374臭い水
翌日、エルシィたちは冬の万全装備を身に着けて、極寒の島ヴィーク男爵国へと赴いた。
「こんなに着込んでいると動きにくいな」
「いざという時に立ち回りできないのは困る。
ヴィーク国に着いたらその辺どうしているのか、現地武官に話を聞きたいところだ」
モコモコ過ぎて軽鎧すら着られなかったアベルとヘイナルが腕や腰を回しつつそんなことを言っている。
だが、いくら動きにくくとも、ジズ公国ではありえないような雪の銀世界と吹雪を見てはモコモコを脱ぐ気にはならない。
「さぁ、立ち話してても寒いだけですし、のしのしと行きましょう」
これもまたモコモコ装備のエルシィだったが、全体的にピンク寄りのパステルカラーでまとまっているので、遠目でも「たぶん女児」くらいにわかる有様だ。
そうしてちんまいピンクのモコモコが先頭切って雪原を進もうとするところで首根っこを掴まれる。
「ぐえぇ」
「エルシィ様、貴顕が前を歩くのは式典の時だけでいいのです。
道行くときの先頭はヘイナルにでも任せておけばいいのです」
「あ、はい」
この件は何度も言われているがどうにも慣れないエルシィであった。
「というか、瞬間移動ができるならなんで城に直接行かなかったにゃ」
着こんではいるがガタガタと震えながら黒猫トウキが言うと、白猫妹のナツメをはじめ、皆が同意してコクコク頷いた。
エルシィはそっと横を向いた。
虚空モニターのゲート機能を使って降り立った雪原から少しだけ歩き、エルシィ一行はヴィーク男爵国の領都へと入る。
とは言え領都とは名ばかりの田舎街だ。
吹雪く中、閑散とする街をきょろきょろと見ながら歩くと、すぐに領主レイティルの居城が見えてくる。
これもまた城とは名ばかりの、いかにもな田舎貴族の屋敷と言った佇まいなのだが。
外とは裏腹に暖かい居間でエルシィたちを出迎えたのは、八重歯を隠そうともしない大口笑顔の幼女男爵レイティルだった。
「おー、エルシィ。よう来たの。
わらわが臣従を申し出て以来じゃったか」
ちなみにこの部屋にたどり着くまでの廊下は外ほどではないがやはり寒かった。
燃料の節約なのか、暖かくしているのは屋敷内でも一部の場所だけらしい。
ともかく、レイティルがいかにも気さくに言ったところで、スパンとよい音を立てて尻を叩かれる。
「なんじゃ! わらわを誰と心得る!?」
「男爵閣下? あなたの前におわしますのは、あなたの主人であらせられるエルシィ侯爵陛下ですよ」
レイティルの斜め後ろで恭しく跪いていた少年が小声でそう叱りつけた。
彼はレイティルの侍従長であるラグナルだ。
「お? おうわかった。親方と呼べばいいんじゃろ?」
戸惑いながら自らの侍従とエルシィをきょろきょろ眺め、レイティルは首を傾げる。
ラグナルは情けない顔を晒さぬよう両手で覆った。
そうして互いにあいさつを交わし応接セットのソファーに腰を落ち着けると、今回の訪問の本題に入る。
「塩を作るじゃと? このヴィーク島で?」
その本題を聞いて、レイティルは盛大に首をかしげて困惑顔になった。
「エルシィ様、作るというからには岩塩でなく海塩なのでしょうが……
その……我が男爵国の国土では薪などの燃料が非常に貴重です。
金銭援助を受けたとしても、薪がなくなれば死活問題となります」
侍従長のラグナルもまた同様に困り顔で、言いにくそうにそう言った。
そもそも極寒の北海に浮かぶ島だ。
長い冬を耐え抜くためには薪が必須であり、狭い国土にある狭い森林からとれる資源でかなりカツカツなのである。
とてもじゃないが他に回せる余裕はない。
金銭援助があったとしても、無いものはないのだ。
「ああ、それに関してはもちろん考えがあって話してます。
薪を使うつもりはありません」
「? ……まさか、黒水を使うつもりで?」
言われ、ラグナルがハッと気づいた。
彼もヴィークの国土に黒くて燃える水が湧き出る場所があるのは知っている。
だが、誰もがあの黒水を使おうとは思わなかったゆえ、ほぼ放置の状況が続いているのだ。
その理由はレイティルの言葉がすべてを表している。
「あんな臭い水で海水煮たら、臭い塩しかできんぞ」
そう黒水、つまり石油は臭いのだ。
そのままでも臭いし燃やせばまた臭い。
立ち上る黒煙もまた臭い。
何をしたって臭いのである。
当然ながら石油が直接塩や海水に触れるわけではないが、それでも燃やした時に立ち上がった煙は触れる。
そうなれば塩もまた臭くなるのは自明の理だ。
というか貧困国であるヴィークの民が試していないわけがないである。
だが、エルシィは自信満々の顔で、後ろにいたトウキを押し出して紹介した。
「そのために彼を連れてきました。
彼こそ、この国の救世主となることでしょう!」
続きは来週の火曜




