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036アジフライ(前)

 船員ともども、全身びしょぬれしょっぱくなって港に戻ると、待っていたキャリナが目を見開いて出迎えた。

「いったい何があったのですかエルシィ様」

「そのですね、大きなイカが襲ってきたのです」

「いえ、そういう冗談は結構ですから」

 素直に話したのにはなから信用されなかった。

 解せぬ。

 と、エルシィが憮然として口を噤んでしまったので、キャリナはすぐ同乗者であるヘイナルへと視線を向けた。

「エルシィ様の言うことは本当だ。漁が終わって帰る途中で化け物の様なイカに襲われたのだ」

「そうですか。無事の帰還、お慶びいたします」

 と、ヘイナルの話は素直に信じて頭を下げるのだから、エルシィはますますへそを曲げた。

 そこへやはりびしょ濡れの船長がやって来た。

「侍女さん、すまねえがお姫さんを早く着替えさせた方が良い。春とはいえそのままじゃぁ風邪ひいちまう」

「あら、私としたことが。でも困りましたね」

 言われ、キャリナもすぐに気が付いて、そして頬に手を当てた。

 着替える、と言ってもエルシィの着替えなぞ持って来ていない。

 当然だ。

 元々、港の視察が目的だった筈なので、まさかエルシィが漁船に乗るなどとは想定していない。

 おまけに、漁船に乗ったとしても普通に漁をして普通に戻って来てくれさえすれば、多少は濡れるだろうが、すぐ着替え、などということにはならない筈なのだ。

 はしゃいで船から落ちた、ならともかく、巨大イカに襲われる、など想定しようもない。

 だが、そんなキャリナの思惑を船長は予想していたようで、「さもありなん」と頷きながらすぐに続けて声を掛けた。

「俺の娘のお下がりで良ければすぐ持ってこさせる。お姫さんに着せるには足らねぇだろうが、風邪ひくよりはいいだろう?」

「……お言葉に甘えます。どうぞよしなに願います」

 考え、それしかないことを渋々納得しつつも、そんなことは表情に一つも出さず、キャリナは船長に深々と頭を下げた。

 船長の言う通り、彼が提供できる服は庶民の服だ。

 この国の主に連なる貴顕が着るには、格式が足りなくて当たり前である。

 それでも、主に風邪を召されるよりよっぽどましだろう。


 しばらくすると、小太りの小母さんが何着もの着替えを抱えてやって来た。

 どうやら船長の奥さんのようで、船長と言葉を交わしつつ、若い衆にも着替えを配っていた。

 当然、真っ先にエルシィ用の服をキャリナに渡してくれたので、二人は近くの小屋へと着替えに行く。

 ヘイナルもまた若衆と一緒に港の端へ借りた服に着替えに行った。

 着替えを終えて小屋から出てきたエルシィは、少しばかり上機嫌にふふんと笑った。

 一応、船長の娘さんの余所行きオシャレ着である。

 とはいえ所詮は、と言っては何だが庶民の服なのだ。

 麻の生地のワンピースで、所々を薄く朱色に染め上げられている。

 新品なら朱と白のコントラストが華々しい、というところだろうが、すでに何年も前のお古ということで全体的にセピアカラーだった。

 また、エルシィが普段着る服からすれば、圧倒的に装飾が少ない。

 これはキャリナにとっては不満でしかなかったが、エルシィからすればとても良い服に思われた。

 どこが良いかと言えば、動きやすく、汚しても叱られない点だ。

「この服は動き易くていいですね。普段着にしたいです」

「ダメです」

 ところが、キャリナからは一言で却下され、エルシィは「むぅ残念」と不満で頬を膨らせた。

 今は緊急避難的に許しているだけで、これは本来大公家の姫が着る服ではない。

 などと、エルシィはこんこんと言い聞かされ、渋々と納得した。

 まぁ、今は良いならこの機会を生かさねば、と思考を変える。

 そしてエルシィはキャリナやヘイナル、そしてニコニコぽやぽやと嬉しそうに微笑むフレヤを引き連れて、停泊する漁船近くへと戻った。

 そこでは、手早く着替えを終えていた船長や若い衆が、今回の漁で獲れた魚を荷下ろししていた。

 また案内役に同行していた水司のお役人は、所在なさげにその作業を眺めていた。

「おう、お姫さんか。好きなの持って行ってくれていいぞ」

「気前がいいですね。よっ、公国一の色黒漁師!」

