護衛なしで都市外まで連れ出したり、研究用の畑で鍬を持たせたり。
とにかく男爵の側近たちから言えば、二年耐えた男爵の忍耐を褒めたたえたいくらいであったという。
そうしたこともあり男爵家を追い出された彼はその後、これ幸いと定職にも着かず研究に打ち込んだ。
生活費はほとんど実家からの持ち出しである。
裕福な家だったから、これも何とか許された。
彼が四〇歳を越えるころ、両親は諦めのうちに泉下へと旅立った。
家の財産を継いだ彼は、やはり家職を継ぐこともなく学問の道を突き進んだという。
「ワシが学問の道を歩み続けられるのはそれが天命だからである。
それを証拠にワシが学問し続けるのに何の障害も困難もない」
とリクハドは豪語した。
周りから見れば、先祖代々の財産を食いつぶす道楽者にしか見えなかっただろう。
そうして彼もすでに老境に達し、そろそろ終活の一環としてこれまでの研究を総括し書きまとめよう。などと思った矢先に、彼は気づいてしまったのである。
「この国に、飢饉が迫っている」と。
もちろん道楽者としか見られていなかった彼の言葉など誰も信じてくれなかった。
煮詰まった彼は自らが持つ財産のすべてを継ぎ込んで自ら行動することにした。
「何をやったのですか?」
ここまで二時間ほどの語りに付き合い、やっと核心に迫る話になったことを悟ってエルシィは身を乗り出す。
リクハド老人はニヤリとして勿体ぶりながら言った。
「干した魚をすりつぶして、近所の畑にぶちまけてやったのよ」
キャリナたちには意味が解らなかった。
道楽者が突然やってきて他人の畑にゴミをぶちまけたようにしか聞こえなかった。
それは畑の持ち主たちが怒って彼を追い出すのも頷ける話である。
ただ、この中でエルシィだけが彼のやりたかったことを理解した。
すなわちこれ、魚肥である。
続きは金曜に




