373ヴィーク国へ行く前に
「そういうわけで、わたくし早速ヴィーク男爵国に行ってまいります。
ライネリオさん、引き続き政務の方、よろしくお願いしますね!」
「これはこれは忙しいことですね。
いいですよ、こっちは万事お任せください」
と、エルシィは先ほど腰を落ち着けたばかりの執務席からぴょこんと飛び降りた。
これを苦笑いで受けて宰相ライネリオは肩をすくめる。
実際、エルシィの主治医から「少しは休ませろ」と強く言われているので政務を一切引き受けるのに何の問題もないのだが、その分を他で駆けずり回っているようでは休みにならないのではないか。
と思わんでもない。
が、そこはまぁ侍女キャリナにお任せするのが一番だろう。
「あ、ボクはここでお暇しますね。
そろそろエルシィ様の指示で動いてるあの企画の方も見なきゃいけないし」
そこでここまで一緒に行動していた歌姫ユスティーナが、何やらよそよそしい態度で言い出した。
「ご苦労様でした。そちらの仕事もよろしうに願います」
何かあるのかな? と疑問も浮かぶところではあったが、例の企画の方も気になるのでエルシィは問いただすことなく了承した。
皆でユスティーナの退出を見送り、そこから側近衆はヴィーク国行きについて話を始める。
「ヴィークなら姉ちゃんがいるな……確かそろそろ新しい船が出来上がる頃じゃないか?」
まず神孫の弟の方、アベルがそんなことを言う。
姉ちゃん、とは当然神孫の姉の方、バレッタのことである。
彼女はエルシィより海軍における全権を渡されているため、元海賊国であり、今はエルシィ配下の属国となったヴィーク男爵国へその本拠地を移して指揮を執っている。
実際には戦争もないし海賊もいなくなったので、やっていることと言えば海軍の整備と言ったところだろう。
「ああ、先日の海戦で何隻か沈めたから……。
大きい船ってそんな早くできるものなのですか?」
そんなアベルの言を聞いてキャリナは納得気に頷いた。
頷きつつ、ふと引っかかったことを口にした。
キャリナも島国出身なので、専門でなくてもいくらか事情が分かる方だ。
もっともジズ領都はずれにあった造船所ではめったに大型船を作ることはなかった。
ただ彼女がまだ子供の頃、公爵御座船であるイルマタル号を造船していた時は「これいつになったらできるのだろう」と毎日眺めに行ったものだ。
その辺の事情を察したヘイナルはうんうんと頷きながらも予想を織り交ぜて話す。
「イルマルタ号の時は我がジズ公国初めての大型船と言うこともあって手探りの造船だったと聞く。
であれば工期も普通より長かったのだろう。
そこ行くとヴィーク男爵国は造船については先進国だし手慣れたものなのではないか?」
「なるほど……」
「指揮とってるの、姉ちゃんだしな」
「……なるほど」
果たして、バレッタの指揮で工期が早まるのは、彼女が海のことについて知り尽くしているからなのか、単にせっかちだからなのか。
「ま、その辺は行って本人たちに聞けばいいでしょう。
さあ出発だ、いま陽がのぼるです!」
「昼ですけど?」
「気分です?」
そうしてエルシィは鼻歌を奏でながら虚空に元帥杖で四角を描き、光り輝くゲートを開いた。
「待て待て! オレが先に行くって!」
今にも飛び込みそうなエルシィに慌て、アベルが駆け出し、その勢いのままにゲートに飛び込んだ。
それを執務室で見送っていたねこ耳侍女見習いカエデが「あ……」と小さく声を漏らした。
だが誰もそれに気を止めない……というか聞こえていなかったのか、エルシィはウキウキとした様子で後に続いて飛び込んだ。
実際、この場でカエデの声が聞こえていたのはボーゼス領から連れてこられたばかりの黒白猫の兄妹、トウキとナツメだけである。
ともかくキャリナとヘイナルはため息交じりに首を振って、すぐにでも二人の後を追うため進み出た。
だが、結果として二人はゲートに飛び込むことかなわなかった。
なぜなら、虚空モニターから、エルシィとアベルが飛び戻ってきたからだ。
「さむいさむいさむいさむい」
「むりむりむりむり!」
「だから止めようとしたにゃ……」
凍えた様子でガチガチ歯を鳴らすエルシィとアベルに、カエデはシニカルな薄ら笑いを浮かべて首を振った。
そう、セルテ領が冬なのだから、当然どこに行っても冬である。
そしてヴィーク男爵国は緯度で言えば旧レビア王国圏において最北部の島国なのである。
雪深いどころかその雪がさらに凍ってガチガチになり、さらには軽く吹雪いている有様だった。
「なるほど、気が付きませんでしたね」
ジズ公国もセルテ領もそれなりに寒くはなるが、領都ではひと冬に数度雪が積もる程度である。
ここにいる衆はほとんどが領都育ちであり、極寒の地など埒外だったのだ。
「急いでグーニーにエルシィ様の暖かい服を用意させましょう。
みなも準備なさい」
「了解であります!」
キャリナのそうした掛け声により、ヴィーク国行きの側近衆はそれぞれが準備のために散り散りに去っていくのだった。
「ユスティーナのやつ、さては寒いの苦手で逃げたな?」
トウキとナツメの手を引き服の準備に向かいながら、アベルはそうごちた。
続きは金曜に