「よせよ、おだてたって今日出るのはほとんどアジだぜ」

 気安く笑い合うエルシィと船長を見て、キャリナは頭痛を覚えたようにコメカミを指先でさすり、フレヤは「あらまぁ」と楽しそうにクスクス笑った。

 ちなみにヘイナルは、船上で二人のやり取りを見ているのため、もう慣れてしまっていて無反応だ。

 ともかく、エルシィは作業する若衆の近くへ気安くトコトコ寄っていくと、おろされた大きな箱を覗き込む。

 それは漁で獲って来た魚が入った箱だ。

 船には生簀があり、獲れた魚はそこに入れられていた。

 しかしこの運搬用の箱は一応海水で満たされてはいるが、魚の密度からして「生簀」と呼ぶにはしのびない。

「ふふふ。アジフライ、アジフライ」

 ニヨニヨしながら箱の中を眺め、エルシィは何気ない動作で箱に手を突っ込んだ。

 突っ込み、素早い動きでアジを一匹つかみ取る。

 一五cm程度のサイズだが、エルシィの手が小さいので立派に見えた。

 船長や若衆は感心したように「ほぉ」と小さく唸り、侍女キャリナは「ひっ」と悲鳴にも似た声を上げた。

「エルシィ様、何をなさっているのです!」

 気を取り直して飛び出すのはお小言だ。

 エルシィはビクッとして振り返っり、引きつった笑いで答えた。

「アジフライを作りたいと思いまして」

「アジフライ、ですか?」

 眉間にシワを作るキャリナが首を傾げる。

 聞いたことない言葉だったので、とにかく困惑しているのだ。

 ただ、魚を手にして「作りたい」というのだから、おそらく料理の類だろう。

「いけません。大公家の姫ともあろうお方が、手ずからお料理をするなんて。それは料理人のお仕事です」

 言われ、進退窮まったとでもいう様な絶望顔を浮かべたエルシィに、見かねた船長の奥さんが割って入る。

「まぁまぁ、せっかく漁で獲って来たアジですから、お姫さんが食べたいというのも仕方ないですよ。良ければ私が料理しましょうか?」

 船長よりは丁寧語が板についてるなぁ、などと場違いな感想を抱きつつ、エルシィは渡りに船と大いに喜んで頷いた。

「まぁ、大公館の料理人にアジをさばけというのも酷でしょうし?」

 助け舟にと、フレヤもまた割って入り、その言葉にエルシィは同意の為に何度もコクコクと頷いた。

 なにせジズ公国なのかこの世界のなのかは判らないが、アジは外魚扱いなのだ。

 外魚とはつまり高級魚ではないということで、公国トップともいえる大公館のシェフに料理させるのは、怒られてもしかたない行為なのだ。

 一流フランス料理人に「たまごかけごはんの用意を」と言うような物だろうか。

「……わかりました。お手数ですがよしなに願います」

「苦労かけます」

 そう承知するキャリナの顔があまりにも疲れているように見えたので、エルシィはつい、そのように言葉を添えた。

 せっかく漁船の同乗は無しにたけど、あまり休憩にはならなかったのだろうか。

 やはりゆっくり温泉へでも浸からないとなぁ。

 などと、エルシィは神妙な顔で溜息を吐くのだった。

「それでお姫さん、何を用意すればいいんだい?」

 話が付いたところで、エルシィの手でピチピチ尻尾を振るアジを、船長の奥さんがそっと受け取りながら問いかける。

 エルシィはニヨニヨしながらしばし考えた。

「アジフライですから、パン粉と小麦と玉子、それから揚げるための油ですね」

 聞きながらそれぞれの材料を思い浮かべているのか、奥さんは口の中で何事か呟く。

 そして最後に首を傾げた。

「パン粉ってなんだい? 名前からしてパンが関係するのは解るけど。あと油はどれくらい必要だい?」

 そう再度問われてハッとした。

 そうか、材料が揃わないこともあるのか。と。

 むーん、と腕を組んで考える。

 パンは大公館の食卓で見たことあるのだから、無いわけではないはずだ。

 中まで茶色くて固いパンだが、パン粉を作るなら柔らかくない方が良いかも。

 あと油も場合によっては高級品かも。

 むむーん。

 よし、何とかなりそうだ。

「では、パン粉作りから始めましょう」

 頭の中で何とか算段を付け、エルシィは大きく頷いてそう宣言した。

次は来週火曜に更新予定です

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