385こじぇね
エルシィたちがしばらく現場のを見て回っている間に引っ越しの支度が終わったようで、黒猫トウキが助手たちを伴って戻ってきた。
それぞれの手には持ち切れるだけの木箱を抱えている。
「思ったより少ないですね?」
「元々引っ越すつもりだったにゃ」
一言で答えるトウキに、エルシィは「まぁそりゃそうか」と納得した。
「そこで立ち話してても荷物が重いだけだ。
さっさと空き小屋に運び込もう」
これからのことについて、二、三言葉を交わし始めようとするエルシィたちに、アベルが呆れたように言葉をかける。
「そうですね。そうしましょう」
一同は頷き、アベルの案内で構内隅の方にある掘っ立て小屋群へと向かった。
その掘っ立て小屋群の前で、皆を出迎える者がいた。
トウキの妹である白猫ナツメだ。
仁王立ちしているがねこ耳に合わせた白いモコモコのコートと、さらに言えば小さい身体も相まってあまり目立たない。
「ナツメ、風邪は引いてないにゃ?」
「当然にゃ。薬師が風邪ひいたら恥ずかしいにゃ」
えへんと胸を張る妹の頭を、トウキは箱を下ろしてミトン手袋越しに優しくなでた。
「そんなことよりにゃ!」
と、その手を払いのけてナツメが兄に詰め寄る。
「ここに! 薬草畑を! 作るにゃ!」
興奮気味である。
すでにその話はアベルからも聞いていたが、やはり本人の口から訊いてもみな困惑した。
「この寒冷地では畑を作ってもあまり育たないのでは?」
「里も寒かったにゃ。だから寒さに強い薬草も知ってるにゃ」
エルシィが皆を代表するように問えば、ナツメはふふんと得意げに答えた。
それでも兄トウキの困惑は晴れなかった。
「いや、ここは里のある山よりもっと寒いにゃ。
里ではみんなこんなモコモコ着てないにゃ」
確かに。とボーゼス山脈にある彼らの里を思い浮かべてエルシィたちは頷いた。
セルテ領都よりは北にあり、さらに標高も高く雪も降るが、それにしたってこの極寒の島に比べれば春の様なものだ。
当然、里を作るくらいだから山脈の中でもいい場所を選んでいるのももちろんある。
「にいちゃ、図面出すにゃ」
「にゃ?」
困惑のままの兄は妹の言に首を傾げつつもいう通りにすることにした。
兄の出した図面をナツメは小さな身体で難儀そうに広げて目を走らせる。
「ここにゃ!」
「どこにゃ?」
みなで興味深げにその図面をのぞき込む。
するとナツメは構内図の一部をミトン手袋で指し示し、その後についと線を引くようになぞった。
兄トウキはその手を目で追って、妹が何を考えているのかを悟った。
「にゃるほどにゃるほど……そういうことにゃ。
うちの妹は天才にゃぁ!」
「つまり、どういうことです?」
興奮気味に吠えるトウキにエルシィはきょとんとした目で首を傾げた。
「つまり、にゃ」
ひとしきりにゃーにゃーと吠えて落ち着いたトウキは、皆を伴って机のある小屋へと入り、改めて図面を広げた。
「ガス窯の排気と、沸かした海水の蒸気を捨てるための煙突を薬草園の脇に通すにゃ。
「なるほど、その排熱で薬草園を温める、と言うわけですね?」
「そうにゃ。
この仕組みを使えば工場内の暖房にも役立ちそうにゃ」
「エコですね」
「えこにゃ」
当然、エコがなんだかわからないトウキだが、ノリと勢いで大きく頷いた。
ちなみにこの仕組みは我々の住む世界でもすでに使われている「コージェネレーション」という概念である。
「そうとなったらこうしちゃいられないにゃ。
急いで設計を直すにゃ!」
トウキがキッと顔を上げて見まわし、ぼーっと立っている助手たちに指示を出す。
引っ越しは彼らに任せて、自分はもう設計の方に掛かりきるつもりのようだ。
「忙しくなりそうですし、わたくしたちはこの辺でお暇しましょうか?」
「そうですね。現場のことは現場の方にお任せしましょう」
取り残された感じになったエルシィがそう言えば、侍女キャリナもまた頷いてそそくさと場を辞する準備を始めた。
「アベルはどうするんだ?」
その様子を横目で見ながら、ヘイナルが訊ねる。
アベルの仕事はこの工場用地の縄張りをすることであり、これから始まる本格建築工事ではない。
ゆえにアベルも肩をすくめつつ答えた。
「当然、オレも一緒に戻るよ。
後は姉ちゃんの仕事だ」
「あたしの仕事だって本来は海軍提督よ?
まぁあたし有能だから色々任せたくなるのもわかるけど」
言われた姉バレッタも頬をわざと膨らすようにして見せてから得意げに言った。
彼女もいろいろエルシィから仕事振られるのが頼られているようでうれしいのだ。
「では改めてバレッタには期間限定ですが製塩工場普請奉行に任じましょう。
いいでしょ? 頼りになるお姉ちゃん」
これまたワザとらしくいうエルシィに一瞬きょとんとしてから、バレッタはやはり得意げに胸を張って応じた。
「このお姉ちゃんにどんと任せてよ!」
続きは来週火曜に




