037アジフライ(中)
船長や興味を持った数人の若衆も引き連れて、一行は港の近くにあるこじんまりとした建物を目指した。
それはどうやらこの港の漁業組合の打ち合わせ小屋で、簡素なキッチン設備もあるとのことだった。
おそらく、漁師たちがじゃっぱ汁とか作ったりするのだろう。
と、エルシィは口の中をじゅるりと潤す。
ともかくそんなこんなで、一同は狭い台所へと入った。
そこでエルシィは船長や若衆や奥さんに早速指示を出す。
「奥さんはアジの頭を落として開きにして下さいまし。骨と鱗、ゼイゴは丁寧に取るのです」
「はいはい。承知しましたお姫さん」
言われた奥さんはクスクスと楽しそうに笑ってすぐ作業に取り掛かる。
そしてエルシィはクルリと振り返り、今度は若衆に目を向ける。
「あなたたちはパン粉を作ってくださいませ。そこのパンをナイフでみじん切りにするのです」
そう言って用意してもらったパンを指す。
パンは成人男性のコブシ四つ分ほどある丸パンだ。
中まで茶色くて固いのが特徴。
というか、小麦の精製がいまいちで、もみ殻まで磨り潰されている為に白さが足りないだけである。
固いのは、保存を考えてそう焼くのだ。
「……みじん切りですね」
お互い「お前行けよ」状態で押し合い、やっと一人が選出されて前に出る。
そして言われた通りにパンを切り始めた。
みじん切りと言ってもいきなり細かくは出来ないので、まずは薄くスライスしてからと、順に小さくしていく。
ある程度小さくなったら、ナイフで軽く叩く様にしてさらに細かくするのである。
「『ちたたぷちたたぷ』と言いながら叩くのですよ」
「はぁ」
などとやり取りしているうちにまな板の上にはパン粉が出来上がっていく。
次は油の用意だ。
エルシィはそう考えを巡らし、用意してもらった塊に目を移した。
その塊は山羊を捌いた時に出る脂身である。
できれば植物油を使いたかったが、やはり食用の植物油は高級品であった。
お城で手配してもらえば揃うことは揃うだろうが、高級な油をアジの様な外魚の為に使うとなれば大公館の料理人も油造りの職人もいい顔しないだろう。
そこで、普通ならロウソクの材料にしてしまう様な脂身を使うことにした。
つまり解りやすく言えばラードである。
豚の脂身から取ったラード油でトンカツ揚げると美味い、というのだから、山羊の脂身からラード油を取ってアジフライ揚げてもいいじゃないか。
という思考である。
山羊ラードは初めてなので実験的要素も強いのだが、きっと大丈夫だろう。
そもそも山羊は中央アジア辺りではメジャーな食糧だし、ジズ公国だって主な酪農は山羊なのだ。
ちょっと変わった味になるかもしれないが、食えないことは無いはずだ。
エルシィは少しずつ苦しい言い訳じみたことを考えつつ、脂身を鍋に入れて火の入ったかまどに乗せてもらった。
作業は当然、若衆からの選抜である。
さて、脂身を火にかけて少量の水を加えて灰汁を取る。
これをしばらく続ければ温まった油が分離してくるのだ。
最終的にくず肉と油に分かれたら、きれいな布で越してラードの完成だ。
ちなみにラードとは正確に言えば豚の脂身から作った油なので、山羊から作ったらラードではない。
だが面倒なのでここでは山羊ラードと呼んでおこう。
また、ちょっと話が横道にそれるがここで出たくず肉も、スープなどに入れて食べられる。
「それを捨てるなんてとんでもない!」なのである。
まぁ丈二がいた元の現代世界では、おおよそ家畜の餌などにされる部分ではある。
続いてバッター液。
バッター液って何だろう、という人の為に簡単に説明すると、小麦粉と水と玉子を混ぜたコロモ液の事だ。
なぜバッターと呼ぶかは、エルシィは知らないが、そんなことはどうでも良い。
美味しいアジフライが出来ればそれでよいのだ。
バッター液を作らせているところで、キャリナが「あぁ」と気づいた様にもらした。
「アジフライとはフリッターの様な料理なのですね?」
「まぁ似たようなものと言えば似てますか」
エルシィはアゴを指先でトントン叩きながらそう答え、この世界にもちゃんと揚げ料理はあるんだな、と頷いた。
まぁ、食用油が高価なので、庶民の料理ではないのだろうけど。
ともかく、これで開きにしたアジ、バッター液、パン粉、揚げ油、必要なものはすべてそろった。
ちなみに開いたアジには塩などで下味もすでにつけてもらってある。
後は手順を指示しながら揚げてもらい、ついに春の庶民定食の定番メニュー、アジフライが完成したのである。
「ウスターソースが無いのが残念です」
そう呟きながらも、皿に盛られたアジフライを満足そうに眺めるエルシィだった。
さて、実食である。
まず偉い人からだよね? 役得役得。
とばかりにエルシィは進み出てフォークを手に取った。
が、そこでその手を止めるのはやはりキャリナだ。
「いけません。まずは毒見が先です」
「毒見なんて……」
目の前でエルシィが指示しながら作ったのだから、毒が混入する余地など無いはずである。
そう主張してみたが、キャリナは納得しなかった。
「熟練した暗殺者は、目の前でもそれと判らぬようなトリックを使うことがあると聞きます。用心は必要ですよ」
言われ、暗殺者? と首を傾げながらエルシィは船長たちを見回した。
船長たちも気を悪くするでもなく「仕方ない」とばかりに肩をすくめた。
「では私が」
そこへ名乗り出たのはフレヤだ。
彼女は近衛士であり、エルシィの身を守ることが仕事なので、まったく適任者だと言えよう。
フレヤは皆が注目する中、楚々と進み出てフォークを取り、山になっているアジフライの一番上に突き刺した。
ゆっくり勿体ぶる様に口に運び、サクッとかむ。
「んん!」
普段、ぼんやりしたようなタレ目がハッと見開いた。
彼女を囲む皆が息をのみ、そして半歩下がって身構える。
「ふむふむ、ふむふむ」
フレヤは無言でアジフライを口に運び続け、一つ食べ終わると注目を受けつつ二つ目にフォークを伸ばした。
「ちょっとお待ちを!」
そこでハッとしたエルシィがフレヤの手を止める。
フレヤもハッと気づいた様にエルシィを見返し、「あらあら」と取り繕うように小さな笑いを顔に張り付けた。
「大丈夫そうなので、皆でいただきましょう!」
しばしフレヤを眺めてからエルシィがそう宣言すると、待ってましたとばかりに船長や若衆がわっと皿へ集まった。
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