038アジフライ(後)
我先にと皿へ群がる漁師たち。
それでもエルシィが先に取れるようにという配慮は一応は忘れない。
おかげで無事、アジフライをフォークに突き刺して確保したエルシィは、ゆっくり食べられるようにと船長たちの輪から抜け出し、キャリナの近くまで戻った。
このままかじりつくのはさすがにお嬢様らしくないかな?
と、キャリナを伺い見るが、取り皿もないような場所ではどうしようもないだろう、とキャリナの諦めた頷きにより、エルシィはやっとアジフライにかじりつく栄誉にあずかることとなった。
サクッとした歯触りが小気味良い。
瞬間的に口に広がるのは、日本で食べるアジフライとは少し違う風味だ。
これは使った油のせいだろう。
それでも新鮮な脂身から作った油なので、臭みはそれほど強くない。
まぁアジの脂と動物性油の相乗効果で、少しギトギト感が強い気もするが、今や八歳児の胃袋にはこれでも問題は感じられなかった。
元のアラフォーの身体では、おそらく二枚も食べれば胸やけを起こすだろう。
その場合、ポン酢しょうゆなどで食べるとあっさりするかもしれない。
ポン酢しょうゆか。
と、途端にソースやしょうゆと言った調味料が恋しくなった。
だがない物は仕方がない。
獲れたて揚げたてのアジフライは、塩だけの味付けで十分美味いのだ。
元いた世界では「フライを塩で食べる」などといと「通ぶってる」と思われるかもしれないが、だって無いんだからしようがない。
エルシィはそう納得してアジフライをかみ砕き、恋しい想いと共に喉を通して飲み込んだ。
船長たちがアジフライを一枚ずつ手に入れた後は、キャリナやヘイナルも口を付け、初めてのフライ料理はおおよそ評判であった。
輪から少し離れたところにいた水司のお役人もこれを口にし、「これはジズ公国の新名物になるかもしれません」などと呟いた。
などと、エルシィ以外は大人ばかりという状況でワイワイと試食会をしていると、どこからともなく子供の声が聞こえて来た。
「わぁお。これ美味しいわよ」
「ちょ、姉ちゃんマズいって」
「不味くないわ。美味しいわよ? ほらアベルも食べて見なさいよ」
初めは騒がしさの中に紛れていたその声だったが、どうしたって子供の高い声は耳に届く。
いつしか「え、誰?」という風で皆の視線がキッチンの片隅へと向いた。
そこにはエルシィと同年代ほどの姉弟がアジフライをサクサクとかじっていた。
あ、白いイルカに乗っていた子たちだ。
と、ここでエルシィは気が付いた。
巨大イカに襲われていた時、助けてくれたのもおそらくこの二人だろう。
ただあの時の様子から「あまり人目につきたくないのかな」と見て取れたので、こんな所でコッソリつまみ食いしているのを見ると「何やってんの」と、ちょっと呆れ顔にもなる。
とは言え推定恩人であるから、無下にはしたくない。
エルシィはあまり大事にならないよう、ニコニコ顔で二人に歩み寄った。
「マズい姉ちゃん。見つかったっぽい」
「だから美味しいわよって。え?」
ここで初めて、少年少女とエルシィの視線が交錯する。
今更気づいたと言わんばかりに慌てる二人に、エルシィはテーブルのお皿を差し出してみる。
途端に、慌てた素振りから皿上のアジフライに視線が釘付けになる。
「ふふ、アジフライ美味しいでしょ?」
出来る限りフレンドリーに言葉をかけるエルシィ。
彼女の意を汲むように、固唾を飲んで見守る周囲の大人たち。
そして少し困惑する姉弟。
それぞれの時が少しだけ止まり、明るい茶色髪の姉がニパっと笑った。
「アベル、大丈夫そうよ。バレてないみたい」
「……そうかな?」
何がバレてないのか解らないが、二人にとっては知られて困ることがあるのだろう。
と、エルシィは訊きたいアレコレを飲み込んでツイと皿を近づけた。
「冷めないうちにもう一つどう?」
「うん、いただくわ」
「……ありがとう」
二人もどうやら様々な心配事を一時保留することにしたようで、それぞれ争うように皿へと手を伸ばした。
「これ、ホントに気に入ったわ。あなた、うちの料理人になってもいいわよ」
陽気な姉がはむはむとフライで口周りを汚しながらそんなことを言う。
「はは、それはちょっと無理かな」
エルシィは苦笑いしながらハンカチを差し出し、弟、アベルが申し訳なさそうにお辞儀をしながら受け取った。
「ほら姉ちゃん、口拭きなよ」
「あらありがと。ええと、あなたは……」
受け取ったハンカチでお口拭き拭きしながら姉が訊ねる様に視線を向けたので、せっかくだからと名乗ることにした。
あの海上でのことを思えば、恩人と言うだけではなく仲良くなっておけば戦力になりそうだ。
まぁゲームや漫画だと「仲良くなった相手が実は敵でした」なんて展開もありがちなので油断はできないが。
ともかく、とエルシィは皿をテーブルに戻してからスカートを美しく見える様に両手でつまんで広げた。
「申し遅れました。わたくしエルシィと申します」
まだ相手の素性も判らないので、大公家やらは抜きにして名乗るだけにとどめてる。
ただこの行儀良さで姉の方も少し察したようで、彼女の方も短いスカートを少しだけ片手で摘まんだ。
「あたしはバレッタ。弟はアベルよ。よろしくね」
もう片方の手は未だにアジフライのフォークが握られているので、あまり優雅とは言えなくて、姉の恥ずかしさにアベルは顔を覆った。
その後、二人も加えてアジフライ談義に花を咲かせる。
水司の役人と船長さんは「良い名物になりそう」と、すでに調理に関する工夫や材料調達の算段を始めていた。
エルシィが「イカをフライにしてもイけます!」というと、二人だけでなくバレッタも目の色を変えた。
変えて、再び海に行こうとして弟に止められていた。
そうして楽しい時間は過ぎ、別れの時間がやって来る。
「お姫さん、またいつでも漁船に乗せてやるから遊びに来いよ」
「次はマグロのシーズンに来ます!」
アジフライのおかげで色々ほっこりしている船長さんの言葉にエルシィは大喜びで返事をする。
「ダメです。もうこれきりですから」
「そんなー」
が、すぐにキャリナから首を振られてしょんぼりである。
「エルシィ、またすぐに会える気がするわ。今度は一緒にイカを取るわよ」
「イカ釣りの道具をこさえておきます!」
「ダメですってば」
「そんなー」
バレッタとの別れの言葉でも同じようなやり取りを繰り返す主従だった。
こうして楽しかった港視察の日は、みな笑顔のまま無事終了した。
次は来週の火曜日です