379実験助手たち
ジャンロック少年はセルテ領主城で働く小者の一人である。
小者とは、成人前に出仕し雑用をする良家の子女のことを言う。
申次などもそうだ。
また良家とは、代々貴族家に仕えて司府を回して来た家々を言う。
それぞれの良家には様々な行政などのノウハウが代々伝えられており、ゆえに良家は司府において欠かせない大きな力だ。
例えばエルシィの侍女キャリナの家も、代々公爵家の側近を務める者を輩出する良家である。
また、以前登場した「道路族」ダマナン家も良家である。
そうした様々な良家がある中で少年ジャンロックの家は、ここセルテ領において代々数計の知識技能を伝える良家だった。
主に財司に人材を輩出しているが、計算が必要な部署は他にもいくらでもあるため何かと重宝される。
とは言え、現家長であるジャンロックの父は財司のいち課長であり、家史を紐解いても最大で副司長程度なので、まぁ多くある良家の一つ、と言ったところだ。
そのジャンロックも今年のお役目をつつがなく勤め上げれば、来年には元服を迎える予定の一三歳である。
元服、つまり成人年齢は家や個々の事情によって異なるが、まぁジャンロックの家は代々一四歳で元服、となっているのだ。
さて、そのジャンロックはある日、彼が勤める財司産業振興課の課長から呼び出しを受けた。
「何事だろう。課長直々なんて今までなかったのに?」
緊張しながら課長のデスク前まで進み出る。
「ああ、ジャン。よく来てくれた。
実は侯爵陛下直々のプロジェクトがあってな。
そこで助手をしてくれる者を何人かよこしてくれということなので、お前を推薦しようかと思っているのだ。
どうだ、やってみるか?」
ジャンはこれを聞いて心臓が止まるかというほど驚いた。
驚きつつも、期待をもって明るい表情を浮かべた。
「やらせてください。ぜひ!」
そう、このセルテ領においてトップである侯爵陛下直々のプロジェクトに関わることができるというのは、単に名誉なだけでなく、出世の絶好の機会でもあるのだ。
場合によっては家史最高位である副司長超えもあるかもしれない。
だが、この時の考えを、ジャンは後で後悔することになる。
後日、ジャンが言われた場所に赴いてみると、そこにいたのは黒いねこ耳は生やした小さな草原の妖精族だった。
「にゃ」
草原の妖精族の挨拶はそれだけで、すぐに彼の作業の手伝いをするように指図を始める。
未だ差別が残る草原の妖精族が上司であること。
そして勤務場所が城内の場末とも言えそうな隅っこにある小さな小屋であること。
それらにジャンはひどく落胆した。
「これ、左遷じゃね?」
「元服前に左遷て……僕なんか悪いことしたかなぁ」
同僚となった他の小者たちと、そんなことをつぶやき会った。
そうして手伝いをさせられて出来上がったのは、変な形の鉄の蓋が上下についた小さな樽だった。
というか元々小樽だったものの上下を鉄の蓋に変えただけだ。
後は何かよくわからない管を取り付けたりもしている。
「ええと主任、これは何ですか?」
この草原の妖精族はトウキという名前だったが、手伝いの小者たちからは主任と呼ばれている。
一応、そのような身分が侯爵陛下直々に与えられたと聞いたからだ。
もっとも、その侯爵陛下は一度もこの小屋に現れていない。
トウキ主任は「にゃ」と頷いてから、自慢げに胸を張って答えた。
「これは蒸留器にゃ」
その言葉に衝撃を受けた。
「こ、これが蒸留器ですか!」
「一部の酒蔵が秘匿しているあの!?」
そう、高価で人気の高い蒸留酒を作るための道具として、名前だけが知られているあの装置だ。
ジャンは生唾を飲み込んだ。
これを売れば、庶民であれば一生働かなくてもいいくらいの財産が築けるだろう。
ジャンはその夜、出来心でその蒸留器を持ち出そうと小屋を訪れた。
小屋にはトウキ主任がおり、冷ややかな目で彼を見た。
「い、いえ、主任のお手伝いが何かできればと……」
「いい心がけにゃ! 明日の朝からと思っていたけど、今からやるにゃ!」
トウキ主任はとてもいい笑顔に一変し、そうのたまいつつ封をされた瓶を開けた。
しばらくして部屋は得も言われぬ悪臭と、トウキ主任の異様な笑い声に満たされた。
翌朝、同僚の小者たちが小屋を訪れた時、死んだ目で振り返るジャンを見て背筋が凍るかと思った、という。
そしてあまりの臭さに、なぜこの実験室が城内の片隅に建てられたのかを知った。
その日から小者たちは小屋の仮眠スペースで寝起きし、三交代でトウキ主任の「実験」に付き合わされることとなる。
たまにトウキ主任の注文品をもってやってくる財司正規職員の差し入れが、彼らの唯一の楽しみとなった。
「なぁ、トウキ主任はいつ寝てるんだ?」
「わからん。寝てるとこ見たことないし」
そんな日がしばらく続く。
爆発じみたボヤを出すこともあった。
そんな時は仮眠している者たちも飛び起きて必死に消火した。
消火に当たり、普通の水をかけることはトウキ主任からきつく禁じられていた。
トウキ主任からは何の説明もなかったのでそれがなぜなのか、それどころかここでなされている実験が何なのかも誰もわからなかった。
そうして「そろそろ何もかも捨てて逃げよう」などと本気で考え始めた頃、ついに侯爵陛下がこの小屋を訪れた。
うわさにだけ聞いていて、まだ姿を見たことがなかった幼女侯爵だ。
「こんにちはトウキさん。ところで今、中から変な声聞こえませんでした?」
「何のことかわからないにゃ」
トウキ主任同様に、最初みな何のことかわからなかった。
が、よく考えたらそれはトウキ主任のあげる笑い声のことだと判った。
みな、もう慣れてしまってなんとも思わなくなっていたのだ。
そのことにジャンは戦慄した。
もう、普通の暮らしなどできないのではないか。
そんなわけないけど、すでに正常な思考ができなくなっていた故に、泣きそうになった。
「それよりちょうどよかったにゃ。入って成果を見てほしいにゃ!」
泣きそうなジャンなどに関わらず、トウキ主任は侯爵陛下一行を小屋に迎え入れる。
ヤバイ、掃除もろくにしていない。こんなところに貴顕を迎え入れたら後でド叱られるのじゃないか。
だが、そんな考えは一瞬で霧散した。
ついにトウキ主任から、実験研究の成果物について明かされるようなのだ。
小者たちは不安の表情から一転、好奇心に満ちた顔で侯爵陛下の後に続いて主任の説明に耳を傾けた。
続きは金曜に